ここまで紹介してきた「代表的な」吹奏楽作品たちは、音楽学部での教育・研究とも結びついた大学バンドか、軍楽隊が多数を占める職業バンドを念頭に、高い演奏技術を要求する作品が主でした。しかし吹奏楽のための作品が演奏される媒体としては、必ずしも理想的な編成や演奏技術を備えていないバンド——中学校・高校のカリキュラムの一環で組織されるバンドが一つの典型例でしょう——が数としてはむしろ大勢であり、またそれを念頭に良好な響きが得られるよう書かれた作品も、「吹奏楽のための作品」を考えたときには無視することが不可能な存在感を持っています*1。
とりわけこの分野の受容や伝承は個々人の体験と不可分に結びついている度合いが強く、もとより語り落としは不可避ではありますが、広く見られる6段階の演奏難易度表示*2ではグレード3、あるいは場合によってグレード4をひとまずの上限に、低難易度作品――高校以下の教育現場を意識した作品――にある程度以上力を注いだ作曲家たちについて、いくらかの見通しを付けてみたいと思います。ディスクとしては、作曲・紹介当時の録音が軒並み手に入りにくくなっている*3なか、木村吉宏/広島WOの『バンド・クラシックス・ライブラリー』シリーズ (2003-2009) は以下述べるような低難易度作品を軸として回想する企画になっており*4、演奏含めてレファレンスとして推薦できます。
アメリカの教育機関での音楽活動ははじめに合唱を、次いでオーケストラを軸に発展していき、バンド活動は第一次大戦の前後から、娯楽の多様化の影響を受け大恐慌がとどめを刺したプロバンドの衰退で「バンドの黄金時代」が終わりを告げるのと入れ替わるように、音楽産業の後押しも受けてアメリカ全土で成長していきます。1923年には最初のスクールバンドの "national" コンテストが開かれ、26年の第2回の時点で2段階の予選が行われるようになるという活況でしたが、当時バンドのレパートリーはまだ体系化されておらず、特に技術的な要求の低さを打ち出したレパートリーについては、ヘンリー・フィルモアがハロルド・ベネット名義で発表した作品群のような例はありましたが決して潤沢とは言えませんでした。30年代から作編曲作品を発表しこの分野のレパートリー供給に乗りだした代表格が、打楽器奏者として出発し、のちに教育に関わるようになった*5ポール・ヨーダー Paul Yoder (1908-1990) で、すこし遅れて40年前後から、軍楽隊や放送業界で活動していたハロルド・ワルターズ Harold L. Walters (1918-1984) 、イタリアからの移民でオーボエ奏者だったジョセフ・オリヴァドーティ Joseph Olivadoti (1893-1977) などもそこに加わります。
ヨーダーの*6『エキスポ '70』Expo '70 (1968)*7 『ガラスの靴』Glass Slipper (1948) 、ワルターズの*8『フーテナニー』Hootenanny (1963) 『インスタント・コンサート』Instant Concert (1970) 『音楽世界めぐり』Bands around the World (1972)*9 、オリヴァドーティの*10『ばらの謝肉祭』Carnival of Roses (1947) といった現在もレパートリーに残っている彼らの作品は、基本的に当時の「軽音楽」の様式で書かれています。ジャズやラテンのビートによるダンス音楽(マーチを含む)か、オペラ/オペレッタの序曲・パラフレーズ風のポプリ*11かという違いはありますが、おおむねそれまでのバンドレパートリーの主流を引き継ぎ、バラエティに富んだ展開や気取らずシンプルなサウンドを備えています*12。
日本では『中世のフレスコ画』Medieval Fresco (1967)『百年祭組曲』Centennial Suite (1971) など比較的折り目正しいスタイルの作品*13を軸に受容されたジョン・モリセイ(モリッシー)John Morrissey (1906-1993) も、デビュー作の Caribbean Fantasy (1942) や An American Weekend (1950) といった作品はダンス音楽のビートを基本にした音楽でした。
もうすこし時代が下って50年代に入ると、大学バンドやプロバンドの方面に筆を執る作曲家が次々増えてきたのと軌を一にして、兵役やビッグバンドでの仕事の一方でカステルヌーヴォ=テデスコに師事したフランク・エリクソン Frank Erickson (1923-1996) 、EWE前夜のイーストマン音楽院でバーナード・ロジャースに学んだチャールズ・カーター Charles Carter (1926-1999) 、ヒンデミットに師事したのち放送業界でも活躍したクレア・グランドマン Clare Grundman (1913-1996) 、ユージン・グーセンスやハワード・ハンソンに師事したウィリアム・P・レイサム William P. Latham (1917-2004) といった面々がこの分野に参入してきます。
エリクソン*14の『幻想曲』Fantasy for Concert Band (1955)『トッカータ』Toccata for Band (1957) 、カーター*15の『管楽器のための序曲』Overture for Winds (1959)『交響的序曲』Symphonic Overture (1963) といったこの時期に発表された作品を見ていくと、急-緩-急のいわゆる「序曲形式」が型としてある程度確立しており、また伝統的なリズム構造や調性に、新古典/コープランド風のシンコペーションや旋法的な要素を含む和声、またアクセントとしてのポピュラー音楽の要素を加えた、のちのこの分野における一つの雛型となる作風が見てとれます。なお曲構成に関してはエリクソンの『ソナチネ』Sonatina for Band (1962) やカーターの『古典様式による序曲』Overture in Classical Style (1954) のような擬古典的な姿勢の作品はあてはまりませんし、エリクソンは Balladair (1958) や Air for Band (1966) で*16、コラール風のゆるやかな単一曲という、また一つの後年の典型ジャンルを開拓してもいるのですが。
いずれにせよ、ジム・コーディル Jim Andy Caudill (1932-) *17の素直な響きを強調した『吹奏楽のための民話』Folklore for Band (1964) や『ランドマーク序曲』Landmark Overture (1974)、ピアニストとして活躍したあと放送業界に移ったシーザー・ジョヴァンニーニ Caesar Giovannini (1925-2017) の、より和声的な薬味が利いた『コラールとカプリチオ』Chorale and Capriccio (1965) や『序曲 変ロ長調』Overture in B-flat (1966) *18、さらに時代が下り鋭角的な響きを組み込んでいったジャレド・スピアーズ Jared Spears (1934-) の*19『キンバリー序曲』Kimberly Overture (1969)『第3組曲』Third Set (1972) やリーランド・フォースブラッド Leland Forsblad (1920-2006) の諸作 *20、不協和な響きの「前衛的」な語法*21や生のポピュラー音楽の語法も大胆に混淆したティモシー・ブロージュ(ブロージ)Timothy Broege (1947-) *22の『第5番』 Sinfonia V: Symphonia Sacra et Profana (1973) をはじめとする『シンフォニア』群や『首なし騎士』Headless Horseman (1973) 、といった後年の作品は、この流れの上で生まれたものと考えていいでしょう。
先ほど言及したもう2人、クレア・グランドマンは*23第1番 (1948) に始まる『アメリカ民謡狂詩曲』American Folk Rhapsody シリーズや『ケンタッキー1800』Kentucky 1800 (1954) 『ヘブリディーズ組曲』Hebrides Suite (1962) といった一連の民謡編曲でホルストから続く伝統をつなぎ*24、レイサムは擬古調の『3つのコラール前奏曲』Three Chorale Preludes (1956) と Court Festival (1957) で知られます*25。先に挙げてきた作曲家が「モダン」な方向に進んだのと比べると、新古典的な技法を通過しながらもサウンド的には伝統的な表情の作風で、のちに隆盛を迎える、調性のロマンティックな表現力を求める流れとも共通します。
ほかの記事で紹介してきたような高度な技術的要求をする作品群が新古典主義の主導で蓄積していったのと並行して、こうした技術的難易度に配慮した作品の発展も進んできたわけですが*26、もちろん両分野の前提条件に基づく傾向の違いも存在します。技術的難易度を制限した作品の場合、音を多くできない、リズム的に複雑なものは書きにくい、というのは当然ですがそれ以上に、各楽器の音域上の制約や、一人一人の奏者の責任を大きくできないという事情が働くため、オーケストレーション的には楽器の重ねを多く、組みあわせて使う傾向にあり、響きやすく低音から積みあげたサウンドの割合が増えます。60年代以降、楽器の重ねを薄くしてアンサンブルの明快さを志向する流れも存在したのを尻目にやや違った方向を向き、いままで「シンフォニック」と形容してきたバンドの鳴らし方におのずと接近することになります。マクベス『聖歌と祭り』(1963)『カント』(1978)『エスタンピー』(1999) 、C.T.スミス『エンペラータ序曲』(1964)『聖歌』Anthem (1978) のように厚いサウンドを持ち味とする作曲家たちの有名作はこの流れで考えられます。
やや遡れば、ジャズピアニストとしての活動と並行してデトロイトで音楽教育にたずさわり『セコイア』Sequoia (1941) と『海の肖像』Sea Portrait (1956) で知られるホーマー・ラガッシー Homer Lagassey (1902-1982) の、旋法的・ポピュラー風の和声を取り入れながらも濃厚にロマンティックな表情は、同時代のアメリカ吹奏楽の流れでは目立って見えます。この延長線上に、たとえばリード70年代の代表作群にもつながる重厚なサウンドと感情の表出が聴かれるロナルド・ロ・プレスティ Ronald Lo Presti (1933-1985) の『あるアメリカ青年のためのエレジー』Elegy for a Young American (1967) があるのでしょうし、ひいてはリード 、バーンズ、カーナウといった面々が大曲と地続きの語法で存分に腕をふるう*27前提になったのだろうと思います。もっぱら低難易度作品で知られる作曲家のなかでは、分厚いサウンドと、ポピュラー音楽の要素が強い和声の陰影や歌謡性が特色のレックス・ミッチェル Rex Mitchell (1929-2011) もこの近傍でしょう*28。
また、1970年前後になると、ミッチェル『序奏とファンタジア』 (1970) 、カーター『ラプソディック・エピソード』Rhapsodic Episode (1971) 、すこし遅れますがエリクソン『序曲祝典』Overture Jubiloso (1978) といった作品で、ラテン音楽由来の3-3-2のリズム*29+ポピュラー音楽におけるドラムスと同様にリズムの刻みで常に小節を埋めるパーカッション、というのちの定番語法*30が確立します。技術的な制約から細かい音符を書き込めない状況で、アレグロに推進力を与える役をスネアドラムなどパーカッションに与えるのが有効なのはマクベス『聖歌と祭り』やネリベル『フェスティーヴォ』で確認済みですし、ポピュラー音楽からの異物扱い*31でないシンコペーションはエリクソン『トッカータ』などに現れていますが、この時期に二つが合わさったことで、初期から軽音楽の要素を積極的に取り入れてきたこの分野の音楽はまた一つ人好きのする要素を得ることになります。
以上を背景にして、『エグザルテーション』Exaltation (1978)『ノヴェナ』Novena (1980) で登場したのがジェイムズ・スウェアリンジェン James Swearingen (1947-) でした。技術的・表現的な親しみやすさを前提として、シンコペーションを多用したリズムを打楽器で支えながら、素直な調性を基調に旋法的で「モダン」なアクセントを随所に加え、要所を「シンフォニック」な壮大さで締める作風は一種模範的なもので、続けて80年代中盤~90年代初頭に登場したロバート・シェルドン Robert Sheldon (1954-) 、エド・ハックビー Ed Huckeby (1948-)*32 やデヴィッド・シェーファー David Shaffer (1953-)*33 とともに、低難易度作品のイメージを一度固定してしまうインパクトを持ちました。
この時期にはいわゆる「序曲形式」の規模の作品以外にも、スウェアリンジェン『ロマネスク』Romanesque (1982) を一つの画期に*34、ヒュー・スチュアート『聖歌』A Hymn for Band (1985) 、ホルジンガー『フィリップ・ブリスの讃美歌による』(1988) 、アンドリュー・ボイセンJr. Andrew Boysen Jr. (1986-) I Am (1990) 、ラリー・デーン Larry Daehn (1939-) As Summer Was Just Beginning (1994) With Quiet Courage (1996) 、ティケリ『アメイジング・グレイス』Amazing Grace (1994)『シェナンドー』Shenandoah (1999) と緩徐系のレパートリーも充実していきます。
『エンカント』Encanto (1989)『ブラック・ホークの舞うところ』Where the Black Hawk Soars (1995) のロバート・W・スミス Robert W. Smith (1958-) や、『ホープタウンの休日』Hopetown Holiday (1998)『セドナ』Sedona (2000) のスティーヴン・ライニキー Steven Reineke (1970-) もこうした定型に乗った作曲家たちですが、R.W.スミスは『嵐の中へ』Into the Storm (1994)『テンペスト』The Tempest (1995)『天空への挑戦』To Challenge the Sky and Heavens Above (2000)『機関車大追跡』The Great Locomotive Chase (2000) といった作品で、打楽器の大量動員や短旋法の活用による劇的なサウンド*35を広め、マイケル・スウィーニー Michael Sweeney (1952-)*36 などが追随しますし、ライニキーは『神々の運命』Fate of the Gods (2001) や『魔女と聖者』The Witch and the Saint (2005) などでやはりドラマティックで大きなコントラストのついた展開を持ちこんでいます*37。
2000年代に入ってからで目に付くトピックといえば、バンド指導者として名を馳せたリチャード・ソーセイド Richard Saucedo (1957-) の作品出版が大幅に進んだことでしょうか*38。幅広いバンドが取り上げることを意識した Awakening Hills (2003) Flight of the Thunderbird (2004) Into the Clouds! (2007) As Tears Fall on Dawn's New Light (2013) といった作品群は、彼が深く関わっているマーチングバンドを思わせるような打楽器、特に鍵盤打楽器を重用した華やかなサウンドが特徴的です*39。ほかでも書いてきたように、打楽器・鍵盤打楽器の役割の拡大は低難易度書法との相性が良いのと同時に吹奏楽界全体の趨勢でもあり、こうした色彩感はたとえばブライアン・バルメイジス Brian Balmages (1975-) などに引きつがれます。Midnight on Main Street (2009) Love and Light (2020) のように奏者に高度な要求をする作品でも知られる一方で、ポピュラー音楽の語法を直接的に取り入れた Blue Ridge Reel (2013) Groove Music (2013) 、このジャンルの本道とでもいうべき明朗さを持った Summer Dances (2000) Among the Clouds (2004) When Spirits Soar (2006) Sparks (2007) 、民俗的な題材を扱った Arabian Dances (2009) Within the Castle Walls (2012) 、抒情性を前に出した Rain (2008) Endless Rainbows (2013) 、ドラマティックな効果を活用した Moscow, 1941 (2006) Reverberations (2009) Nevermore (2011) Open Space (2014) など、これまでのジャンルの蓄積の上にいながらさらに色彩感を拡張した作品群が広く知られており、現在のこの分野を先導する一人といえます。
そのほかにも現在、Larry Neeck (1950-)*40 Larry Clark (1963-) *41 Brant Karrick (1960-)*42 William Owens (1963-)*43 Vince Gassi (1959-) *44 Todd Stalter (1966-)*45 Michael Markowski (1986-)*46 Matt Conaway (1979-)*47 Michael Oare (1960-)*48 Alex Shapiro (1962-)*49 Randall Standridge (1976-)*50 Aaron Perrine (1979-)*51 David Biedenbender (1984-)*52 Carol Brittin Chambers (1970-)*53 Tyler S. Grant (1995-)*54 などの作曲家が積極的にこの分野に作品を提供しています*55。オストウォルド賞(2011- 隔年)、クロード・T・スミス記念コンテスト Claude T. Smith Memorial Composition Contest (1985-) 、NBAメリル・ジョーンズ記念コンテスト Merrill Jones Memorial Composition Contest (1992-) 、NBA/Alfred Music Young Band Composition Contest (2012-) 、CBDNA Young Band Composition Contest (1999-) のように楽曲の難易度を指定した作曲賞も多くありますし、吹奏楽の有名曲の簡易編曲*56、複数示された選択肢を参考に演奏側が楽器を割り当てていくフレックス編成(adaptable band)といった興味深いトピックも持ち上がっている分野です。
ヨーロッパでも、いわゆる Light Music の分野を横目でにらみ、時に重なりながら、ウェニャン、レインスホーテン、フラク、ブルジョワ、デ・ハーン兄弟、スパーク、ヴァン・デル・ロースト、ジェイムズ・レイ James Rae (1957-) 、ゴーブ、メルテンス、ヨハン・ネイス Johan Nijs (1963-) 、フェラン、ドス、オットー・シュワルツ、ジャン=ピエール・ヘック Jean-Pierre Haeck (1968-) 、マルク・ジャンブルカン Marc Jeanbourquin (1977-) 、ピーター・ミーチャン Peter Meechan (1980-) 、ティエリー・ドゥルルイエル Thierry Deleruyelle (1983-) 、ティーモ・クラース Thiemo Kraas (1984-) などがこの分野のカタログを充実させていて、シンガポールに拠点を置くベンジャミン・ヨー Benjamin Yeo (1982-) *57のような存在もいますし、日本でもアメリカに留学した後藤洋 (1958-) *58や、海外での楽譜出版が多い西邑由記子 (1967-)*59、広瀬勇人 (1974-)*60、和田直也 (1986-)*61 などが意識的に、編成や技術的難易度に配慮した作品を多く送り出しています*62。