24-25. チャンス:呪文と踊り / 朝鮮民謡の主題による変奏曲

ご多分に漏れず、ジョン・バーンズ・チャンス John Barnes Chance (1932-1972) もまず中学校と高校で吹奏楽に触れています。高校時代に書いた管弦楽曲ラフマニノフ風のロマンティックな音楽で、大学を卒業するころに影響を受けていたのは、シベリウスショスタコーヴィチの和声とバルトークのリズムだったといいます。のちの作品でも調性的な音使いへの抵抗がなく、新古典的な硬い響きにこだわらない姿勢が見られます。

学生時代にはもっぱら管弦楽に興味を向けていたチャンスが吹奏楽に作品を提供するきっかけになったのが、1959年に始まったヤング・コンポーザーズ・プロジェクト Young Composers Project への選出でした。若手作曲家を公立学校に派遣して、新しい音楽の作り手と青少年との相互交流を促すもので、ノースカロライナ州のグリーンズボロ高校に派遣されたチャンスは2年間の活動のあいだ、レジデンス・コンポーザーとして弦楽合奏曲や管弦楽曲とともに吹奏楽曲を多数作曲しています。最初の吹奏楽作品である『呪文と踊り』Incantation and Dance (1960) や、バルトークの協奏曲を簡明に作り変えたようなピアノと管楽アンサンブルのための『序奏とカプリッチョIntroduction and Capriccio (1961) のほかに、後年の交響曲第2番 (1972) の一部や、『エレジーElegy (1972) の原型となった合唱と管弦楽のための作品も生まれています*1

ヤング・コンポーザーズ・プロジェクトに選出された他の作曲家にはピーター・シッケル*2やロバート・ムチンスキのほか、アーサー・フラッケンポール、ジョセフ・ウィルコックス・ジェンキンス*3、マーティン・メイルマン*4、ロナルド・ロプレスティ*5、ロバート・ウォッシュバーン*6といった管楽器や吹奏楽のための作品で知られる作曲家たちも多くいるほか、ジュリアード音楽院を卒業したばかりのフィリップ・グラスもいました。

プロジェクトのアイディアを提案したのは、当時すでにピューリッツァー賞受賞者として名を成していたノーマン・デロ=ジョイオ Norman Dello Joio (1913-2008) でした。M. グールドパーシケッティW. シューマンと近い世代ですが、吹奏楽の分野に関わりはじめたのは遅く*7、『中世の主題による変奏曲』 Variants on a Medieval Tune (1963) が最初になります*8。作風は世代通りに新古典的ですが、『ハイドンの主題による幻想曲 』Fantasies on a Theme by Haydn (1968) *9に典型的なようにむしろ擬古典的というほうが近い部分も多く、素直に調性的な響きや三度構成の柔らかい和音をよく使うので、前出の乾いた作風の作曲家たちよりも情感豊かで近づきやすいのではないかと思います。こちらも『「ルーブル」のための音楽』Scenes from "The Louvre" (1966) *10や『諷刺的な舞曲』Satiric Dances (1975) など取り上げやすい作品を吹奏楽に提供しており、やはり伝統的な書法と風通しのいい和声、ロマン的な表現が生かされています。

 

『呪文と踊り』の初演を担ったグリーンズボロ高校のバンド*11バスクラリネット9本、コントラバスクラリネット3本という充実した編成を誇り、演奏水準も高く、カラフルな書法の前提になっています。一聴してまず印象に残るのは(チャンスの楽器でもあった)ティンパニを含めて7人の奏者による打楽器アンサンブルの活躍*12で、これまでに紹介してきた60年代の作品群を先取りするように、透明かつエネルギッシュなサウンドでバンド全体を主導します。同様に管楽器もリズミックかつ動きごとの独立が強調され、楽器の混合は慎重に用いられています。結果として生まれる音色は非常に鮮やかなものですが、音の選び方としては旋法を生かしながらも調性感を強く残しており、親しみやすさと新しさが両立しています。

オストウォルド賞に応募し、みごと受賞後に初演された『朝鮮民謡の主題による変奏曲』Variations on a Korean Folk Song (1967) となると、サウンドはやや趣きを異にします。打楽器アンサンブルが清新な響きを与えるのは同じですが、各所でより分厚くシンフォニックな響きが聴かれ、対位法的なテクスチュアもホモフォニックな構造に回収される場面が散見されます。この後彼の「晩年」に書かれた『交響曲第2番』『エレジー』は重厚に積み上げられたサウンドによる表出的な音楽で、この後もチャンスが創作を続けていたなら、新古典的に隙間の多い書法から離れ、ロマンティックな表現がさらに前に出ていたかもしれません*13

 

録音はどちらも大量にありますが*14、チャンスの主要作品を集成したスティール/イリノイ州立大学WS  (Albany, 2005) が一家に一枚もの。演奏も申し分なく、録音がお風呂場気味なのが唯一残念なところです。

ジョン・バーンズ・チャンスの伝説 Legacy of John Barnes Chance
 
Trittico

Trittico

 

*1:C. ウィリアムズの『フィエスタ』と『エル・サロン・メヒコ』を混ぜたような『ミュージカル・コメディのための序曲』Overture to a Musical Comedy (1962) の原型も書かれています。

*2:a.k.a. P.D.Q.バッハ。シッケル名義でもいくつか吹奏楽作品がありますが、「P.D.Q.バッハの」作品をシッケルが「編曲」した『おそろしく大量の管楽器と打楽器のための大セレナーデ』Grand Serenade for an Awful Lot of Winds and Percussion (1975) などがむしろ演奏機会に恵まれています。

*3:アメリカ序曲』American Overture (1956) が有名。

*4:典礼音楽』Liturgical Music (1963) など比較的若いころの作品から、『彼の地に去ったかけがえのない友たちへ』For precious friends hid in death's dateless night (1988) のような壮年期の作品まで吹奏楽レパートリーにはかなりの貢献があります。チャンス追悼曲の Simple Ceremony (1973) も書いています。

*5:ケネディ大統領を追悼した『あるアメリカ青年へのエレジーElegy for A Young American (1967) がドラマティックで率直な表現と取り上げやすさで知られています。

*6:プロジェクトへの参加中に吹奏楽のための交響曲 (1959) を書き上げています。

*7:同じくピューリッツァー賞受賞者で、さらに遅く70歳を過ぎてから "Skating on the Sheyenne" (1977) を手がけ、軽快なバンドの扱いを見せつけたロス・リー・フィニー Loss Ree Finney (1906-1997) のような例もありますが。

*8:ジャンニーニの交響曲第3番と同じくデューク大学バンドの委嘱です。フェネル/ダラスWS (1993) が鮮やかな音色感を再現した名演。

*9:身の軽さと格調を両立させたコーポロン/昭和WS (2009) を推薦。

*10:スタンプ/キーストーンWE "Pageant" (1998) がいいです。

*11:チャンスのレジデント以外にも委嘱を行っており、ルーカス・フォスやガンサー・シュラーなどが作品を書いています。

*12:アレグロへの導入部分は、池上敏『冥と舞』(1971/ rev.1995) 、エリオット・デル・ボルゴ『聖歌と祝典』Psalm And Celebration (1983) 、バーンズ『呪文とトッカータ』『トーチ・ダンス』『ドリーム・ジャーニー』などが模倣していますし、近年でもマット・コナウェイ Matt Conaway『呪文とアフリカの踊り』Invocation and African Dance (2012) やマイケル・スウィーニー Michael Sweeney『プレリュードとパースィート』Prelude and Pursuit (2012) などの作品からオマージュを捧げられています。

*13:出なかったかもしれません。同時期の『ブルーレイク序曲』Blue Lake Overture (1971) は明快なテクスチュアとオスティナートが印象的なC. ウィリアムズ風の秀作、トランペット協奏曲 (1972) は楽章ごとの表現のバラエティが特徴的です。

*14:『呪文と踊り』は加養浩幸/航空自衛隊西部航空音楽隊 (CAFUA, 2005) 、『朝鮮民謡の主題による変奏曲』は大井剛史/TKWO (ポニーキャニオン, 2017) も選択肢としてありです。