39-40. ヴァン・デル・ロースト:アルセナール / カンタベリー・コラール

ベルギーのヤン・ヴァン・デル・ロースト Jan van der Roost (1956-) も、ヨーロッパの吹奏楽界に一時代を画したスターと言える存在です*1。ヨーロッパのバンド作曲家の常として、コンサートバンドだけでなく英国式ブラスバンドにも大小問わず作品を提供していますが、イギリスのスパークなどと比べると比率はやや少なく、代わりにベネルクス諸国の状況を反映して80年代からファンファーレオルケスト*2の分野に取り組んでいます。

彼の初出版作品は、大学在学中に書いた金管五重奏のための『プロヴァンス民謡集』Provencaalse Volksliederen (1979) です*3が、本格的に作曲家としての知名度が上がったのは当時新興だった(1983年設立)オランダの出版社、デ・ハスケ De Haske から発表された吹奏楽曲、『リクディムRikudim (1986) 『プスタPuszta (1988) *4スパルタクスSpartacus (1989) といった作品が人気を博してからでしょう。ヴァン・デル・ローストに限らず1980年代から90年代にかけてヨーロッパで吹奏楽作曲家の勢力図が大きく塗り替わっていったのには、Mitropa (1989設立) 、Obrasso (1991設立)、Hafabra Music (1993設立)、 Beriato (1996設立) などのバンド音楽に軸足を置く新しい出版社が続けて生まれたのも影響していそうです。デ・ハスケの創業者であるヤン・デ・ハーン Jan de Haan (1951-) とその弟のヤコブ・デ・ハーン Jacob de Haan (1959-) も作曲家として有名で、ヤンは『バンヤ・ルカ』Banja Luka (1995) や『新時代への序曲』Overture to a New Age (1995) など比較的大がかりで重厚な作品、ヤコブは『ロス・ロイ』Ross Roy (1997) や『コンチェルト・ダモーレ』Concerto d'Amore (1995) などポップで人なつこい作品を軸として知られています。

ヴァン・デル・ローストは比較的引き出しの多い作曲家です。ごく初期の作品群を概観してみても、人気作であり続編的な性格の作品群もある『リクディム』や『プスタ』はブラームスドヴォルザーク、リストなどの作例を思い出す19世紀ロマン派そのものの手つきで民俗的な題材を扱った作品ですし、同じ舞曲集でも『4つの古い舞曲』Four Old Dances (1986) はルネッサンス時代を夢想する旋法的で擬古的な筆致、『ブラジリアーナ』Brasiliana (1987) は軽妙なダンス音楽です。ピアノのためのディヴェルティメント (1983) は20世紀前半に開拓された和声語法を活用してかなりとらえどころのない響きが聴かれますし、ブラスバンドのための『ストーンヘンジStonehenge (1992) やレスピーギにオマージュを捧げたという*5スパルタクス』ではリズムを強調した鋭角的な楽想も登場します。これらにまして、たとえば『フラッシング・ウィンズFlashing Winds (1989) や『オリンピカOlympica (1993) 、ブラスバンドのための『エクスカリバーExculibur (1988) などで見せた、一足先に世に出ていたスパークたちからの流れを汲み、ヨーロッパ的な稠密さにアメリカ的な解放感、ポップさが加わった汎大西洋的な様式とでもいうべきものは、くぐもりを持った純ロマンティックな面*6と並び彼のパブリックなイメージの一角を担っているとともに、ヴァン・デル・ロースト個人のものにとどまらず多くの作曲家たちの範になっていると思います。

スパルタクス』や『ストーンヘンジ』、『モンタニャールの詩』(山の詩)Poème Montagnard (1996) のような大規模な作品ともなれば、山あり谷ありのスペクタクルを表現するため一曲のなかでこれらが同居するさまが聴きものになります*7。あえて彼の作品に広く共通するものを挙げるなら、重心が低く目の詰まった、シンフォニックな吹奏楽の響き*8や、どこかに真剣さの苦みのようなものがあり、19世紀ドイツ語圏からの距離で測られるいわゆる「クラシック」の歴史に自分をつなぎとめようとする姿勢でしょうか*9

ここまで挙げてきたほかにも、『ダイナミカ』Dynamica (1996) 、『クレデンティウム』Credentium (1998)『シンガプーラ組曲Singapura Suite (1998)『マンハッタン・ピクチャーズ』Manhattan Pictures (1994)『セント・マーティン組曲St. Martin's Suite (1992/1992) 『アマゾニア』Amazonia (1990) など有名作と目される作品はいくらでも挙がってきますし、『いにしえの時から』From Ancient Times (2009/2010) 『オスティナーティ』Ostinati (2011/2012)『グロリオーゾ』Glorioso (2017) のような比較的最近の力作も聴いておくべきで、大作の『シンフォニエッタ「水都のスケッチ」』Sinfonietta "Suito Sketches" (2001) やシンフォニア・ハンガリカ』Sinfonia Hungarica (2000) がないと始まらないだろうという気持ちもあります*10。ですが『アルセナール』Arsenal (1995) カンタベリー・コラール』Canterbury Chorale (1991) の2曲を挙げるのは、あらゆる手段を注ぎこんだ力作群以上に、小規模な作品を押しも押されもしない定番のコンサートピースとして送り込んでいることに、ヴァン・デル・ローストを人気作曲家にした地肩の強さのようなものを見たいからです。イギリス風のマーチのシリーズである最初期の『セレモニアル・マーチ』Celemonial March (1986) と『アルセナール』には神話絡みの名前を冠した『マーキュリー』Mercury (1991) や『オリオン』Orion (2000) などが続き、『カンタベリー・コラール』には『アントワープ賛歌』Hymnus Antverpiae (1993) 『アダージョAdagio (2006) 『希望の歌』Song of Hope (2011) といったゆったりしたテンポの作品が続いて、どれも広く愛されています。

録音は数えきれないほどありますが、ヴァン・デル・ロースト/大阪市音楽団盤 (Fontec, 2002) が有名作を揃え、最初の一枚として強く薦められます*11。大作2曲を入れたヴァン・デル・ロースト/フィルハーモニック・ウインズ大阪盤 (NAXOS, 2014) をこれに加えれば一応この作曲家を聴いたと言えるのではないでしょうか。さらに進むならデ・ハスケから出ているコンピレーションが効率的。ここまでの補完になるVol. 2 (De Haske Records, 1990) や目立たない秀作が並ぶVol. 6 (De Haske Records, 2009) などが良いです。

ヴァンデルロースト:交響詩「スパルタクス」

ヴァンデルロースト:交響詩「スパルタクス」

 

 

*1:同じベルギーでは、すこし上にヤン・ハーデルマン Jan Hadermann (1952-) 、すこし下では『7インチ・フレーム』7 Inch Framed (1986) や『エル・ゴルペ・ファタル』El Golpe Fatal (1989) で日本にも紹介されたディルク・ブロッセ Dirk Brossé (1960-) 、『マルテニッツァ』Martenizza (1993) や『シリム』Shirim (1998) などで紹介されたピート・スウェルツ Piet Swerts (1960-) といった面々が知られており、現在の創作隆盛につながる流れを盛り上げていました。

*2:ベルギーとオランダでは吹奏楽ブラスバンドと並んで HaFaBra (Harmonie, Brass, Fanfare) と総称されるほど定着した扱いですが、他地域とは認知度にかなりの差があり、ハリー・ヤンセン Harrie Janssen (1960-) やマルク・ファン・デルフト Marc van Delft (1958-) 、ヤン・ボスフェルト Jan Bosveld (1963-) などファンファーレ分野に(も)力を入れる作曲家の認知にも影響しているだろうと思います。

*3:版元となったベルギーの J. Maurer Edition Musicale は、金管楽器を中心に小編成作品を出版していました。

*4:2曲とも原型は室内オーケストラ編成。『プロヴァンス民謡集』が吹奏楽のための『プロヴァンス組曲』(1989) に書き換えられたのも同様です。

*5:ローマつながり。ただし実際のサウンドは、『ベン・ハー』や『スパルタクス』といった史劇映画の音楽への接近や、奴隷たちの出自を反映した東洋風の音階が前面に出ています。

*6:ベルギーの先行世代の作曲家たちがおしなべてフランス音楽との距離が近いのに対して、彼に東方向、ドイツ音楽への指向が感じられるのは、まさかフラマン語圏の出身だからというわけではないでしょうが。

*7:そもそもデビュー作や、その吹奏楽版である『プロヴァンス組曲Suite Provençale (1989) からして、これらの要素を貪欲に混交させた作品でした。

*8:前述の『ディヴェルティメント』や "Per Archi" (1993) 、『シンフォニアSinfonia per Orchestra (2013) などバンドを離れた作品は聴感が違ってきますが、語法自体はそこまで大きく変わっているわけではなく、編成の違いによる響きの変化がかなり大きく作用しているように感じます。

*9:これらもまた、後の世代の作曲家たちに受け継がれているものだと思います。

*10:ケベックKebek (2006) 『コンコルディアConcordia (2006) のようなあまり注目されない作品も楽しめます。

*11:ただしアンコールの『アルセナール』はかなり意欲が前に出た演奏なので、丸谷明夫/なにわ《オーケストラル》ウィンズ (ブレーン、2007) の演奏も推薦しておきます。