03-04. グレインジャー:リンカンシャーの花束 / アイルランド、デリー州の調べ

パーシー・グレインジャー Percy Aldridge Grainger (1882-1961) はホルストたちと同様にイギリスの民謡からの影響をしばしば見せるものの、出身地であり幼少期を過ごしたのはオーストラリア、留学したのはドイツ(フランクフルト)、キャリアを築いた時期の拠点はイギリス、そして最も長い時期を過ごした (1914 - 1961) のはアメリカとその背景はなかなか複雑です。特に吹奏楽との関わりを考えるとき、後半生をアメリカで暮らしたことは大きなトピックに思えます。移住直後に軍楽隊を経験し、ゴールドマンやフェネルとも直接親交を持ち*1、実際に吹奏楽のためのスコアは大部分がアメリカで書かれているという意味で。

グレインジャーが初めて吹奏楽作品を手掛けたのはイギリス時代のこと、ホルストと同時期で『第一組曲』よりも前です。その行進曲『ワムフレーの若者たち』The Lads of Wamphray (1905/rev.1937) は、現在聴けるのは作曲からかなり間を置いて出版されたバージョンですが、この作品からもグレインジャーの音楽の特質はよくわかります――民謡からの影響を取り入れた節回し、ヴィヴィッドな音色感、変幻自在のリズムや和声、野放図に動き回る対位旋律、そして弾けんばかりのエネルギーとふとよぎる憂愁。

グレインジャーの音楽への民俗音楽の影響は一聴して明らかです。民謡に関わる合唱作品は多いですし、既存の民謡を扱った作品以外でも、『シェパーズ・ヘイ』*2 Sheperds Hey (1918) や『岸辺のモリーMolly on the Shore (1920) のように、民謡風の旋律やダンスのリズムを取り入れた作品は多岐にわたります。民俗音楽に傾倒し、ドイツ流、いわゆるクラシック的な構築から離れたことは、数分程度のミニアチュアばかりを残して体系的な評価が難しくなる理由にもなりました。

音色の探究はグレインジャーの最も重要な特質とさえ言え、一曲について大量の編成違いのバージョンを作ったことからも、既存の作品に違った音色を与えることをきわめて創造的な行為ととらえていたのがうかがえます。個別の楽器では、クラリネットの滑らかな音色ではなくダブルリードやソプラノサックスの特徴的な音色を偏愛し、ガムランへの傾倒から鍵盤打楽器 "tuneful percussion" を多用したきらきら、がちゃがちゃしたきわめて特徴的な楽器法を見せています。前者は『ヒル・ソング1』Hill Song I (1901-1902) の野性的ともいえる響きに、後者は『子供のマーチ「丘を越えて彼方へ」』Children's March, "Over the Hills and Far Away" (1919) や、ドビュッシーの『パゴダ』の常識破りの編曲 (1928) に結実しました。十数分を要する後期の力作の『ローマの権力とキリスト教徒の心』The Power of Rome and the Christian Heart (1947) はゆったりした音楽が続き、オルガンを加えた吹奏楽の多彩な音色をじっくり聴かせてくれます。

リズムや和声の自由さは、アバンギャルドとしてグレインジャーを評価する上での重要な観点です。民謡関連の作品では原曲の節回しを再現するための変拍子が頻発し、一見規則的な拍子の作品でもフレーズの区切りの複雑さは特筆すべきものがあります。同様に、調性を放棄することは基本的にありませんが、頻繁に半音階的な裏切りや、複調・多調による和声付けが現れて作品の色彩をさらに豊かにします*3。付け加えると、ピアノのためのケークウォーク『ダオメーにて』In Dahomey (1903)や、ガーシュウィンの『ポーギーとベス』による二台ピアノのためのパラフレーズ Fantasy にはジャズへの傾倒が現れており、これも独特の和声を生む原因になっています。

グレインジャー作品に現れる対位旋律は、しばしば主役を支えるというよりも茶々を入れるように動き、ときに主旋律を食ってしまうような独特の感覚があります。こうした表現が、音色の混ざりにくい管楽器合奏に合っていることは言うまでもありません*4。合唱と管弦楽のための『スコットランドのストラススペイとリール』Scotch Strathspey and Reel (1911) や、同様の合唱と管弦楽のための作品から吹奏楽に編曲された『民主主義の行進歌』Marching Song of Democracy (1948) には聴取不可能に近い対位法の重ねが見られます。

グレインジャーの作品を覆っているポジティヴな生気の爆発は、つねに憂いと隣り合わせにあり、ときに胸が締め付けられるような陰影をもたらしています。故郷オーストラリアへの思いを涙ながらに歌い上げる『コロニアル・ソング』Colonial Song (1919) の旋律が、奔放な馬鹿騒ぎの極みとでも言うべき『ガムサッカーズ・マーチ』The Gum-Suckers March (1942) にも顔を出すことによく表れているように思います。

グレインジャーのイメージをまず把握するには、民謡由来の2作を聴きましょう。1937年にアメリ吹奏楽指導者協会 American Bandmasters Association の委嘱で書かれたリンカンシャーの花束』Lincolnshire Posy はそれまでの民謡編曲の一つの集大成とも言える力作で、グレインジャーの色々な語法が注ぎこまれ、創意に満ち溢れたスコアリングは吹奏楽史に燦然と輝いています。

愛すべきコンサート・ピースのアイルランド、デリー州の調べ』Irish Tune from County Derry (1918) はいわゆる『ロンドンデリーの歌』の編曲で、比較的落ち着いた色彩の楽器法が用いられていますが、表情豊かにまとわりつく対位旋律にはグレインジャーの個性が反映されています。ちなみにグレインジャーは1920年にもまったく違う編曲を同じ題名で残しており、和声のあらぬ方向へ落ち込んでいくような逸脱、オルガンを加えた編成による音色の幅が、さらに特徴的な響きをもたらしています。

ジャンキン/ダラスWS盤 (Reference Recordings, 2008) はこれまで挙げてきた作品を含め主要な作品を網羅しており、選曲と演奏と録音が三拍子揃った、グレインジャーの吹奏楽作品に入門するための理想的な一枚です*5

それでは物足りなくなったらシリーズものも。レイニッシュ/王立ノーザン音楽大学WO盤 (Chandos, 1997/1998) は2枚にオリジナル作品全曲がまとまっており、いくらか緩いですが好演。エンゲセト/王立ノルウェー海軍バンド盤 (Naxos, 2018) は3枚ですが廉価版で、他作曲家の作品の編曲も網羅されているのが、グレインジャーの吹奏楽を扱う手際を知る役に立ちます。ただし演奏は威勢が良すぎて聴き疲れする感も。好き好きでしょう。

Lincolnshire Posy (Ocrd)

Lincolnshire Posy (Ocrd)

 
Grainger Edition-Vol. 4

Grainger Edition-Vol. 4

  • アーティスト:P. Grainger
  • 出版社/メーカー: Chandos
  • 発売日: 1997/05/20
  • メディア: CD
 
Grainger: Complete Music for Wind Band Vol. 1

Grainger: Complete Music for Wind Band Vol. 1

  • アーティスト:Bjarte Engeset
  • 出版社/メーカー: Naxos
  • 発売日: 2018/01/12
  • メディア: CD
 

*1:アメリカでの重要な友人にはヘンリー・カウエルもいます。アイヴズたちとのつながりで語られることの多い作曲家ですが、獄中で作曲された『ケルティック・セット』Celtic Set (1939) や、『賛歌とフーギング・チューン』Hymn and Fuguing Tune 第1番 (1943) 、Shoonthree (1943) といった吹奏楽作品にグレインジャーとの共通性を見出すのはたやすいでしょう。

*2:"羊飼いのヘイ" とも。この作品に限らずグレインジャー作品の題名は総じて翻訳が難しいです。

*3:このへんは実際に交流があった先輩ディーリアスとのつながりを思わせるところで、二人はともにイギリスとアメリカに縁があり、ワーグナーグリーグへの傾倒も共通しています。

*4:ルンデル/王立ノーザン音楽大学WOがまとめて録音している (CHANDOS, 2007) 吹奏楽のための編曲集では、ポリフォニックな作品ばかりが選ばれています。

*5:他のジャンルを含めたグレインジャー入門ならラトル/バーミンガム市響盤 (EMI, 1999) か、ペネロピ・スウェイツ他による複数台のピアノのための作品集 Grainger Edition 10: Works for Pianos (Chandos, 1999) を勧めます。ラトル盤には『リンカンシャーの花束』も収録。