14. パーシケッティ:ディヴェルティメント

1940年代から始まっていた流れ*1が戦後、50年代になると本格化し、アメリカの作曲家たちによって吹奏楽のレパートリーは大きく拡大しました。そのなかでまず紹介するのがヴィンセント・パーシケッティ Vincent Persichetti (1915-1987) です。新古典的で、アカデミックな、シンフォニスト*2という立ち位置は同時代のアメリカでは何人もの例が浮かびます。しかし、ほかの面々がしばしばヒンデミット風の綿密に組み立てられたアンサンブルを要求し、表現としては爽快でヒロイックな感触を持っているのに対して、簡明な構造や大仰にならないウィットを指向するパーシケッティの態度はどこかストラヴィンスキーにも似て、やや独特のものがあります。

作品表を10本の管楽器のためのセレナード第1番 op. 1 (1929) で始めたようにパーシケッティは管楽器との縁も深く、1950年には最初のバンド作品『ディヴェルティメント』Divertimento, op. 42 を作曲します。

委嘱を受けずに書きはじめられたこの作品を初演したのは『木陰の散歩道』などのエドウィンフランコ・ゴールドマン(と後には息子のリチャード)率いるゴールドマン・バンドでした。1929年の大恐慌によって「バンド音楽の黄金時代」に終止符が打たれてからも、ゴールドマンのバンドは数少ない民間のプロバンドとして活動を存続させ、吹奏楽のために書かれた作品の初演*3や発掘*4、委嘱*5に精力を傾けていました。この時期、フェネルとイーストマン・ウィンド・アンサンブルの活動の成果を今見るとすでに存在していたレパートリーの再編成・整理という側面が強いのに対して、それ以上に新しいレパートリーの創出に力を注いでいた*6のがゴールドマンとゴールドマン・バンドでした*7。1942年6月21日には、当時珍しいバンドのための作品だけによるプログラムの演奏会を開いています。EWEと比べると現在いまひとつ認知度が低いのは録音の事情もあるでしょう。ゴールドマン・バンドも相当数の録音を残していますが、広く流通した音源はマーチ中心ですし、そのほかもEWEの先進性を打ち出したアルバム群に比べるとやや前の時代に寄った選曲の地味さは否めません。

バレエのためにスケッチした音楽をもとにしたという『ディヴェルティメント』についてパーシケッティは、金管群・木管群・ティンパニが対話する冒頭部分を書いたところで、この作品に弦楽器は必要がないことに気付いた、と語っています。全体に軽快に作られた音楽で、和音と単旋律からなるシンプルな作りの場面が支配的ですが、和声やリズムのひねりによって単調さを避けています。オーケストレーションはやや分厚く大づかみなものの(この時代までの吹奏楽作品の多くに共通する点です)、打楽器*8も含めた音色の交代は効果的で、ソロの生かし方も堂に入っています。

その後パーシケッティは吹奏楽との関わりを続け、合唱の入る『セレブレーション』Celebrations, op. 103 (1966) を含めて15曲をバンドのために残しました。上述したようなバンド書法の特徴は、他の作品でも大きく変わることがありません。『ディヴェルティメント』と似たコンセプトながらさらに凝縮されたセレナード第11番 op. 85 (1960)、親しみやすさと柄の大きさを両立させた詩篇Psalm, op. 53 (1952) や『ページェント』Pageant, op. 59 (1953)、著書「20世紀の和声法」のための譜例を取り入れた変奏曲である力作『仮面舞踏会』Masquelade, op. 105 (1965)、次第に晦渋に変化していった後期のスタイルが現れているパラブル第9番 Parable IX op. 121 (1974)、そして忘れてはいけない記念碑的な交響曲第6番 op. 102 (1956)  と、現在でもレパートリーとして取り上げられる作品が目白押しです。

ここまで挙げてきた作品が、コーポロン/ノーステキサス大学WS盤 (GIA Windworks, 2004) では1枚で聴けます。こうした新古典的な作品はしっかりと方向性が打ち出された演奏で聴きたいのですが、この録音は文句ありません。なお、この盤には入っていない『おお、涼しい谷間』O Cool Is the Valley, op. 118 (1971) や3曲ある「コラール幻想曲」のような静かな作品も、合唱の分野に多くの作品を残したパーシケッティにとっては重要な側面で、エイモス/ロンドン響管打楽器アンサンブルのこれも世評の高い盤 (Harmonia Mundi / NAXOS, 1994)で触れることができます。

パーシケッティ:ディヴェルティメント

パーシケッティ:ディヴェルティメント

  • アーティスト:エイモス
  • 発売日: 2006/06/01
  • メディア: CD
 

*1:これまで言及した作品のほかに、W.シューマン『5つの場面のニュースリール』Newsreel in 5 Shots (1941)、クレストン『レジェンド』Legend (1942)、M.グールド『ジェリコ』Jericho (1941)『バラード』Ballad (1946) など。ちなみに『レジェンド』と『バラード』は後述のゴールドマン・バンドのために書かれています。

*2:交響曲は9曲書いていますが、最初の2曲は自身によって破棄。

*3:グレインジャー『リンカンシャーの花束』ミヨー『フランス組曲』シェーンベルク『主題と変奏』など。

*4:ベルリオーズ『葬送と勝利の大交響曲』をはじめとするフランス革命期前後の作品、デ・ナルディス『宇宙の審判』Il Giudizio Universale (1878?) 、ミャスコフスキー交響曲第19番 (1939) などのアメリカ初演を行っています。

*5:アメリカの作曲家以外ではルーセル『栄光の日』A Glorious Day (1933) など。レスピーギ『ハンティングタワー』Huntingtower (1932) も初演団体は違いますがゴールドマン絡み。ラヴェルが作曲の約束を果たす前に亡くなってしまったというのは無念の極みです。

*6:「ゴールドマン・バンド」への改名前の1920年にはグレインジャーとヴィクター・ハーバートを審査員に迎えて「シリアスな」バンド作品のコンクールを開いていたといいます。

*7:言わずもがなですが、ゴールドマン・バンドの演奏会では編曲作品も取り上げられています。リチャード・フランコ・ゴールドマンはオリジナル作品・新作に取り組む理由として、「『レ・プレリュード』やチャイコフスキーの四番のフィナーレのような作品について、私が演奏しない理由は単純に、どれほどのバンドでもボストン交響楽団フィラデルフィア管弦楽団(...)に肩を並べる演奏はできないからだ。それに加えて、こういった作品はコンサートやラジオでオーケストラが十分な頻度で演奏していて、バンドで演奏する現実的な必要性はすべて削がれている」と発言しています。

*8:この作品の編成は控えめですが、交響曲第6番や『仮面舞踏会』などで活躍する複数台セットの太鼓(Alto/Tenor/Bass Drum 、Snare Drums)は後年一般的になるトムトムの用法を先取りしています。