01. ホルスト:吹奏楽のための第一組曲

グスターヴ・ホルスト Gustav Holst(1874-1934)の作曲した吹奏楽のための第一組曲 First Suite in E-flat for Military Band*1, Op. 28-1 (1909)は、続けて作曲された『第二組曲(1911/rev. 1922) とともに吹奏楽史の一つの画期として特別な扱いを受けています。各楽器の個性を生かした周到なスコアリング、一つの動機を基礎にし、対位法を多用した緊密な構築と均整のとれた形式、そして明快に進んでいく音楽の親しみやすさは、吹奏楽の「古典」「定番」「基本」として祀り上げられるにふさわしい達成を示しています。

セントポール女学院での定職に就くまえの若きホルストトロンボーン奏者として働いていて、シンフォニー・オーケストラの他にもオペラ劇場や軽音楽の楽団、吹奏楽団でも演奏していました。吹奏楽作品でも見せる管楽器への深い理解は、この時期に培われたものと考えてよさそうです。特にユーフォニアムのソロ・トゥッティ両方の場面での活躍ぶりは、いかにも金管バンドの国であるイギリスの作曲家らしいところです。

ほかにもよく考えてみると、ただの偶然でこれだけの作品が生まれたわけではないことがわかります。

初期のホルストワーグナーR.シュトラウスの影響を受け、半音階的な和声を取り入れたロマンティックな表現を追求していました。しかし20世紀に入るころから彼はしだいに、イギリスの楽壇の潮流に乗って民謡に興味を持ち、親友のヴォーン=ウィリアムズの影響で実地の民謡採集にも乗り出しています。

その結果として、続く『第二組曲』やそれと密接な関係にある『三つの民謡による行進曲*2Three Folk Tunes (1905? 11?) では実際の民謡をそのまま取り入れているわけですが、直接的な引用をしない作品でも、民謡調のおおらかな、ペンタトニック風の節回しがよく見られるようになります。この『第一組曲』や『マーチング・ソング』(1906, 吹奏楽編曲は1930ごろ) が好例です。そして開放的なメロディーの進行、旋法を取りいれた和声進行*3は、ワーグナー流の半音階的な音楽よりもはるかに管楽合奏に適しています。

ホルストはイギリスの作曲家であることを意識し、パーセルやウィリアム・バードなどの音楽の研究にも携わっていました。『第一組曲』が対位法を活用しながらも重苦しさを感じさせないのは、19世紀にしばしば範となったJ.S.バッハの目の詰まった音楽のほかにも、それ以前の音楽をホルストが参照先として持っていたからでしょう。彼は1928年にバッハのオルガン曲『ジーグ風フーガ』Fugue a la Gigue, BWV 577を吹奏楽編曲していますが、前の世代のエルガーが『幻想曲とフーガ』ハ短調 BWV 537を重厚な管弦楽のために編曲しているのと比べると、ホルストがきわめて軽快なこの作品を選んだことに意図を感じざるを得ません。

1910年代、ホルストシェーンベルクストラヴィンスキーの音楽との出会い、アフリカの音楽との出会い、神秘主義へのさらなる傾倒を経験し、有名な『惑星』がそうであるように後年の作品ではしばしば無調・複調的な要素が増していくことになります。晩年に書かれた『ハマースミス』Hammersmith: Prelude and Scherzo (1930) も一つの例でしょう。運動性にあふれたスケルツォ*4を持つこの作品は決してとっつきにくいものではありませんが、それでも緩徐部の体温の低い響きには深淵な世界が垣間見えます。結果として、二つの『組曲』はホルストの作風の明快な面が全面的に反映される時期に書かれたことになりました。

 

組曲』がすぐれた、広く受け入れられる吹奏楽作品になったのにはいくつか必然が働いていたわけですが、いい曲がかならず高く評価されると限らないのは誰もが知っているところです。『組曲』が今のような地位を獲得するには、フレデリック・フェネル (1914-2004) の存在が欠かせませんでした。

フェネルが1952年に結成した*5イーストマン・ウィンド・アンサンブル(EWE)は、100人級の編成も珍しくなかったシンフォニック・バンドの流れから距離を置き、オーケストラの部分集合としての管楽合奏の伝統と接続しようとするものでした。そのために、アメリカで形成されたバンド編成を意識しながらもクラリネット以外は基本的に各パート1人で演奏し、室内楽作品も含め作曲家の書いたスコア一つひとつに沿って編成を提供する、というコンセプトを掲げました。学術的に基礎づけられた吹奏楽の原点、と言われる所以です。

EWEが活動を展開するにあたり、二つの『組曲』を筆頭にしたホルスト吹奏楽作品はレパートリーの中核のひとつと扱われていました*6。もちろんその完成度の高さはひとつの理由だったでしょうが、それに加えて、教材として使うことのできる明快さがあったこと、そしてスコアの楽器編成(当時使われた楽譜はホルストの死後に出版された改変版でしたが)がEWEの最大編成によく当てはまり、「楽譜を前提に」という理念とバンドの伝統の接点にあったことが大きな理由だったでしょう。

フェネルが提唱したウィンドアンサンブルの理念そのものは、世界のすみずみまで定着したとは言いがたいのですが、その活動、特にMercuryレーベルに行った録音の影響力はすさまじいものがあります。『組曲』を筆頭に、EWEが録音したレパートリーはほぼそのまま受け継がれ、今に至るまであらゆる吹奏楽作品を代表する作品として扱われています。

 

第一、第二の両『組曲』を聴くには、やはりこの作品の評価の立役者となったフェネルとクリーヴランド・シンフォニック・ウィンズの録音 (Telarc, 1978) を勧めます。ただしフェネルの解釈は楽譜の改変を含むかなり個性の強いもので、ほかの演奏も聴く意味があるでしょう。名作だけあって多数の録音がありますが、Aadland/ノルウェー国軍軍楽隊 (Simax, 2000) はもっとも完成度の高いものの一つだと思います。

 

Ste 1/2/Fant/Royal Fireworks

Ste 1/2/Fant/Royal Fireworks

  • アーティスト:Holst,Handel,Bach
  • 出版社/メーカー: Telarc
  • 発売日: 1990/10/25
  • メディア: CD
 
Staff Band of the Norwegian Armed Forces

Staff Band of the Norwegian Armed Forces

  • アーティスト:Grainger,Schmitt,Holst
  • 出版社/メーカー: Simax
  • 発売日: 2000/06/28
  • メディア: CD
 

*1:日本では、1969年にフェネル/EWEの演奏がコンピレーションシリーズ「世界のブラスバンド」の一環として紹介されたときは「バンドのための~」表記、フィリップスから遅くとも1975年に発売された元盤どおりの収録曲のLPでは「吹奏楽のための~」になっています。この直接の根拠になったわけではありませんが、"Military Band" は厳密に「軍楽隊」を指すわけではなく、特にイギリスでは木管入りのウィンドバンドを金管バンドから区別するためにも使われ、たとえばホルストが『ハマースミス』を書いたBBCの放送吹奏楽団は "BBC Wireless Military Band" を名乗っていましたし、"The London Civic Military Band" なる楽団も当時あったようです。

*2:『三つの民謡』とも。ホルスト最初の吹奏楽作品とされることもあります。

*3:この時期ホルストは、ラヴェルドビュッシーの音楽にも出会っていました。

*4:短くリズミックな動機を対置して組み上げていく書法は、50年代以降のアメリ吹奏楽の新古典的な展開を先取りしていたと言えるかもしれません。近い時期の作品でも、アマチュアを念頭に書かれた弦楽のための『ブルック・グリーン組曲』(1933) やブラスバンドのための『ムーアサイ組曲』(1928) などは『組曲』と同様伝統に近い作風で、20年ほどの期間でウィンドバンドに対するホルストの認識は深化/変化していたということでしょうか。

*5:打楽器奏者として、高校のバンドでドラムメジャーを務めたフェネルは、大学入学前の音楽キャンプでスーザの指揮で演奏し、イーストマン音楽院(ロチェスター大学の音楽学部)に入学したあともフットボールの応援のためのバンドを結成。それが校長のハワード・ハンソンの目に留まり、1935年からは屋内で演奏するシンフォニー・バンドを指揮者として率いることになります。そしてヨーロッパへの留学や教授職への就任を経てのEWEの設立、というのが前史です。シンフォニーバンドはその後も存続し、1975年にドナルド・ハンスバーガーによって1パート1人を基本とする Eastman Wind Orchestra に改組されます。

*6:戦前からアメリカでもレパートリーとして取り上げられてはいたようで、EWEが真っ先に録音したのが(ある意味彼らの可能性の中心である) 小編成の管楽作品ではなくこの曲などバンド編成の作品だったのは、既存のバンド市場にアピールする商業上の理由もあったようです。それでもEWEが演奏会でいちばん取り上げた作品の一つですし、著書『ベーシック・バンド・レパートリー』での褒めようを見ると本気で大事に扱っていたのは確かだと思います。