44. シェルドン:マナティー・リリック序曲

技術的難易度を抑えた作品を主な活動分野とする作曲家としてはロバート・シェルドン Robert Sheldon (1954-) も、大学で音楽教育学の学位を取得し、公立学校での音楽指導からキャリアを始めています。その後バーンハウス社から1981年に『フォール・リヴァー序曲』Fall River Overture を出版し、スウェアリンジェンの後輩としてデビューします。年数曲をコンスタントに発表する本格的な活動が始まるのは80年代後半からで、とくに知られた作品の一つであるマナティー・リリック序曲』Manatee Lyric Overture (1986) はその流れの先頭に位置します。

その作風の中軸は、スウェアリンジェンまでに確立した、ポピュラー音楽と親和性のある和声とリズムの上に親しみやすいメロディーが乗る新しくも伝統的なもの*1をベースにしていますが、80年代のスウェアリンジェンの作風がある種大胆なシンプルさによるインパクトを備えていたのに対し、輝かしい『マナティー・リリック序曲』や『飛行の幻想』Visions of Flight (1990) 、軽快な『南西部の伝説』Southwest Saga (1987) といった初期の作品に見られるように、こちらの書法は流麗でかなりきめが細かく、「伝統的」な側、ロマンティックな価値観に寄ったものです。

そもそもシェルドンは、学生時代に書いたという『ディヴェルティメント』Divertimento (1976/rev.2021) しかり、早い段階で発表された『ダンス・セレスティアーレ』Danse Celestiale (1989) しかり、奏者にかなり高い要求をする作品も相当数発表している作曲家です。日本では90年代に一度受容が鈍り、2000年代後半に(控えめながら)また注目が向けられるようになるのですが、そのときのきっかけも『メトロプレックス』Metroplex: Three Postcards from Manhattan (2006) というかなり音数の多い作品でした。そうした作品(そして、先人たちの試み)で用いられた幅の広い表現をどのように奏者への負担を減らしながら落とし込むかが、彼の作品においては重要な課題になっていると考えていいでしょう*2

豊かな表現、ということでは、しばしば見せる特定の作曲家や様式のパスティーシュもその作品群にバラエティをもたらしている要素です*3グレインジャーにオマージュを捧げた*4『ロングフォードの伝説』A Longford Legend (1998) や In the Shining of the Stars (1996) 、ホルストヴォーン=ウィリアムズを思わせるイギリス民謡使いで始まる『シャンティ』Chanteys (2000) 、R.シュトラウスを意識した Der Lehrmeister (2017) 、スペイン調の伝統に乗った『イベリアン・エスカペイド』Iberian Escapades: The Villas of Boca Raton (2009) 、ポピュラー音楽を直接的に参照した『メトロプレックス』や『キューバ舞曲』Danzas Cubanas (2010) 、といった具合です。急-緩-急の三部形式を離れてドラマティックな展開を見せる『消えた居住地』Lost Colony (1994)『幽霊船』Ghost Fleet (2001) のような作品も一種の「装い」ということになるでしょうか。奏者に配慮した書法の可能性を着実に追求する書きぶりは近作に至っても安定しており、前記事で挙げた後続の作曲家たちと並んで、この分野に貼りついたある種のイメージを書き替えてくれます。

 

マナティー・リリック序曲』の録音としては比較的手に入りやすいところでフェネル/TKWO盤 (日本コロムビア、1998) を。さらに聴き広げていくのはネット上に出版社が公開している録音を辿っていけば容易に可能ですが、個展ディスクとしてまとめて聴くのなら、Alfred Music にメイン出版社を移して以降、2000年代後半の作品を集めた一枚 (Bell Music Press, 2009) がその作品の広がりを知るという意味で便利です。

*1:急-緩-急の基本構造も、"シンフォニック"な表現も含まれています。

*2:その意味ではスウェアリンジェン同様、作曲者の創意がもっともよく現れるのは制限の多いグレード2以下の作品で、『イーグル・マウンテン序曲』Eagle Mountain Overture (1990) 『クレスト・オブ・ノビリティ』Crest of Nobility (1989)『ホークアイ序曲』Hawkeye Overture (2017)『夜のとばりが降りる』As Twilight Falls (2011) などではそれぞれの条件に従って見事な回答を見せてくれます。

*3:なりきりぶりを楽しむ、というよりは本来の語法と混合したある種の国籍不明感に楽しみがあります。Phrygian Phantasy (2003) に始まる計4作の教会旋法シリーズのような作曲上のコンセプトを全面に出した作品と並べて考えるといいのかもしれません。

*4:F音が途切れずに鳴りつづける『ウエスト・ハイランドの想い出』West Highlands Sojourn (1993) 第3楽章もグレインジャーの『不動のド』The Immovable Do (1933/1940) が発想元になっているといいます。シェルドンは『ウォーキング・チューン』Walking Tune (arr. 2020) や『スプーン・リヴァー』Spoon River (arr. 1999) の吹奏楽編曲も行っています。