41. デ・メイ:交響曲第1番『指輪物語』

80年代に入る前後からオランダで次々名前を広めていった作曲家たち*1のなかでも、ヨハン・デ・メイ Johan de Meij (1953-) が吹奏楽の編曲*2からキャリアを始め、初めて書いたオリジナルな大規模作品である交響曲第1番『指輪物語Symphony No. 1 "Lord of the Rings" (1984-88) がアメリカで賞を受け、個人出版社を立ち上げて出版し順調に再演を重ねる、というサクセスストーリーは強烈な存在感を放つ作品自体とともに有名になっているものと思います。

この作品では、ロマン派の伝統につながるダイナミックな劇性や、作曲当時は珍しい楽曲の規模もそうですが、ワーグナーと類比されたというシンフォニックなサウンドが何よりの特徴です。同時にその響きは風通しのいい、ヴィヴィッドなもので、同族以外の楽器との重ねには慎重で、使う場合にも「混合色」であることを意識して室内楽的な場面を選んだり、混合しすぎず主従関係が明確になる音色を選ぶなど、注意が払われています*3。それをダイナミックに「鳴らす」ことを考えると個々の楽器にとっては過酷な場面も現れますが、デ・メイが接してきたヨーロッパのバンドは100人級の大編成も珍しくなく、大音量自体が課題にはならないことを考えると、こうした書法にも納得がいきます。

選ぶ音色自体への意識に加えて、合奏に遠近感を与える書法も特徴的です*4。「指輪物語」では特に中間の3つの楽章に顕著ですが、伴奏が旋律を"支え"ながら同期して動いたり、対位法的に"縦に"声部が積み上がったりという形を取らず、あまり和声進行せずに細かい反復音型で埋められた「背景」に、音色によってはっきりと対比された各声部が配置されていく作りがデ・メイの書法の中核であり、ヨーロッパ好みの分厚い「鳴り」とクリアな音響が両立している理由だと思います。

もともと、単一の三和音や音階を基調にしたシンプルな素材を、反復が基調のシンプルな方法で展開させていき*5、そこにヴィヴィッドな音色で命を吹き込むのが身上だったデ・メイですが、交響曲第2番『ビッグ・アップル』Symphony No.2 " Big Apple" (1991-1993) ではっきりとジョン・アダムズや同じオランダのルイ・アンドリーセン*6を参照したことで、ミニマル音楽との接点がにわかに浮かび上がってきます*7。ピアノを含む鍵盤打楽器を好み、旋律楽器に反復音型を演奏させて空間を埋めていくミニマル音楽の楽器法も、もともとデ・メイが試みていた手法に近いものでした。交響曲第3番『プラネット・アース』Symphony No.3 "Planet Earth" (2006/2007) をはじめとする以降の作品でも同様の音響は活用されていますが、はじめ管弦楽のために書かれ吹奏楽に編曲されたこの作品やのちに管弦楽に編曲された交響曲第1番、第2番において、編曲前と編曲後の音響イメージに大きく変わりがないのは、デ・メイのシンフォニックな吹奏楽書法の確かさを表しているものでしょう。

ファンファーレオルケストのための『ペンタグラム』Pentagram (1990) を編曲した『クインテセンザ』Quintessenza (1998) 、ブラスバンドのために作曲され*8、のちにコンサートバンドに編曲された『エクストリーム・メイクオーヴァー』Extreme Makeover (2004/2006) はシンプルで耳に残る素材と反復中心の書法が、ブロック的な構造と結びついて印象的な作品になっていますし、トロンボーン協奏曲『Tボーン協奏曲』T-Bone Concerto (1996) や『2ボーン協奏曲』Two-Bone Concerto (2016) はそこに旋律性が加わります。一方、チェロ協奏曲『カサノヴァ』Casanova (1999) や交響曲第4番『歌の交響曲Symphony No.4 "Sinfonie der Lieder" (2013) には『ネス湖Loch Ness (1988) や『指輪物語』といった作品に通じる劇的な性格が導入され、世紀転換期のロマンティックな音楽との連続性をほのかに漂わせています。

音響そのものへの関心は近作ではさらに発展していて、『プラネット・アース』では電子音響が、『サンマルコのこだま』Echoes of San Marco (2016) や組曲『オランダの巨匠たち』(ダッチ・マスターズ組曲Dutch Masters Suite (2008) などでは空間的な要素が導入され、『クラウド・ファクトリー』Cloud Factory (2011) や『ダ・ヴィンチDa Vinci (2019) といった作品では素材の単純化と音色への注力がさらに進んでいます。『フィフティ・シェイズ・オブ・E』Fifty Shades of E (2016) や交響曲第5番『中つ国への帰還』Symphony No.5 "Return to Middle Earth" (2018) はそうした探求と、伝統的な表現性がバランスした例と言えるでしょう。

 

いくらでも録音がある「名曲」で、この大曲に取り組もうというバンドならどれを選んでもそう変な演奏はしないとは思いますが、ひとまずイェンセン/デンマーク・コンサート・バンド Danish Concert Band 盤 (Rondo Grammofon, 1995) が響きの充実と表現の明確さを備えた演奏として推薦できます。さらに豊かな響きが味わえるフリーセン/トルン聖ミカエル吹奏楽団 (World Wind Music, 1997) 、シャープさが特徴のボナー/アメリカ空軍バンド (Altissimo, 1992) も挙げておきます。

指輪物語: Danish Concert Band

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T-Bone Concerto & The Lord of the Rings

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The Lord of the Rings

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*1:デ・ハーン兄弟、ロブ・ホールハイス Rob Goorhuis (1948-) 、ベルナルト・ファン・ブールデン Bernard van Beurden (1933-2016) 、キース・スホーネンベーク Kees Schoonenbeek (1947-) 、80年代末からの活躍になりますがエドゥアルト・デ・ブール(アレクサンダー・コミタス)Eduard de Boer a.k.a. Alexander Comitas (1957-)など。また、『アルマゲドン』Armaggeddon (1987) 交響曲第1番『ヴォイス・オブ・マインド』Symphony Nr. 1 "Voice of Mind" (1985) "Requiem for a captive Condor" (1992) Variazioni sinfoniche su "Non potho reposare" (2001) などで知られるハーディ・メルテンス Hardy Mertens (1960-) は80年代前半から活動し、デ・メイと近い時期に注目を浴びています。余談ですがメルテンスも同時期に『指輪物語』がらみのファンファーレ/ブラスバンド曲『アラゴルンAragorn (1987/1991) やファンファーレオルケスト曲『アイヌア』Ainur (1987)を書いています。

*2:オペラ座の怪人』『モーメント・フォー・モリコーネ』などモレナール Molenaar社のための編曲作品群は今でも演奏が重ねられています。

*3:サドラー賞の前後の受賞作を見ても、フサのウィンドアンサンブルのための協奏曲、コルグラス『ナグアルの風』、管楽オーケストラにサックスとユーフォニアムを入れた編成のニコラス・モー『アメリカン・ゲームス』American Games (1991) 、ネルソン『パッサカリア』と「ウィンド・アンサンブル」指向の作品が多く、音色のクリアさが大きな課題だったのがうかがえます。

*4:H.O.リードの交響曲『メキシコの祭り』 のときも似たようなことを書きました。

*5:単一の主題を伴奏や音色の変化だけで彩っていくいわゆるロシア的変奏法を実践した『指輪物語』の第5楽章はまだかなり伝統的で、限られた素材と手段だけで構成された第3楽章などにのちの展開の萌芽が見えます。三和音的な主題はその第5楽章のほかに、『Tボーン協奏曲』や組曲『オランダの巨匠たち』などに例があります。三和音(とその付加和音)への執着は、デ・メイの作品の響きの良さにもつながっていそうです。

*6:『ビッグ・アップル』作曲当時のデ・メイはアンドリーセンが設立したアンサンブル Orkest de Volharding にトロンボーン奏者として参加していました。

*7:ベッドフォード『波濤にかかる虹』(1984) のような例はありますが、吹奏楽におけるミニマル音楽の参照としてはかなり早い部類でしょう。もっとも、それまでのミニマル音楽の展開からするとアダムズやアンドリーセンの作品は豊富な素材を使う「マキシマル」な存在で、伝統的な書法から単純化が進んでいたデ・メイとここでかち会ったと言えそうです。アダムズの作品も吹奏楽編曲で親しまれているほか、『グランド・ピアノラ・ミュージック』Grand Pianola Music (1981) や Scratchband (1996) 、シェーンベルクに倣った室内交響曲 (1992) など管楽中心の作品があります。

*8:デ・メイの作品はコンサートバンド編成に集中しており、ファンファーレオルケスト編成は『ペンタグラム』以降しばらく空き、ブラスバンド作品を手がけたのはこれが最初です。