ex. 戦後ヨーロッパの吹奏楽作品

戦前に書かれた曲にはジャンルの核となる吹奏楽作品が並ぶヨーロッパですが、1940年代あたりからレパートリー創出の中心は完全にアメリカに移り、管楽合奏・管楽オーケストラ作品*1を除くと寂しい状況が続くことになります。――という話をもう少し細かく言うなら、吹奏楽文化の発展そのものはヨーロッパでも進んでおり、もちろんバンド作品は存在するし、無視できるような数でもないのですが、継続的なレパートリー形成が行われていったアメリカに比べると、どうしてもとぎれがちな流れや、あるいは現状見えにくくなっている流れをどうにかたどっていく作業になります。そのような(いまの視点からは靄の中にある)状況が終わり、現在見るようなヨーロッパ吹奏楽界ができあがっていくのは、場所や作曲家によって多少の差はありますが、1970年代末から1980年前後に一つの分水嶺があると考えると見通しがよくなると思います*2

以下、すべてを網羅することは望むべくもないとはいえ、国ごとにこの時期の多少の輪郭をなぞっていくことにします。

 

フランスにはセルジュ・ランサン(ランセン) Serge Lancen (1922-2005) とイダ・ゴトコフスキー Ida Gotkovsky (1933-) という、どちらもほかの編成をメインにしながら60年代から吹奏楽の分野に関わり、二桁の作品を残している二人の大家がそびえ立っている*3分、他の事例がなかなか目に入らなくなってしまうのは否めないところです。ほかに知名度があるところでは、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の楽長を務めたロジェ・ブートリー Roger Boutry (1932-2019) や、パリ警視庁音楽隊 La Musique des Gardiens de la Paix, de la Prefecture de Police de Paris の楽長を務めたデジレ・ドンディーヌ Désiré Dondeyne (1921-2015) といった指揮者としても知られている面々あたりでしょうか。

ドンディーヌの友人だったランサンは、代表作『マンハッタン交響曲Manhattan Symphony (1962) をはじめ多くの作品をこのバンドのために書いています。この作品をはじめ初期の作品はドンディーヌが吹奏楽配置を担当していますが*4、そのうち自分で吹奏楽を扱うようになっています。ちなみに彼に限らず、ヨーロッパの作曲家はおしなべてバンドを管弦楽との類比で厚く、シンフォニックに扱う傾向があり、アンサンブル志向が大きな潮流になっていくアメリカと比較したときの特色になってきます*5

ランサンが比較的明朗な、風通しのいい音楽を志向するのに対し、半音階的で表現的、濃厚な表情を特色とするゴトコフスキーは、初期に手がけた交響曲 Symphonie pour Orchestre d'Harmonie (1962) に始まり、『炎の詩』 Poème du Feu (1978) 、吹奏楽のための協奏曲 (1984) 、『輝かしい交響曲Symphonie Brillante (1989) といくつかの作品がレパートリーとして広まっています。ランサンともども、作品の出版社であるオランダのモレナール社 Molenaar から作品集が出ていて有名作品には楽に触れることができますが、全貌をつかんでの体系的な評価にはまだ距離がありそうです。

 

北欧では、フィンランド*6の大物、エイノユハニ・ラウタヴァーラ Einojuhani Rautavaara (1928-2016) が『兵士のミサ』Sotilasmessu (1968) 『受胎告知』Annunciations, Concerto for Organ, Brass Group and Symphonic Wind Orchestra (1977) というバンド作品を残してくれている*7ほか、ゴールドマン・バンドの重要人物であるエリック・ライゼン Erik Leidzén (1894-1962) を生んだスウェーデンからは、エルランド・フォン・コック Erland von Koch (1910-2009) によるサクソフォン四重奏とバンドのための『サクソフォニア』Saxophonia (1976) や、ピアノ協奏曲第3番 (1970) が挙げられるでしょうか*8

なかでも1918年設立のノルウェーバンド協会 Norwegian Band Federation / Norges Musikkorps Forbund が現在まで存続し、60年代から全国規模のコンテストが開かれバンド文化の普及が頭一つ抜けていたノルウェーでは、クヌート・ニーステッド Knut Nystedt (1925-2014) の『エントラータ・フェスティーヴァ』Entrata Festiva (1972) などいくつかの作品や、エギル・ホーヴラン Egil Hovland (1924-2013) による『ファンファーレとコラール』op. 56a (1967) や『祝典序曲』Festival Ouverture, op. 39a (1962) 、オーラヴ・アントン・トンメセン Olav Anton Thommessen (1946-)『スタブサラベスク』Stabsarabesk (1974) などに演奏機会がありますし、ゲイル・トヴェイト Geirr Tveitt (1908-1981) がバンド協会のコンテストに応募した『シンフォニエッタ・ディ・ソフィアトーリ』(管楽のためのシンフォニエッタSinfonietta di Soffiatori (1962) や『古い水車小屋』Det Gamle Kvernhuset (1962)、アメリカのセント・オラフ大学バンドのために書いた『シンフォニア・ソフィアトーリ』Sinfonia di Soffiatori (1972) の落ち着いた情緒も特有の魅力を放っています*9。ほかの分野がメインで吹奏楽にも関わった作曲家の作品がぽつぽつ知られている、ということでは北欧諸国もフランスと同様と言えますが、このところは、その隙間を埋めるような歴史的レパートリーの掘り起こしも進みつつあります。

 

有名作曲家のレパートリー以外が残りにくい状況はソ連でも大きく変わるわけではありません。プロコフィエフの有名な行進曲 op. 99 (1945) と『体育祭行進曲』op. 69-1 を含む4つの行進曲 (1937) を筆頭に*10ショスタコーヴィチの『ソヴィエト民警行進曲』op. 139 (1970) 、グリエールの『10月革命20周年記念のための厳粛な序曲』op. 72 (1937) といった作品があり、なかでもハチャトゥリアンには『ソビエト警察隊行進曲』(1973) や『スターリングラードの戦い』(1949) などいくつかの作品の存在が知られています*11。Chandosレーベルで録音されたロジェストヴェンスキー/ストックホルムCB盤 (Chandos, 1996) とルンデル/王立ノーザン音楽大学WO盤 (Chandos, 2004) の2枚を揃えると、これらの作品に加えて、ミャスコフスキー交響曲第19番 (1939) や帝政時代のリムスキー=コルサコフによる3つの小協奏曲 (1877-78) というロシア/ソ連の主な吹奏楽作品を一望できます*12。とはいえ運よく西側にも存在が認知されたコジェフニコフの交響曲第3番『スラヴィアンスカヤ』(1958) やチェルノフの交響曲第1番『偉大なるロシア』(1972) 、サルニコフ Georgy Salnikov の諸作の存在を考えると、レパートリーが掘り起こされる余地は広大にありそうです*13

 

1951年から開かれている世界音楽コンクール (WMC) の開催地であるケルクラーデ Kerkrade を抱え、最古の民間吹奏楽団の設立は1775年と伝えられる、ヨーロッパ有数の吹奏楽大国である*14オランダですが、オランダ語外の体系的な情報源として、接しやすいところでは4枚からなる "Wind Music from the Netherlands" (NM Classics, 2005-2006) がひとまずのガイドになってくれます。

19世紀初頭に軍楽隊を率いたヤコブ・ラウヘル(ヤーコプ・ラウシェル)Jacob Rauscher (1771-1834) の作品から始まり、各楽隊の楽長がレパートリーを生み出すところへフェルフルスト、ディーペンブロックなど他分野の作曲家が散発的に参入した時代を経て、19世紀末ごろから吹奏楽に注力する作曲家が現われはじめてヘラルト・ブデイン Gerard Boedijn (1893-1972) などがモダンな響きを導入し、ピー・スヘフェル Pi Scheffer (1909-1988) 、ヘンク・ファン・レインスホーテン Henk van Lijnschooten (1928-2006)*15、キース・フラク Kees Vlak (1938-2014) 、ヘンク・バディングス Henk Badings (1907-1987) *16たちが新しい時代を準備し*17、そして1980年前後から現在見るようなオランダ吹奏楽界ができあがっていく、という歴史を聴き取ることができます。しかしこうやって長々と挙げてきたものの、現在の隆盛を前にして、80年前後より前の作品が一般的なレパートリーに入るにはこれからの状況の進展を待たなければならないでしょう*18

 

同じく18世紀後半に始まり高度に吹奏楽が発展したベルギーでは、ポール・ジルソン Paul Gilson (1865-1942) やアウグスト・デ・ブーク August de Boeck (1865-1937) が近代的な吹奏楽レパートリー創出の皮切りになりますが、その弟子世代であるジュール・ストレンス Jules Strens (1893–1971) やマルセル・プート Marcel Poot (1901–1988)らが結成したグループ Les Synthétistes*19、同じくジルソンの弟子のジャン・アプシル Jean Absil (1893-1974) が積極的に吹奏楽に関わったあとは、60年代から活動を始めたアンドレ・ウェニャン André Waignein (1942-2015) *20 やヤン・セヘルス Jan Segers (1929-) 、それに続くヤン・ヴァン・デル・ロースト Jan Van der Roost (1956-) あたりまでの世代は途端に手薄になります。現在のレパートリー創造の隆盛とはうらはらにこの時期の作品は(現地ですら)演奏機会的に断絶があるのもオランダと同様で、たとえば友人だったフランツ・シュミットの『ディオニソスの祭り』に触発されたというアプシルの『祭典』Rites (1952) や、『ルーマニアーナ』Roumaniana (1956) が知られているような場合は例外的で、ストレンスの『ダンス・フュナンビュレスク』Danse funambulesque (1930) が今世紀に入って急速に広まったように、大量のレパートリーがこれから発見されることを待っています。この3曲を収録したセヘルス/ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団の "Great Repertoire from the Belgian Guides vol. 1" (Hafabra Music, 2005) は強く推薦できます。

 

この時期、スイスの楽曲生産もオランダやベルギーに決して大きく引けを取るものではありませんが、国外にも伝わったレパートリーとなるとなかなか名前が挙がりません。楽曲掘り起こしの入口としては、Amosレーベルから個展CDが出ている面々――戦間期から力の入った作品を書き継いでいたシュテファン・イェキ Stephan Jaeggi (1903-1957) *21を筆頭に、主に戦後に活動したパウル・フーバー Paul Huber (1918-2001) 、ジャン・デトワイラー Jean Daetwyler (1907-1994) 、すこし時代が下ってジャン・バリサ Jean Balissat (1936-2007) といったあたりから入るのが手っ取り早いのかと思います*22

 

イギリスの状況はこのなかでやや独特で、バンド音楽内においてコンサートバンド/ウィンドバンドと並行して英国式ブラスバンドという強力な対抗軸が存在し、むしろこちらのほうが広く普及していたのが特徴的です*23。ただし、今でこそいくつかのバンド編成の相互乗り入れはありふれているとはいえ、イギリスでも作曲家たちの本格的な行き来が起きるのはコンサートバンドの活性化に伴ってのことで、コンサートバンドのレパートリーの歴史的な流れに断絶があるという点では結局ほかの国と同じかもしれません。

パーシー・フレッチャーの『労働と愛』Labour And Love (1913) 以降*24、コンテストのテストピースという制度を背景にして継続的にコンサートホール用レパートリーが形成されていった*25ブラスバンドとは対照的に、コンサートバンドについては、かつてホルストヴォーン=ウィリアムズが新しい分野に先鞭を付けたあと、戦後はゴードン・ジェイコブが孤塁を守る状況が長く続きます*26デレク・ブルジョワ、デヴィッド・ベッドフォード David Bedford (1937-2011) 、ジョセフ・ホロヴィッツ Joseph Horovitz (1926-)、ガイ・ウールフェンデン Guy Woolfenden (1937-2016) *27といった作曲家が吹奏楽作品を手がけはじめるのはやはり1980年前後になって、ティモシー・レイニッシュ Timothy Reynish 率いる王立ノーザン音楽大学が精力的に活動を始めたころからになります。

 

ここでは興味の対象をバンド音楽に絞り、管楽合奏についてはあまり触れない方針でいますが、それでもアメリカン・ウィンド・シンフォニー・オーケストラ (AWSO) の功績を素通りするわけにはいきません。ロバート・ブードロー Robert Austin Boudreau が率いて、EWEの後を追うように1957年から活動していたこの楽団は、大編成の管弦楽から弦を抜いた編成を採り、バンド編成と管楽アンサンブルの中間的な形態をとっています。かなり先鋭的な作品も含む400曲以上という委嘱の実績には、出版社のサポートという現実的な理由もあるでしょうが、オーケストラに慣れた作曲家にとっても扱いやすい編成だということがありそうです。

委嘱先は、ホヴァネスロバート・ラッセル・ベネット、デヴィッド・アムラム『リア王変奏曲』King Lear Variations (1965) のようなアメリカの作曲家はもちろんのこと、国外の作曲家の充実が見もので、中南米のヴィラ=ロボス*28ヒナステラ、ブローウェルたちもいますし、日本からも黛敏郎*29三善晃小山清茂和田薫が作品を提供しています。この稿のテーマでいうとやはりヨーロッパの作曲家の豊富さに目を向けたいところで、ロドリーゴアダージョ』(1966) *30やペンデレツキ『ピッツバーグ序曲』を筆頭に、カルロス・スリナッチ『異教徒イベリア人の讃歌と舞曲』Paeans and Dances of Heathen Iberia (1959)*31、アルチュニアンのトランペットのための狂詩曲 (1991) 、ボザ『子供の序曲』Children's Overture (1963)、オーリック『ディヴェルティメント』(1966)、カステレード『夏のディヴェルティスマン』Divertissement d'ete (1965) など、トン・デ・レーウ『管楽器のシンフォニーズ』Symphonies of winds (1963) 、ヘンク・バディングスのフルート協奏曲第2番 (1963) など*32、と並ぶ錚々たる顔ぶれは、これまで述べてきたように比較的限られた存在であるバンドレパートリーに対し補完的なものと見ることも可能でしょう。

ウィンド・オーケストラのための交響曲 Vol.1

ウィンド・オーケストラのための交響曲 Vol.1

  • アーティスト:木村吉宏
  • 発売日: 2009/04/22
  • メディア: CD
 
Russian Concert Band Music

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  • 発売日: 1996/04/23
  • メディア: CD
 
Wind Music From the Netherlands 1

Wind Music From the Netherlands 1

  • 発売日: 2005/10/24
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

*1:目立つものを挙げていくなら、メシアンの『われ死者の復活を待ち望む』Et exspecto resurrectionem mortuorum (1964) 『異国の鳥たち』Oiseaux exotiques (1956) など、クセナキス『アクラタ』Akrata (1965) 、ジョリヴェのトランペット協奏曲第2番 (1955) や『デルフォイ組曲Suite delphique (1943) 、オアナ『カンティガ』Cantigas (1953-54) 、ヴァレーズ『砂漠』Deserts (1954) 、シェルシ『アイオーン』Aiôn (1961) 、ルトスワフスキ『アンリ・ミショーの3つの詩』Trois poèmes d'Henri Michaux (1963) 、C.アルフテル『線と点』Líneas y Puntos (1967)『行列』Procesional (1974) 、B. A. ツィンマーマン『ユビュ王の晩餐のための音楽』Musique pour les soupers du Roi Ubu (1968) 『ある詩人のためのレクイエム』Requiem für einen jungen Dichter (1967-69)『ライン地方のキルメスの舞曲』Rheinische Kirmestänze (1962) など、ブソッティ『ラーラ・レクイエム』Rara Requiem (1969) 、ホリガー『プネウマ』Pneuma (1970) 、レヴィナス『呼び声』Appels (1974) 、デュティユー『音色、空間、運動』Timbres, espace, mouvement (1978/rev. 1990) 、編成を大きくしたバンドでの演奏も可能なカーゲル『勝利を逃すための10の行進曲 (10の敗戦行進曲)』Zehn Märsche um den Sieg zu verfehlen (1978) 、ベリオ『マニフィカト』Magnificat (1949/1971) 、レンドヴァイ・カミロのピアノのためのコンチェルティーConcertino for Piano, Winds, Percussion and Harp (1959) 、ブラッハー他の共作による『ユダヤ年代記Jüdische Chronik (1961) 、ヘンツェのピアノ・コンチェルティーノ (1949) 、バレエ『ウンディーネ』から「結婚の音楽」Hochzeitsmusik aus "Undine" (1957) 、『シチリアのミューズたち』Musen Siziliens (1966) 、K. A. ハルトマンの交響曲第5番『協奏的交響曲』(1950) 、ピアノ協奏曲 Konzert für Klavier, Bläser und Schlagzeug (1953) などなど。本稿の対象からは外れますが、時代が下るとファーニホウ『想像の牢獄III』Carceri d'Invenzione III (1986) や、シュトックハウゼン『ルツィファーの踊り』Luzifers Tanz (1983, 『光の土曜日』Samstag aus Licht 第3幕) のような作品が待っています。

*2:ムーブメントの中心地であるイギリスやベネルクス諸国とはすこし地理的に離れている(ドイツが仲立ちになったというのは考えられますが)東欧でも、ハンガリーのヒダシュ・フリジェシュ Hidas Frigyes (1928-2007) やラーンキ・ジェルジ Ránki György (1907-1992) 、チェコのズデニェク・ルカーシュ Zdeněk Lukáš (1928-2007) やパヴェル・スタニェク Pavel Staněk (1927-) たちが本格的に参入してくるのは70年代末から80年代ごろからなのが面白いです。

*3:二人はフランス国内にとどまらず、国外(特にオランダ)にも積極的に新作を提供しています。

*4:ドンディーヌは似た例としてタイユフェール『行進曲』(1976) Suite Divertimento (1977) の吹奏楽配置を担当しており、ほかにも歴史的レパートリーを含めた多数の(再)編曲/オーケストレーションを行ってレパートリーの生産・継承に貢献しています。

*5:このクラシカル/シンフォニック志向と、教育機関よりも市民生活のなかでの活動が主になる(広い意味での伝統志向を持った)状況が、同時代の吹奏楽レパートリーを創出し、蓄積していこうとする動きが控えめになった原因の一部だろうと思います。ほかには娯楽の多様化による市民バンドそのものの活動の鈍化や、出版社をはじめとする音楽産業の積極性の不足も挙げられるでしょう。

*6:時代は下りますがカレヴィ・アホ『トリスティアTristia (1995) やユッカ・リンコラ Jukka Linkola (1955-) の作品群は比較的知られています。タウノ・マルッティネン Tauno Marttinen (1912-2008) やレオニード・バシュマロフ  Leonid Bashmakov (1927-2016) にも複数バンド作品があるとのことですが未聴。

*7:初期の出世作の一つ『我らの時代のレクイエム』A Requiem in Our Time (1953) も金打楽器のための作品です。

*8:ヒルディング・ルーセンベリ Hilding Rosenberg (1892-1985) の管楽器と打楽器のための交響曲 (1966) は、オーレ・シュミット Ole Schmidt (1928-2010) の『ストラヴィンスキーへのオマージュ』Hommage à Stravinsky (1985) やアウリス・サッリネン Aulis Sallinen (1935-) の『コラーリ』Chorali (1970) などと並んでこの時期の北欧管楽オーケストラ作品の収穫でしょう。サッリネンには明快な語法で書かれたバンド作品 Palace Rhapsody (1996) もあります。

*9:これらを収録したエンゲセト/ノルウェー海軍バンド盤 (NAXOS, 2006) で管弦楽作品の編曲を担当しているスティグ・ヌールハーゲン Stig Nordhagen (1966- ) は『ヴァルドレス民謡による変奏曲』Variasjoner over en folketone fra Valdres (2005) 交響曲第1番 "Solitude Standing" (2008) などの作品が演奏されており、編曲の仕事も多いスヴァイン・ヘンリク・ギスケ Svein Henrik Giske (1973-) やどちらかというとブラスバンド作品で知られるトシュタイン・オーゴール=ニルセン Torstein Aagaard-Nilsen (1964-) 、幅広い層のためにレパートリーを用意するジョン・ブラクスタ John Brakstad (1940-) などとともにノルウェーのバンド界を牽引する存在です。

*10:8台のハープを含む編成が演奏のネックになる『戦争終結に寄せる賛歌』op. 105 (1945) もこのところ認知度が高まってきています。

*11:ほかには、古くから知られている2楽章構成の『アルメニア舞曲』(1945) や、行進曲『大祖国戦争の英雄たちに』(1946) など。

*12:演奏もおおむねスタンダードなものですが、ロジェストヴェンスキー指揮のプロコフィエフのop. 99についてはテンポ指示のない全集版を参照してやや落ち着いたテンポを採り、一般的によく聴かれるスタイルとは異なるので、ティエン/オランダ王立海兵隊バンドの同趣旨の盤 (Channel Classics, 2018) も参考に挙げておきます。

*13:ほかにはチシチェンコの管楽伴奏によるチェロ協奏曲第1番 (1963) やデニソフの『11管楽器とティンパニのための音楽』(1961) 、グバイドゥーリナのバンドとメゾソプラノのための『時の魂』初稿 Stunde der Seele (1974-76) 、合唱と管楽オーケストラのための Laudacio Pacis (1975) のような厳しい響きの作品もありますし、すでに名の挙がった作曲家でも、ミャスコフスキーの『劇的序曲』op. 60 (1942) や2つの行進曲 op. 53 (1941) 、グリエールの行進曲 op. 76 (1941) といった作品はあまり日が当たりません。伝播の不足は単純な情報の伝わりにくさが主因でしょうが、西側では戦後になってバンド編成の平準化が進んだのに対し、サクソフォンを含まずサクソルン属金管を重視するドイツ風の編成が後年まで残っていて、そのままの楽譜では広まりにくいというのも理由だとは思います。

*14:1950年代以降 "National Championship" があったという情報もあるのですが詳細不明。コンテストによるモチベーションの持続と、モレナールやティエロルフ Tierolff といった吹奏楽に力を入れつづけた出版社の存在が、市民文化としてのバンドの衰退が食い止められた理由の一部ではないでしょうか。

*15:アメリカとつながりのあった人で、他記事でも名前を出したように低難易度作品も多く、アメリカ風編成への接近を進めてレパートリーの統合を促し、また Jeu de Cuivre (1969) はファンファーレオルケスト特有のレパートリー創出の転機になり、と吹奏楽界への貢献は大きいです。

*16:後述するように、AWSOからの委嘱が中心です。

*17:このシリーズには兄のユリアーン Jurriaan Andriessen (1925-1996) しか収録されていませんが、ルイ・アンドリーセン Louis Andriessen (1939-) もビッグネームです。『オランダのシンフォニー』Symfonieën der Nederlanden (1974) などのバンド作品を残すなど管楽(より正確にはジャズバンド)志向が強く、代表作のアンサンブル作品も多くは管打楽器に比重が置かれています。

*18:ウィレム・ファン・オッテルロー Willem van Otterloo (1907-1978) の管楽オーケストラのためのシンフォニエッタ (1943) や金管合奏のためのセレナード (1944) のほうがむしろ演奏機会ということでは多いかもしれません。

*19:フランスの「六人組」と同じく戦間期に活動した彼らは、ギィデ(王家の近衛)吹奏楽団を使って作品発表会を開いています。1930年にリエージュブリュッセルで開かれたISCM(国際現代音楽協会)の音楽祭ではギィデ吹奏楽団が出演し、ベルギーの作品に加えて1926年ドナウエッシンゲン音楽祭の出品作や、『ディオニソスの祭り』『管楽器のシンフォニーズ』が取り上げられました。

*20:『デュナミス』Dunamis (1979) 、『ダイアグラム』Diagram (1991) 、サクソフォンのための狂詩曲 (2010) などがよく知られています。Air for Winds (1990) Classical Canon (1990)『子供のための組曲A Children's Suite (1991) West Overture (1991) A Medieval Suite (1995) といった低難易度作品も取り上げられます。

*21:比較的早い時期の『タイタニックTitanic, Dramatische Fantasie, op. 4 (1922) や『ロマンティックな序曲』Romantische Ouverture in B-dur (1938) などがよく取り上げられますが、作品集が Vol.3 まで出ているように膨大な作品があり、マーチ群や後年の作品も充実しています。

*22:フーバーは『悪霊』 "Der Dämon" (1966) や『アルプス民謡による幻想曲』Fantasie über eine Appenzeller Volksweise (1977) 、 "Evocazioni" (1985) あたりが、 バリサは『第一日』Le Premier Jour (1993) がよく取り上げられる作品ということになるでしょうか。

*23:一方大陸でも金管を軸にした("ファンファーレ" 領域を含む)編成は並存していたわけですが、イギリスのようなコンテストを主因とする統合は良くも悪くも行われず、"芸術的"レパートリーの蓄積が本格化するのはかなり最近です。

*24:ジョセフ・パリー Joseph Parry『ティドビル序曲』Tydfil Overture (1870s) や、ハリー・ラウンド Harry Round による『スコットランドの歌』Songs of Scotland (ca. 1890) ほかの作品群のような先例はあります。

*25:appx. 英国式ブラスバンド - テストピース主要作曲家、作品(未整理)

*26:もちろんシア・マスグレイヴ Thea Musgrave (1928-) の Scottish Dance Suite (1959) やバクストン・オール Buxton Orr の『ジョン・ゲイ組曲John Gay Suite (1973) のような例外はありますし、P. M. デイヴィス『聖ミカエル』St. Michael, Sonata for 17 Wind Instruments (1957) 、ティペット 『モザイク』Mosaic (1963) 、ブリテン『ハンキン・ブービーHankin Booby (1966) 、アラン・ホディノット Alun Hoddinott (1929-2008) のピアノ協奏曲第1番 (1969) 、アラン・ブッシュ Alan Bush (1990-1995)『スケルツォScherzo for Wind Orchestra with Percussion (1969) 、ナッセン『コラール』Choral (1970-72) 、ゲール『シャコンヌChaconne for Winds (1974) 、コンスタント・ランバート『ティレジアス』組曲 Tiresias (1951) といった管楽合奏作品はあるのですが。ちなみにティペットには『勝利』Triumph (1992) 、ホディノットには『ウェールズの歌と踊り』Welsh Airs and Dances (1975) というバンド作品があります。

*27:みなかなりの数の作品を書いていますが、ベッドフォードは『波涛にかかる虹』Sun Paints Rainbows on the Vast Waves (1982) 、ホロヴィッツは『ブルーリッジのバッカスBacchus on Blue Ridge (1984)『舞踏組曲Dance Suite (1992) など、ウールフェンデンは『イリュリア人の踊り』Illyrian Dances (1986) 『ガリモーフライ』gallimaufry (1983) などが知られています。

*28:木管四重奏と管楽オーケストラのための合奏協奏曲 (1959) と、ショーロの形式による3楽章の幻想曲 Fantasia em Três Movimentos em Forma de Chôros (1958) の2曲。ほかにヴィラ=ロボスには、合唱と管楽七重奏のためのショーロス第3番 Chôros No. 3 (1925) をはじめとしていくつも管楽作品があります。なかでもショーロス第13番と第14番は管弦楽とバンドを共演させる力作だったようですが、どちらも楽譜が紛失しているとのことです。

*29:岩城宏之/TKWOの管楽作品集 (佼成出版社, 1999) には、AWSOのための作品のうち、『トーンプロレマス '55』(1955) の改作である『礼拝序曲』(1964) を除いた全4曲が収録されています。

*30:演奏頻度は落ちますが、管弦楽曲をみずからバンド編成に編曲した『青いゆりのために』Per la Flor del Lliri Blau (1934/1984) という作品もあります。

*31:スペイン出身で50年代初めにアメリカに移住。ほかにも『ソレリアーナ』Soleriana (1973) などいくつか吹奏楽作品がありますが、本作以外はバンド編成です。

*32:AWSOには協奏曲を中心に十数曲を提供する一方で、CBDNAの委嘱によるシンフォニエッタ第2番 (1981) 、アメリカ空軍バンドの委嘱による『リフレクションズ』Reflections (1980) などのバンド作品も書いています。