31. C.T.スミス:フェスティヴァル・ヴァリエーションズ

日本においてクロード・トーマス・スミス Claude Thomas Smith (1932-1987) といえば、その創作歴のなかではどちらかといえば少数に属する、華麗で奏者に大きな負荷をかける作品――特に早い晩年に入って書かれた*1『フェスティヴァル・ヴァリエーションズ』Festival Variations (1982)『華麗なる舞曲』Danse Folâtre (1986)『ルイ・ブルジョワの賛歌による変奏曲』Variations on a Hymn by Louis Bourgeois (1984) の3曲に認知が集中しています。この3曲、特にセットとして構想されたわけではありませんが*2、共通した音楽的志向を持つ、同時代を見渡しても珍しい個性を持つ作品群であることは間違いないでしょう。スケルツァンドな躍動感のある『フェスティヴァル』、疾走する『華麗なる舞曲』、クラシカルな均整がほの見える『ルイ・ブルジョワ』という対比もうまくできています。

ではその個性はどこにあるか――「バンドの黄金時代」以来、新古典的な思潮のなかでしばらくなりを潜めていた*3吹奏楽のヴィルトゥオジティが、これらの作品には引きつがれています。空軍バンドのための作品が「難しい」ことを意識して作曲されたというエピソードは有名で、演奏が難しい作品ということだけなら他にも枚挙にいとまがないのですが、ここではそれが強調・デフォルメされ、明白に聴き取れるようになっているという点が重要です。

結果、華麗なサウンドの変化であったり、剥き出しにされたパッセージワーク*4、極端な音域といった要素は、それ自体が演奏された音楽の魅力となり、音楽表現の単なる手段でなく、表現の一環として働きます。独特の個性を持った和声やリズム(ジャズの影響が顕著で、かなりアクの強いものです)、線的な/対位法的な書法と和声的な書法のはっきりした対比*5というスミス作品全般に見られる特徴は、このような側面と高めあって存在しています。

スミスの吹奏楽作品はサウンド面ではどちらかというと伝統的で、楽器を群として扱い、バンド全体を分厚く響かせる志向が強く、その合間にときおりソロ/ソリと最小限の支え、というような薄い響きが挿入されて極端に対比されます。この点、活動初期の60年代の作品と晩年の作品を分かつものは根本的なバンドの捉え方というよりも、技術的難度を生かした華々しさの導入、きわどいパッセージが攻略される際のスリルと音楽的昂揚を連動させて聴き手を圧倒せんとするその表現であるように見えます。

この3曲にとどまらずスミスの作品世界を眺めていこうとするなら、『ファンファーレ、バラードとジュビリー』(1983) や『交響曲第1番』(1979) のような、巡り合わせによっては「3曲」に入っていたかもしれない作品*6よりも、もう少し奏者への要求度が低い作品を――数としてはこちらのほうが多い――意識して選んでいったほうがいいかもしれません。『エンペラータ序曲』Emperata Overture (1964) や『インシデンタル組曲Incidental Suite (1966)、『聖歌』Anthem for Winds and Percussion (1978) 、コンサートマーチ『フライト』Flight (1985) や、『全能の父なる神よ』God of Our Fathers (1974)『シェナンドーアShenandoah の編曲 (1982) といった作品では、「3曲」では良くも悪くも華やかさにマスクされていた楽曲作りの作法が見えやすいでしょう。スミスの創作の連続性とその中での違いが明確になって、『フェスティヴァル・ヴァリエーションズ』などでの表現が、創作初期からの彼の資質とどの点で親和性があるものだったかが実感できるのではないかと思います。

演奏は何はなくとも山本正治/東京藝大WO (ブレーン, 2015) を。「3曲」をすべて収録していて、文句のない演奏ぶりで音符を鮮やかに再現したうえで、曲の作りの要点がどこにあるかを実感させてくれます。異様に余裕たっぷりに演奏されていて名技的な側面をことさらに見せないゲイブリエル/TKWO (佼成出版社, 1996) や、同系統の演奏で、晩年の作品を一枚に集めているバンクヘッド/TKWO (佼成出版社, 1991) も興味深くはありますが、こ(れら)の曲の魅力がどこにあるかと考えると、あくまでセカンドチョイス以降になるのではないかと思います。

A.リード&C.T.スミス

A.リード&C.T.スミス

 

*1:同趣向の作品で大幅に早い例としては、『ロマンティック序曲』Overture Romatique (1971)『プレリュード・ヴァリエーションズ』Prelude Variations (1972) などが挙げられます。

*2:『フェスティヴァル』と『華麗なる舞曲』はアメリカ空軍の、『ルイ・ブルジョワ』はアメリ海兵隊の中央バンドからの委嘱という弱い共通点はあります。なぜこの3曲なのか、特に『ルイ・ブルジョワ』が取り上げられるようになった理由は明確ではありませんが、例えば同趣向の作品である『独立賛歌による変奏曲』Variations on a Revolutionary Hymn (1987) と比較すると、『ルイ・ブルジョワ』のほうが空軍バンドのための2曲と近い世界を持っていることは否定できないでしょう。

*3:各大学の"シンフォニックバンド"でも、ウェーバークラリネット作品をセクション全員のユニゾンで演奏したり、チャイコフスキー交響曲第4番フィナーレ、『ルスランとリュドミラ』や『オイリアンテ』の序曲などを取り上げる例はあったわけなので、状況の切り取りかた次第なのだろうとは思いますが。

*4:ニゾンやソロで頻出する速いパッセージは、管楽器、特に金管楽器のソロレパートリーと強い親近性があります。初めにトランペットを学び、席の空きがあったホルン奏者として軍楽隊に入ったというスミスの経歴を思うと、19世紀~20世紀前半のヴィルトゥオジックなレパートリーの記憶がこれらの作品には反映されていると考えてよさそうです。

*5:この辺は宗教音楽・合唱との関わりが影響していそうです。

*6:独奏のための作品では、サクソフォンのための有名レパートリーである『ファンタジア』Fantasia (1983) も似たところのある音楽です。