32-33. バーンズ:交響曲第3番 / パガニーニの主題による幻想変奏曲

ジェイムズ・バーンズ James Barnes (1949-) が吹奏楽界の重鎮であることは間違いありませんが、改めて考えてみると、アメリカにおけるその立場は特徴的なものと言えそうです。その音楽は、ここまで繰り返し言及してきた「アメリカナイズされたロマンティシズム」と「シンフォニックな吹奏楽」の流れを典型的に汲む*1ものと考えられるでしょう。

その初期の紹介は、アルヴァマー序曲Alvamar Overture (1981)『アパラチアン序曲』Appalachian Overture (1983)『イーグルクレスト』Eaglecrest (1984)『ヒーザーウッド・ポートレイト』Heatherwood Portrait (1985) のような明快な作品と、本人が「野蛮な」(primitive) と呼ぶ四部作*2、『死の幻影』Visions Macabres (1978)『呪文とトッカータInvocation and Toccata (1982)『トーチ・ダンス』Torch Dance (1985)『ペーガン・ダンス』Pagan Dances (1987) を対置する形で認知が進んでいったように思います。明瞭な調性*3や安定したリズムによる前者と、鋭角的で不安定な造形を志向する後者という対比で、その後のバーンズの歩みの軸になっていったのは前者でした。

とはいえ、例えばジェイガーの例と比べると美学やサウンドの違いは控えめです。『死の幻影』の響きは不安定ですが、中心音がはっきりしている部分や全音階的な部分が多く表情豊かな線を描き出していますし、吹奏楽から分厚くシンフォニックなサウンドを引き出そうとする志向も作品のコンセプトにあまり影響されません*4。バーンズが*5、日本や大陸ヨーロッパにおいて時に本国のアメリカを上回るほどの勢いで支持を受けるのは、本人が現地でも活動し人的な縁が深いというのはもちろんあるでしょうが、それ以上にこのシンフォニックな指向が理由だと思います。

続く90年代前後、円熟期には、伝統的・調性的な書法を生かしながら、より大規模な、奏者に高い要求をする作品がとくに知られることになります。しかもそれらは、ソナタ形式の手法を組み込んだ*6『交響的序曲』Symphonic Overture (1991) 、ロマン派の記憶を宿す主題を、音型の変化や楽器法に注力して正攻法で変奏させたパガニーニの主題による幻想変奏曲』Fantasy Variations on a Theme by Nicolo Paganini (1988) 、そして両端にソナタ形式楽章を置く四楽章構成であり、個人的な記憶を「苦悩から勝利へ」の力強いドラマに乗せた交響曲第3番 (1996) と、ベートーヴェン以降、19世紀~20世紀前半の「クラシック音楽」の観念を強く打ちだしたもので、西洋芸術音楽のある種の規範となっているこの時代の作品と、現代の吹奏楽レパートリーとがすぐ隣接しているような感覚を抱かせてくれます*7。しつこいようですが身の詰まったシンフォニックな吹奏楽の響きも、オーケストラの機能が「完成」していった時代の記憶を呼び起こすものと言えそうです。

近作を見ても、バーンズは作品の規模に関わらず「ロマンティック」な作曲家であることを(意識はしなくとも)全うしようとしているように思えます。例えば日本からの委嘱で書かれた『祈り』A Prayer for Higashi Nihon (2012) は*8、『ヨークシャー・バラード』Yorkshire Ballad (1985)『詩的間奏曲』Poetic Intermezzo (1985)『コラール前奏曲Chorale Prelude on a German Folk Tune (1986)『ロマンツァ』Romanza (1990) あたりからの流れを汲む、一般的な意味で「ロマンティック」な作品ですし、『スカーレット・アンド・シルバー・ジュビリー』Scarlet and Silver Jubilee (2009) も、『イーグルクレスト』や『交響的序曲』、『ゴールデン・フェスティヴァル序曲』Golden Festival Overture (1997) の延長線上にある痛快な音楽です。

交響曲第8番 (2015) の第2楽章や、『幻想的トッカータToccata Fantastica (2001) のような作品では新古典主義を通ったとらえどころのない響きも姿を見せます*9が、一方で異質な音組織を存分に展開できそうな『日本の印象』Impressions of Japan (1994)『ダンツァ・シンフォニカ』Danza Sinfonica (2005)『アステカの情景』Escenas de los Aztecas (2012) といったフォークロアを題材にした作品でも、その扱いは第一次大戦前の実践を大きく出るものではなく、いずれもパレットを豊かにするための一手法ととらえるべきでしょう*10

 

バーンズとは共通点と相違点を持ちあわせた存在として、ジェイムズ・カーナウ James Curnow (1943-) の名前を挙げるのは意味があることだと思います。『交響的三章』Symphonic Triptych (1977) などの作品で知られはじめた時期はバーンズと近く、また抽象に傾かず近づきやすい表現、分厚くシンフォニックな書法も共通しています*11。初期の『ムタンザ』Mutanza (1980) 、『オーストラリア民謡変奏組曲Australian Variants Suite (1985)*12 、ユーフォニアムとバンドのための『シンフォニック・ヴァリアンツ』Symphonic Variants (1984) *13といった大規模、かつ奏者にも高い要求をする作品の存在感は同時期のバーンズに匹敵するものがあります。

ただし教育の現場から退いて個人出版社 Curnow Music Press での活動が始まると、バーンズが20-40分級の交響曲を書き継いで「大作曲家」然としたイメージを確立していったのに対し、カーナウはより広く取り上げられる作品の拡充や後進*14の支援に力を注ぐようになり、『ロッキンヴァー』Lochinvar (1994) のように大曲然とした作品は、途絶えたわけではないとはいえ800を超えるという創作の受け取られ方を決定づけるものではなくなっていきます*15。現在のカーナウのイメージを決定づける『よろこびの翼』Where Never Lark or Eagle Flew (1993)『歓喜Rejouissance, Fantasia on Ein Feste Burg (1988)『祝典』Celebration, on a Theme by Saint-Saëns (1994) 『ファンファーレとフローリッシュ』Fanfare and Flourishes (1995) といった作品*16は、曲想と奏者への要求、どちらからしても比較的取り上げやすいものです。

 

ロマンティックな「クラシック音楽」の巨匠たちにつながるバーンズに敬意を表して、ディスクは表出的な大作二つを。どちらも決して楽に取り上げられる作品ではないですが少なくない数の録音があり、どれも力が入った出来です*17交響曲第3番は、せっかくなので近年やっと容易に入手できるようになったグレアム/アメリカ空軍バンド盤 (Altissimo, 1996/Klavier, 2013) を推薦。『パガニーニの主題による幻想変奏曲』はバーンズ/オオサカ・シオンWO盤(FONTEC, 2017)が勧められます。

 

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ニュー・ウィンド・レパートリー 1997

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*1:ただしハンソンとは50年ほど、リードとは30年近く、ジェイガーとも10年生年が離れているという世代の違いは考慮したほうがいいでしょう。

*2:本人は言及していませんが、『ドリーム・ジャーニー』Dream Journey (1997) も明らかにここに連なる作品です。

*3:伝統的な響きをもとに、劇音楽やダンス音楽で発展してきたポップでアメリカンな語法を典型的に盛り込んでいます。

*4:バーンズがたびたび参考にしているチャンスの『呪文と踊り』と比較するとわかりやすいです。アメリカのシンフォニストの伝統で(?)お蔵入りになり、現在は譜面にも音源にもアクセスできない交響曲第1番 (1978) も、わずかに見られる冒頭部分からは重厚なサウンドが想像できます。

*5:リードも同じこと、というかリードこそ典型だと思います。

*6:主調部(Bb major)と副次調部(C major)がまったく同じ楽想、中央部分は新主題に支配された緩徐部、と三部形式の色が強いですが、調性の構造はソナタ形式のものです。

*7:現在までにコンスタントに9曲の交響曲を書き、第9番 (2018) で打ち止めにすると宣言しているのも、ベートーヴェン、ひいてはその後のブルックナーマーラーなどを意識していないわけはないでしょうし、そう思って見れば、すべて何らかの死が反映されている奇数番号では記念碑的で強力なドラマを打ち出し、偶数番号はどちらかといえば堅実で均整美を重視しているという継続的な傾向が見えないでもありません。

*8:同じバンドの委嘱の『ヤマ・ミドリ』Yama Midori (2002) も佳品。

*9:源流にあるのは随所でバルトークを参照した交響曲第2番 (1981) でしょう。劇的な「シリアス」さを目指してショスタコーヴィチ5番を下敷きにした交響曲第3番との対比は興味深いです。

*10:交響曲第8番や『モラヴィアの賛歌による変奏曲』Variants on a Moravian Hymn (1993) の素直に調性的な展開で盛り上がる終結は好例です。『ロンリー・ビーチ』Lonely Beach, Normandy 1944 (1993) や交響曲第7番 Symphony No. 7, "Symphonic Requiem" (2015) に登場する刺々しい響きも明らかに描写に対応したもので、根底にある伝統的な美学を反対に強調するものととらえたいです。

*11:イタリアやフランスの作曲賞への出品であったり、『トリティコ』Trittico (1988)『ブラス・メタモルフォージス』Brass Metamorphosis (1991) などブラスバンド作品の充実からはヨーロッパ志向も伺えます。ただ、19世紀的な語法からの距離はわずかに遠いかもしれません。

*12:4楽章からなり、作曲者は交響曲に準ずるものと位置付けています。

*13:より小規模で取り上げやすい『狂詩曲』Rhapdody (1978) とともにユーフォニアム奏者のレパートリーとして残っています。

*14:『 ひとつの声に導かれる時』And The Multitude With One Voice Spoke (1998) や『ペルシス』Persis (2000) などで知られるジェイムズ・L・ホゼイ James L. Hosay (1959-) や、『ファイアストーム』Firestorm (1992) や編曲作品などで知られるスティーヴン・ブラ Stephen Bulla (1953)ほか。

*15:プレトリウス変奏曲』Praetorius Variations (1996) 、日本からの委嘱の A Moment in Time (1996) 、サクソフォン四重奏をソロに据えた『対話』Dialogues (2005) など、特にこのあたりは深堀りするとかなり面白い作曲家です。

*16:J. ウィリアムズ『オリンピック・ファンファーレとテーマ』Olympic Fanfare and Theme『リバティ・ファンファーレ』Liberty Fanfare『カウボーイ序曲』The Cowboys の鮮やかな編曲も「代表作」として忘れてはいけません。

*17:日本での録音が多いのが特徴的です。交響曲第3番は木村吉宏/大阪市音楽団盤 (大阪市教育振興公社, 1997) や山本正治/東京藝大WO盤 (ブレーン, 2017) 、『幻想変奏曲』はバーンズ/尚美WO盤 (ブレーン, 2016) も甲乙付けがたいです。