26. フサ:プラハ1968年のための音楽

カレル・フサ Karel Husa (1921-2016) の名作プラハ1968年のための音楽』Music for Prague 1968 (1968) について話すにあたっては、まずその楽器編成に触れることになります。フルートセクションやトランペットが最大8パートに分かれ、バスサックスやコントラバスクラリネットを動員する巨大な編成は、委嘱元のイタカ大学のバンド *1 を想定したゆえに実現したものですが、20世紀初頭の大規模管弦楽作品がそうだったように、楽器の重ねによる大音響というよりもむしろ、ミクロな範囲での音色の統一とマクロな範囲での音色のバラエティを追究したものと考えられます。

 

チェコ出身のフサは、戦後になってストラヴィンスキーバルトークの洗礼を受けた直後にフランスに留学しています。オネゲルやナディア・ブーランジェに師事したこのころの作風はバルトークを下敷きにした明快なものです*2が、アメリカに渡って数年経った1959年ごろから、ヨーロッパ時代に始めていた十二音技法の研究を反映し急速に半音階化していきます。アメリカ時代初めての本格的バンド作品である*3サクソフォン協奏曲 Concerto for Alto Saxophone and Concert Band (1967) にはこの変化の結果が反映されています。

自由な形で十二音技法を用いた『プラハ1968年のための音楽』では、さらに音響的特徴としてクラスタ*4や不確定性*5を導入しています。どちらも、和声感であったりリズムであったりが不明瞭な音塊 (sound mass) を生む技法で、それでも伝統的な作曲法と同様、音色や音高、素材を適宜指定して(指定しないで)生成される音響を操作するのが作曲家の腕の見せ所になりますが、ここでは「同種の管楽器が大量にある」という吹奏楽の特徴を生かし、同質な音響での分厚い堆積を生み、さらに互いの対比を可能にしています。

旋法的な素材の導入、音楽の進行の中核となる打楽器*6、ユニゾンやソロによる線と厚い持続音からなる管楽器書法、と並べるとたとえばネリベルの作品と類似している*7わけですが、フサはさらに半音階的に細分化された書法を選んだゆえ、楽器群をブロック的に使いながらも、ミクロに見ればバンドは分割可能な線の集合*8として扱われています。結果として生み出される息苦しい音響が描写的な作り*9と噛み合ったことが、同時代の吹奏楽作品のなかでも他を圧する存在として遇される理由になっています。

直後に書かれた『この地球を神と崇める』Apotheosis of this Earth (1970) では、同様の描写的な組み立てのなかで「音塊」はさらに中心的に扱われます。一方で、初期のような新古典的な構造は『アル・フレスコ』Al Fresco (1973) *10のような作品に残り、『ウィンドアンサンブルのための協奏曲』Concerto for Wind Ensemble (1982) では見通しやすい基本構造と複雑な音響との組合せが達成されています*11

 

問答無用の有名作ですからフサ/テンプル大学 (Albany, 1997) やハンスバーガー/EWE (Sony, 1989) のように定評ある録音も並んでいますし、ブラフネク/TKWO (日本コロムビア, 2013) のような比較的新しい録音も増えています。それぞれ多少の方向性の違いはありますが、一応コーポロン/ノーステキサス大WS (Klavier, 2002) を、瞬間ごとになにが起きているかを一聴で理解できる盤として推薦しておきます。

North Texas Wind Symphony: Recollections

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  • 発売日: 2002/01/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
Husa: Music for Prague 1968

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この地球を神と崇める(UHQCD)

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*1:フサは講師として数年前からイタカ大学に関わっており、バンドが全国音楽教育者協会のカンファレンスに出演するために委嘱されています。本来の機会での初演は1969年の1月31日ですが (https://digitalcommons.ithaca.edu/music_programs/3068/) 、68年12月にも半非公式な形で演奏されています (https://digitalcommons.ithaca.edu/music_programs/3067/) 。

*2:吹奏楽関係の作品では、1949年の作品の伴奏を改作したピアノとウィンドアンサンブルのためのコンチェルティーノ (1984) や、1955年のピアノ連弾曲を編曲した金管楽器と打楽器のための『ディヴェルティメント』(1959) などがあります。

*3:正確には合唱とオーケストラorバンドor金管合奏のための Festive Ode (1964) があります。フサの合唱作品はあまり多くありませんが、『この地球を神と崇める』の管弦楽版では本格的に合唱が導入されていますし、合唱とバンドのための『アメリカン・テ・デウム』American Te Deum (1976) はヒューマニスティックなメッセージが横溢したフサ作品最大級の力作。

*4:発想としてはカウエルアイヴズ、もしくはそれ以前に遡り、50-60年代には楽曲構成の基盤としてさらに本格的な探求が行われました(この時点でのフサの用法はやや限定的ですが)。その代表の一人であるペンデレツキは、代表作の弦楽合奏による『広島の犠牲者に捧げる哀歌』と対をなすように管打楽器からなる『ピッツバーグ序曲』Pittsburgh Overture (1967) を書いています。

*5:いわゆる偶然性(アレアトリー)の一応用ということになりますが、ここでも使われている、音楽要素の指定を緩めて局所的な錯綜を得るルトスワフスキ流の技法は伝統的な音楽の流れとも組みあわせやすく、多様な美学の作曲家が用いることになります。偶然性の開祖の一人として全面的な探求を続けたジョン・ケージ (1912-1992) は Quartets for Concert Band and Twelve Amplified Voices (1976) Twenty-Eight (1991) Fifty-Eight (1992) などが、仲間だったモートン・フェルドマンの『アトランティスAtlantis (1959) ...Out of "Last Pieces" (1961)『オーケストレーションを探して』In Search of an Orchestration (1967) とともに管楽作品。

*6:打楽器のみでモチーフ展開を行う第3楽章はもちろんですが、第2楽章の鍵盤打楽器による透明な背景作りも特筆されます。この曲がきっかけとなって委嘱された打楽器とウィンドアンサンブルのための協奏曲 (1970) でも音程のある打楽器は活用されています。

*7:ネリベルの作品でも、旋法的な要素を残したクラスターや偶然性は使われています。

*8:弦楽器がなく管楽器が極度に拡大されたオーケストラ、に近いとも言えます。

*9:同時代、プラハで活動していたルボシュ・フィシェル Luboš Fišer がASWOのために書いた Report (1971) は息苦しい響きの音塊と軽快な行進曲が交錯する、明言はされていませんが時事的なメッセージを感じさせる作品です。

*10:管弦楽曲『3つのフレスコ画Three Fresques (1947/rev. 1963) の第1楽章の改作で、基本的な素材はヨーロッパ時代に遡りますが、偶然性や四分音が導入されて打楽器セクションも拡大され、響きはかなり複雑になっています。

*11:『この地球を神と崇める』と『協奏曲』では、打楽器のヴィルトゥオジティもさらに苛烈になっていきます。前者は大井剛史/TKWO (ポニーキャニオン, 2018) 、後者はトンプソン/シンシナティ大学WS (Summit, 1997) を推薦。