20. ビリク:ブロックM

ジェリー・ビリク Jerry H. Bilik (1933-) がコンサートマーチ『ブロックM』Block M (1955) を作曲したとき、彼はまだミシガン大学で音楽教育を学ぶ学生でした。ミシガン大学のバンドがこの作品を演奏したときのプログラムがネットにありますが*1 、ビリク (Jerald Bilik) はトロンボーンの首席奏者として演奏に参加していて、解説によるとこれ以前からこのバンドのために編曲を行っていたとあります。

ウィリアム・レヴェリ William D. Revelli (1902-1994) の指揮するミシガン大学のシンフォニックバンド*2は、当時のアメリカを代表する吹奏楽団でした。ヴァイオリンを学び、10歳のときスーザ・バンドに魅せられたレヴェリは、教師としてインディアナ州ホバート (Hobart) の高校でバンド指導にたずさわり、全国規模のコンテストで結果を残したあと、1935年からミシガン大学音楽学部で管楽器部門の主任を務めるとともに、バンドの指導に打ち込みました。シンフォニックバンドは1961年、モスクワを含めた世界ツアーを成功させています。関わった複数のバンドにはマーチングバンドも含まれており、スタジアムでのドリルを娯楽として発展させ、また歩行のテンポを大幅に速めたスタイルは他のバンドにも影響を及ぼしたといいます。

大学のバンド自体は19世紀前半から多く存在し、式典や軍事教練、スポーツの場などで活動していましたが、教育機関でのバンド活動は第一次大戦の前後から各地で本格的に発展し、この時代、ミシガン大学のほかにもイリノイ大学のA.A.ハーディング (1907-1948在任) やマーク・ハインズレー (1950-1970在任) 、ウィスコンシン大学のレイモンド・ドヴォラーク (1934-1968在任) 、イタカ大学*3のウォルター・ビーラー (1935-1973在任) 、南カリフォルニア大学のウィリアム・シェーファー (1952-1979在任) 、ノースウエスタン大学のグレン・クリフ・バイナム (1926-1953在任) やジョン・P・ペインター (1953-1996在任)、ミネソタ大学のフランク・ベンクリシュートー (1960-1993在任) といった専門の指導者たちに率いられたバンドが無数に並び立っていました*4。これらのバンドの多くは純粋なアマチュアの活動ではなく、ビリクがそうであるように音楽学部での研究/創作や教育とも結びついており、複数の局面で注目すべき成果を挙げていくことになります。

この時代に吹奏楽創作が一気に盛んになったのは述べてきたとおりですが、ゴールドマン・バンドや軍楽隊のようなプロフェッショナルのバンドに加えてレパートリー創出の軸となったのが各大学のバンドでした。これまでに言及したなかでもパーシケッティの交響曲第6番W.シューマンの『チェスター』ジャンニーニの交響曲第3番のような重要作品が大学バンドや関係団体によって委嘱されています。これよりもあとの時代の重要レパートリーを見ていくうえでも、大学バンドは幾度となく出てくることになるでしょう。

なお、レヴェリが中心となって設立されたCDBNA*5が1960年に提唱した「理想的」なバンド編成は、18人のB管クラリネットクラリネットセクション全体では30人)を含む計72人の編成でした。1952年のイーストマン・ウィンド・アンサンブル設立にインパクトがあったのは確かですが、その後も大規模なコンサートバンド/シンフォニックバンドの流れが絶えることはなく、吹奏楽界の大きな部分を占める存在であることに変わりはありませんでした。

 

『ブロックM』はミシガン大学の象徴であるブロック体の"M"の字を名前に関した、ジャズの影響を感じさせるアイデアが随所に光るモダンなマーチで、発表以来スタンダードとして愛されています*6。音を詰め込みすぎない身軽な感触は、現在に至るまで綿々と書き継がれている「速めのテンポのコンサートマーチ」の一つの雛形かもしれません。演奏は武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊 (FONTEC, 2009) で。

この後ビリクは1958年に作曲の修士号を取得、『南北戦争の幻想曲』American Civil War Fantasy (1961) などミシガン大学バンドのための編作を多数行うとともに、映像音楽の分野で活躍することになります。吹奏楽作品を見ると交響曲 (1972) やサクソフォン協奏曲 (1974) など重厚なものもありますが、明快なリズムをはじめとする親しみやすい要素は決して失われていません。

On the Mall-木陰の散歩道-ベスト・オブ・マーチ

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*1:https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=UF7lAAAAMAAJ&q=block+m#v=snippet&q=block%20m&f=false

*2:他大学も含め、当時は Symphony Band と表記されることが多かったようです。

*3:音楽の単科大学です。

*4:『セント・アンソニー・ヴァリエーションズ』St. Anthony Variations (1979) で有名なウィリアム・ヒル William H. Hill (1930-2000) も、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校などでバンド指導に携わっていました(『セント・アンソニー』は高校バンドの委嘱作です。ところで表記は "Variants""Variations" どちらなのでしょう?)。50-60年代風の乾いた響きのバンド音楽に、おそらくはフサの影響が加わった作品群に興味はあるのですが(『神聖な舞曲と世俗的な舞曲』Danses Sacred and Profane (1977) など。交響曲も3曲あるとか)、一部の作品(https://www.worldcat.org/title/compositions-of-william-h-hill/oclc/5764022)以外は情報が限られているのが残念です。

*5:College Band Directors National Association。1941年発足。一応補足しますが、フェネルやハンスバーガー、バッティスティといった「ウィンド・アンサンブル」の指揮者たちも当然ながら会員で、ここで挙げた3人とものちに会長を務めています。

*6:同様にスタンダードになっているポップな感覚のコンサートマーチとしては、オスタリング Eric Osterling の『バンドロジーBandology (1963) や『サンダークレスト』Thundercrest (1964) というのもあります。