26. フサ:プラハ1968年のための音楽

カレル・フサ Karel Husa (1921-2016) の名作プラハ1968年のための音楽』Music for Prague 1968 (1968) について話すにあたっては、まずその楽器編成に触れることになります。フルートセクションやトランペットが最大8パートに分かれ、バスサックスやコントラバスクラリネットを動員する巨大な編成は、委嘱元のイタカ大学のバンド *1 を想定したゆえに実現したものですが、20世紀初頭の大規模管弦楽作品がそうだったように、楽器の重ねによる大音響というよりもむしろ、ミクロな範囲での音色の統一とマクロな範囲での音色のバラエティを追究したものと考えられます。

 

チェコ出身のフサは、戦後になってストラヴィンスキーバルトークの洗礼を受けた直後にフランスに留学しています。オネゲルやナディア・ブーランジェに師事したこのころの作風はバルトークを下敷きにした明快なものです*2が、アメリカに渡って数年経った1959年ごろから、ヨーロッパ時代に始めていた十二音技法の研究を反映し急速に半音階化していきます。アメリカ時代初めての本格的バンド作品である*3サクソフォン協奏曲 Concerto for Alto Saxophone and Concert Band (1967) にはこの変化の結果が反映されています。

自由な形で十二音技法を用いた『プラハ1968年のための音楽』では、さらに音響的特徴としてクラスタ*4や不確定性*5を導入しています。どちらも、和声感であったりリズムであったりが不明瞭な音塊 (sound mass) を生む技法で、それでも伝統的な作曲法と同様、音色や音高、素材を適宜指定して(指定しないで)生成される音響を操作するのが作曲家の腕の見せ所になりますが、ここでは「同種の管楽器が大量にある」という吹奏楽の特徴を生かし、同質な音響での分厚い堆積を生み、さらに互いの対比を可能にしています。

旋法的な素材の導入、音楽の進行の中核となる打楽器*6、ユニゾンやソロによる線と厚い持続音からなる管楽器書法、と並べるとたとえばネリベルの作品と類似している*7わけですが、フサはさらに半音階的に細分化された書法を選んだゆえ、楽器群をブロック的に使いながらも、ミクロに見ればバンドは分割可能な線の集合*8として扱われています。結果として生み出される息苦しい音響が描写的な作り*9と噛み合ったことが、同時代の吹奏楽作品のなかでも他を圧する存在として遇される理由になっています。

直後に書かれた『この地球を神と崇める』Apotheosis of this Earth (1970) では、同様の描写的な組み立てのなかで「音塊」はさらに中心的に扱われます。一方で、初期のような新古典的な構造は『アル・フレスコ』Al Fresco (1973) *10のような作品に残り、『ウィンドアンサンブルのための協奏曲』Concerto for Wind Ensemble (1982) では見通しやすい基本構造と複雑な音響との組合せが達成されています*11

 

問答無用の有名作ですからフサ/テンプル大学 (Albany, 1997) やハンスバーガー/EWE (Sony, 1989) のように定評ある録音も並んでいますし、ブラフネク/TKWO (日本コロムビア, 2013) のような比較的新しい録音も増えています。それぞれ多少の方向性の違いはありますが、一応コーポロン/ノーステキサス大WS (Klavier, 2002) を、瞬間ごとになにが起きているかを一聴で理解できる盤として推薦しておきます。

North Texas Wind Symphony: Recollections

North Texas Wind Symphony: Recollections

  • 発売日: 2002/01/01
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Husa: Music for Prague 1968

Husa: Music for Prague 1968

 
この地球を神と崇める(UHQCD)

この地球を神と崇める(UHQCD)

 

*1:フサは講師として数年前からイタカ大学に関わっており、バンドが全国音楽教育者協会のカンファレンスに出演するために委嘱されています。本来の機会での初演は1969年の1月31日ですが (https://digitalcommons.ithaca.edu/music_programs/3068/) 、68年12月にも半非公式な形で演奏されています (https://digitalcommons.ithaca.edu/music_programs/3067/) 。

*2:吹奏楽関係の作品では、1949年の作品の伴奏を改作したピアノとウィンドアンサンブルのためのコンチェルティーノ (1984) や、1955年のピアノ連弾曲を編曲した金管楽器と打楽器のための『ディヴェルティメント』(1959) などがあります。

*3:正確には合唱とオーケストラorバンドor金管合奏のための Festive Ode (1964) があります。フサの合唱作品はあまり多くありませんが、『この地球を神と崇める』の管弦楽版では本格的に合唱が導入されていますし、合唱とバンドのための『アメリカン・テ・デウム』American Te Deum (1976) はヒューマニスティックなメッセージが横溢したフサ作品最大級の力作。

*4:発想としてはカウエルアイヴズ、もしくはそれ以前に遡り、50-60年代には楽曲構成の基盤としてさらに本格的な探求が行われました(この時点でのフサの用法はやや限定的ですが)。その代表の一人であるペンデレツキは、代表作の弦楽合奏による『広島の犠牲者に捧げる哀歌』と対をなすように管打楽器からなる『ピッツバーグ序曲』Pittsburgh Overture (1967) を書いています。

*5:いわゆる偶然性(アレアトリー)の一応用ということになりますが、ここでも使われている、音楽要素の指定を緩めて局所的な錯綜を得るルトスワフスキ流の技法は伝統的な音楽の流れとも組みあわせやすく、多様な美学の作曲家が用いることになります。偶然性の開祖の一人として全面的な探求を続けたジョン・ケージ (1912-1992) は Quartets for Concert Band and Twelve Amplified Voices (1976) Twenty-Eight (1991) Fifty-Eight (1992) などが、仲間だったモートン・フェルドマンの『アトランティスAtlantis (1959) ...Out of "Last Pieces" (1961)『オーケストレーションを探して』In Search of an Orchestration (1967) とともに管楽作品。

*6:打楽器のみでモチーフ展開を行う第3楽章はもちろんですが、第2楽章の鍵盤打楽器による透明な背景作りも特筆されます。この曲がきっかけとなって委嘱された打楽器とウィンドアンサンブルのための協奏曲 (1970) でも音程のある打楽器は活用されています。

*7:ネリベルの作品でも、旋法的な要素を残したクラスターや偶然性は使われています。

*8:弦楽器がなく管楽器が極度に拡大されたオーケストラ、に近いとも言えます。

*9:同時代、プラハで活動していたルボシュ・フィシェル Luboš Fišer がASWOのために書いた Report (1971) は息苦しい響きの音塊と軽快な行進曲が交錯する、明言はされていませんが時事的なメッセージを感じさせる作品です。

*10:管弦楽曲『3つのフレスコ画Three Fresques (1947/rev. 1963) の第1楽章の改作で、基本的な素材はヨーロッパ時代に遡りますが、偶然性や四分音が導入されて打楽器セクションも拡大され、響きはかなり複雑になっています。

*11:『この地球を神と崇める』と『協奏曲』では、打楽器のヴィルトゥオジティもさらに苛烈になっていきます。前者は大井剛史/TKWO (ポニーキャニオン, 2018) 、後者はトンプソン/シンシナティ大学WS (Summit, 1997) を推薦。

24-25. チャンス:呪文と踊り / 朝鮮民謡の主題による変奏曲

ご多分に漏れず、ジョン・バーンズ・チャンス John Barnes Chance (1932-1972) もまず中学校と高校で吹奏楽に触れています。高校時代に書いた管弦楽曲ラフマニノフ風のロマンティックな音楽で、大学を卒業するころに影響を受けていたのは、シベリウスショスタコーヴィチの和声とバルトークのリズムだったといいます。のちの作品でも調性的な音使いへの抵抗がなく、新古典的な硬い響きにこだわらない姿勢が見られます。

学生時代にはもっぱら管弦楽に興味を向けていたチャンスが吹奏楽に作品を提供するきっかけになったのが、1959年に始まったヤング・コンポーザーズ・プロジェクト Young Composers Project への選出でした。若手作曲家を公立学校に派遣して、新しい音楽の作り手と青少年との相互交流を促すもので、ノースカロライナ州のグリーンズボロ高校に派遣されたチャンスは2年間の活動のあいだ、レジデンス・コンポーザーとして弦楽合奏曲や管弦楽曲とともに吹奏楽曲を多数作曲しています。最初の吹奏楽作品である『呪文と踊り』Incantation and Dance (1960) や、バルトークの協奏曲を簡明に作り変えたようなピアノと管楽アンサンブルのための『序奏とカプリッチョIntroduction and Capriccio (1961) のほかに、後年の交響曲第2番 (1972) の一部や、『エレジーElegy (1972) の原型となった合唱と管弦楽のための作品も生まれています*1

ヤング・コンポーザーズ・プロジェクトに選出された他の作曲家にはピーター・シッケル*2やロバート・ムチンスキのほか、アーサー・フラッケンポール、ジョセフ・ウィルコックス・ジェンキンス*3、マーティン・メイルマン*4、ロナルド・ロプレスティ*5、ロバート・ウォッシュバーン*6といった管楽器や吹奏楽のための作品で知られる作曲家たちも多くいるほか、ジュリアード音楽院を卒業したばかりのフィリップ・グラスもいました。

プロジェクトのアイディアを提案したのは、当時すでにピューリッツァー賞受賞者として名を成していたノーマン・デロ=ジョイオ Norman Dello Joio (1913-2008) でした。M. グールドパーシケッティW. シューマンと近い世代ですが、吹奏楽の分野に関わりはじめたのは遅く*7、『中世の主題による変奏曲』 Variants on a Medieval Tune (1963) が最初になります*8。作風は世代通りに新古典的ですが、『ハイドンの主題による幻想曲 』Fantasies on a Theme by Haydn (1968) *9に典型的なようにむしろ擬古典的というほうが近い部分も多く、素直に調性的な響きや三度構成の柔らかい和音をよく使うので、前出の乾いた作風の作曲家たちよりも情感豊かで近づきやすいのではないかと思います。こちらも『「ルーブル」のための音楽』Scenes from "The Louvre" (1966) *10や『諷刺的な舞曲』Satiric Dances (1975) など取り上げやすい作品を吹奏楽に提供しており、やはり伝統的な書法と風通しのいい和声、ロマン的な表現が生かされています。

 

『呪文と踊り』の初演を担ったグリーンズボロ高校のバンド*11バスクラリネット9本、コントラバスクラリネット3本という充実した編成を誇り、演奏水準も高く、カラフルな書法の前提になっています。一聴してまず印象に残るのは(チャンスの楽器でもあった)ティンパニを含めて7人の奏者による打楽器アンサンブルの活躍*12で、これまでに紹介してきた60年代の作品群を先取りするように、透明かつエネルギッシュなサウンドでバンド全体を主導します。同様に管楽器もリズミックかつ動きごとの独立が強調され、楽器の混合は慎重に用いられています。結果として生まれる音色は非常に鮮やかなものですが、音の選び方としては旋法を生かしながらも調性感を強く残しており、親しみやすさと新しさが両立しています。

オストウォルド賞に応募し、みごと受賞後に初演された『朝鮮民謡の主題による変奏曲』Variations on a Korean Folk Song (1967) となると、サウンドはやや趣きを異にします。打楽器アンサンブルが清新な響きを与えるのは同じですが、各所でより分厚くシンフォニックな響きが聴かれ、対位法的なテクスチュアもホモフォニックな構造に回収される場面が散見されます。この後彼の「晩年」に書かれた『交響曲第2番』『エレジー』は重厚に積み上げられたサウンドによる表出的な音楽で、この後もチャンスが創作を続けていたなら、新古典的に隙間の多い書法から離れ、ロマンティックな表現がさらに前に出ていたかもしれません*13

 

録音はどちらも大量にありますが*14、チャンスの主要作品を集成したスティール/イリノイ州立大学WS  (Albany, 2005) が一家に一枚もの。演奏も申し分なく、録音がお風呂場気味なのが唯一残念なところです。

ジョン・バーンズ・チャンスの伝説 Legacy of John Barnes Chance
 
Trittico

Trittico

 

*1:C. ウィリアムズの『フィエスタ』と『エル・サロン・メヒコ』を混ぜたような『ミュージカル・コメディのための序曲』Overture to a Musical Comedy (1962) の原型も書かれています。

*2:a.k.a. P.D.Q.バッハ。シッケル名義でもいくつか吹奏楽作品がありますが、「P.D.Q.バッハの」作品をシッケルが「編曲」した『おそろしく大量の管楽器と打楽器のための大セレナーデ』Grand Serenade for an Awful Lot of Winds and Percussion (1975) などがむしろ演奏機会に恵まれています。

*3:アメリカ序曲』American Overture (1956) が有名。

*4:典礼音楽』Liturgical Music (1963) など比較的若いころの作品から、『彼の地に去ったかけがえのない友たちへ』For precious friends hid in death's dateless night (1988) のような壮年期の作品まで吹奏楽レパートリーにはかなりの貢献があります。チャンス追悼曲の Simple Ceremony (1973) も書いています。

*5:ケネディ大統領を追悼した『あるアメリカ青年へのエレジーElegy for A Young American (1967) がドラマティックで率直な表現と取り上げやすさで知られています。

*6:プロジェクトへの参加中に吹奏楽のための交響曲 (1959) を書き上げています。

*7:同じくピューリッツァー賞受賞者で、さらに遅く70歳を過ぎてから "Skating on the Sheyenne" (1977) を手がけ、軽快なバンドの扱いを見せつけたロス・リー・フィニー Loss Ree Finney (1906-1997) のような例もありますが。

*8:ジャンニーニの交響曲第3番と同じくデューク大学バンドの委嘱です。フェネル/ダラスWS (1993) が鮮やかな音色感を再現した名演。

*9:身の軽さと格調を両立させたコーポロン/昭和WS (2009) を推薦。

*10:スタンプ/キーストーンWE "Pageant" (1998) がいいです。

*11:チャンスのレジデント以外にも委嘱を行っており、ルーカス・フォスやガンサー・シュラーなどが作品を書いています。

*12:アレグロへの導入部分は、池上敏『冥と舞』(1971/ rev.1995) 、エリオット・デル・ボルゴ『聖歌と祝典』Psalm And Celebration (1983) 、バーンズ『呪文とトッカータ』『トーチ・ダンス』『ドリーム・ジャーニー』などが模倣していますし、近年でもマット・コナウェイ Matt Conaway『呪文とアフリカの踊り』Invocation and African Dance (2012) やマイケル・スウィーニー Michael Sweeney『プレリュードとパースィート』Prelude and Pursuit (2012) などの作品からオマージュを捧げられています。

*13:出なかったかもしれません。同時期の『ブルーレイク序曲』Blue Lake Overture (1971) は明快なテクスチュアとオスティナートが印象的なC. ウィリアムズ風の秀作、トランペット協奏曲 (1972) は楽章ごとの表現のバラエティが特徴的です。

*14:『呪文と踊り』は加養浩幸/航空自衛隊西部航空音楽隊 (CAFUA, 2005) 、『朝鮮民謡の主題による変奏曲』は大井剛史/TKWO (ポニーキャニオン, 2017) も選択肢としてありです。

23. マクベス:マスク

ウィリアム・フランシス・マクベス William Francis Mcbeth (1933-2012) の吹奏楽作品リストは20代のころに遡ります。学生時代の作品の一つである『第二組曲Second Suite (1960) は、師であるC. ウィリアムズとの距離が近い、健康的に前進していく音楽ですが、先例と比較すると密に積み上げられた、重心の低い響きへの好みが聴き取れるように思います。

その後マクベスは、幅広く人気を博し一つの転機となった『聖歌と祭り』Chant and Jubilo (1963) *1を皮切りに、『マスク』Masque (1967) 、『神の恵みを受けて』To Be Fed By Ravens (1973) 、『カディッシュ』Kaddish (1975) といった代表作群を次々と生み出していきます。

比較的シンプルな扱いで力強く響く管楽器と、重要な一セクションとして推進力や多彩な響きを生む打楽器(金属系の楽器や、鍵盤打楽器の活躍が耳に付きます)を対比する書法であったり、短旋法への好み、標題においても音符上においても宗教的なモチーフをしばしば持ち込むことは、同時代のネリベルとのわかりやすい共通点です。ただし、マクベスの音楽の展開は和声進行にかなり重きが置かれていて、楽器法においても原色よりも混合色を好むのと合わせて、より19世紀的な伝統に深く根差しています*2

その作品群のほかにマクベスの名前を残したのがクリニシャンとしての活動で、特に1972年の著書『吹奏楽曲の効果的演奏法』Effective Performance of Band Music で提唱された、いわゆるサウンドの「ピラミッド理論」は大きく影響を与えました*3。このメソッド自体は絶対的なものではなく、マクベスも一部のレパートリーについての方策だと断っていますが、代表作を続々と生み出していたこの時期、マクベスはセクションを分離・対比する前世代に典型的な書法とは別に、バンドを「シンフォニック」な合奏体として統合し均一に響かせることについて考えていたのは確実です。

『水夫と鯨』Of Sailors and Whales (1990)、『空の無限の殿堂から』Through Countless Halls of Air (1993) といった、一見違った性格の後年の力作を見ても、音楽の作り方のぶれは少なく、重厚な塊として迫ってくるサウンドと表出的な書きぶりは一貫した武器となっています。それ以上に、マクベスの肉厚で隈取りの濃い表現が存分に生かされたジャンルとしては、師であるC. ウィリアムズのために書いた『カディッシュ』、C. T. スミスに捧げられた『彼らは柳の木に竪琴をかけた』They Hung Their Harps in the Willows (1988) 、ダラスWSの創設者であるハワード・ダンに捧げられた『このぶどうからのワイン』Wine From These Grapes (1993) といった一連の追悼曲が挙げられるでしょう*4

マクベスの作品にひとまず触れようとするなら、『マスク』『カディッシュ』『バッタリア』Battaglia (1965) の充実した演奏を収録したコンピレーション (東芝EMI, 1998) が出発点になると思います。グリモ/アメリカ空軍西部バンド (Altissimo, 1996) の盤は、デッドな録音が気になるところですが、初期から後年の作品までを幅広くカバーしておりマクベスの作風の軸がどこにあるのかを確認することができます。そこから先に進むためには、楽譜の出版元である Southern Music Company から出された、自作自演によるCD-R のシリーズ*5で網羅的に聴いていくことになると思います。

United States Air Force Band of the West: Heritage IV

United States Air Force Band of the West: Heritage IV

  • 発売日: 2011/05/01
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*1:木村吉宏/広島WOの録音 "バンド・クラシックス・ライブラリー 2「アルヴァマー」"がオーソドックスなところだと思います。

*2:マクベス本人も、自分の作風をハンソンと同様の表現的な「ロマンティック」なものと定義して、抽象的に音を置いていく「クラシカル」なパーシケッティなどと対比しています。

*3:日本でも翌年に翻訳出版されています。77年には全日本吹奏楽コンクールのための課題曲『カント』Canto を提供しているのもよく知られているところです。

*4:友人だったチャンスマクベスの脂の乗った時期に亡くなっていますが、追悼曲が見当たらないのはある意味興味深いところです。

*5:初期の有名作は "Vol.1" を中心に、90年代前後の重要作は "Vol. 4" に収録されていますが入手容易とは言えないようで、この選曲を参考に、同社がYouTubeにアップロードしているのを聴いていくといいでしょう。

22. ネリベル:2つの交響的断章

新古典主義の子、ということではチェコ出身のヴァーツラフ・ネリベル Václav Nelhýbel (1919-1996) も例外ではありません。チェコ時代やアメリカ移住直後の作品を聴く機会がないのは残念ですが、吹奏楽の分野で名声を確立した1960年代前後の作品を聴くと、鋭角的なリズムや即物的な音色、簡明な構造は、博士論文の題材として選んでいたストラヴィンスキーの音楽につながり、シンプルな旋法的表現は、幼少期にオルガンや合唱に触れていた彼の音楽的なルーツであるバロック期までの音楽や、やはり研究対象にしていたスラヴ民謡に接続します*1

セクションやパートを分離させてブロック状に動かす書法であったり、短い動機を重ねるリズミックな構成は、50年代の新古典的な吹奏楽作品と共通している特徴ではあります。しかしネリベルの場合、短旋法や半音階的な音使いを多用して響きの厳粛さが増していること、和音の付属しないユニゾンの比重が大きくなり独立した線を強調していること、よりコントラストがきつく直接的な音色を好んでいることによって、さらに強烈なサウンド*2を生むことになります。

加えて特徴的なのは打楽器の用法で、ユニゾンのパワフルな線に対して、しばしば打楽器のリズムがむき出しで対峙しますし、『2つの交響的断章』Two Symphonic Movements (1969) に典型的に見られる鍵盤打楽器の活用はかなり新鮮な響きがします。吹奏楽編成ではどうしても手薄になる高音域を埋め、さらに管楽器に対してレイヤードされた響きとして存在できる鍵盤打楽器(特に金属系)の重用は、吹奏楽の音色の可能性を大きく開いたと言えるでしょう。

ブラフネク/TKWOの盤 (日本コロムビア, 2013) はネリベルのイメージを確立した『2つの交響的断章』『交響的断章』Symphonic Movement (1965) 『フェスティーヴォ』Festivo (1967)アンティフォナーレ』Antiphonale (1971) をまとめて収めており、録音とともにネリベルへの入門として強く勧められます。

この作品群は前述のとおり1960年代後半あたりに集中しており、これ以前で遡るのが容易なのは、初めてアメリカのバンドのために書かれ、素朴に旋法的な『ボヘミア組曲Suite from Bohemia (1964) や、レヴェリとミシガン大学バンドのために書かれ、典型的な作風がすでに確立された『トリティコ』Trittico (1963) *3までですし、もっと以降の作品は未出版作品や録音入手の難しい作品が増え、その存在感に比してネリベル作品の全貌はまったくつかめないままでいます。

吹奏楽作品におけるソリッドな音色感はネリベルの生涯を通じて変わりませんでしたが、後年の作品はホモフォニックな構造や、半音階的要素・長旋法の要素が増えて響きのバラエティは広がっていきます。出発点としてはブラフネク盤の選曲を中心に、大作『復活のシンフォニアSinfonia Resurrectionis (1983) などを収録したフェネル/TKWOの盤 (佼成出版社/1997) や、汐澤安彦/東京アカデミックWOや兼田敏/東京佼成吹奏楽団などの演奏を収録したコンピレーション "ウインド・スタンダーズ Vol. 2 : マクベス&ネリベル・コレクション" (東芝EMI、1998) から聴く範囲を広げていくといいと思います。 

復活のシンフォニア

復活のシンフォニア

 

*1:ネリベルは1960年前後に対位法や和声などの解説レコードを出していて、ソナタ形式の作例を見ると、古典派風の反復される伴奏音型がほとんど現れずポリフォニックな組み立てになっているところにやはりネリベルの指向を見ることができます。

*2:ネリベルがオルガンに親しんでいたことも影響しているでしょうか。

*3:フェネル/ダラスWS (Reference Recordings, 1993) の鮮烈な演奏を推薦。

21. ベンソン:落葉

若いころから打楽器奏者として活動していたウォーレン・ベンソン Warren Benson (1924-2005) は、仲間の管楽器奏者が新しいレパートリーを欲していることを知って、管楽器や吹奏楽のための作品に力を注いだと語っています。作品リストのほぼ最初から吹奏楽作品は書かれていますが、彼の吹奏楽の扱いで特筆されるのが、独奏楽器の集積としてバンドをとらえる姿勢の徹底です*1。1パート1人のアンサンブルのための作品*2は当然のこと、低難易度作品の依頼に応えた『ジンジャー・マーマレードGinger Marmalade (1978) から、交響曲第2番 Symphony No. 2, "Lost Songs" (1982) のような大きい編成の大作に到るまで、同じ態度が共通しています。

このジャンルの最初期の作品であるサクソフォンと "band instruments" のためのコンチェルティーノ (1955) では各楽章の伴奏が打楽器・木管楽器金管楽器と割りつけられ、混合した音色が意識して避けられていますし、イタカ高校のために書かれた*3 Remembrance (1962) も、個々の楽器の音色を生かした薄い書法で、ひとつひとつのパートに重い責任が与えられています。彼の吹奏楽作品にアレグロ率が低く、音数が比較的少なく設定されているのも、ベンソン自身の内省的・抒情的な志向に加えて、大規模な合奏で線同士の絡みを聴かせるため、というのが一つあるでしょう。

峻厳なベンソンの代表作群の中では最上級にとっつきやすいのがたぶん『弔鐘』Passing Bell (1974) *4 だと思いますが、この曲のクライマックスでは低音金管の分厚いコラールが奏される一方で、木管楽器やトランペット・ユーフォニアム、打楽器はあくまで非常に細分化された扱いが施され、複雑にずれた線が重層的な響きで空間を埋め尽くします。

ことに打楽器の活躍はさすが打楽器奏者だったベンソンらしいところで、多彩な音色と減衰するソノリティを生かして、アンサンブルの軸として透明でヴィヴィッドな響きを生み出します。吹奏楽作品のなかでも演奏機会の多い『落葉』The Leaves Are Falling (1964) や『孤独な踊り子』The Solitary Dancer (1969) では、管楽器の書法を極力薄くし、演奏時間を支えるダイナミクスや推進力は打楽器によって作る、独特の書法が典型的に表れています。

吹奏楽への参入はかなり後になりますが、マイケル・コルグラス Michael Colgrass (1932-2019) も同じく打楽器奏者の出身で*5かつソリスティックな書法の発想が近い作曲家として挙げることができます。ほとんどの時間にわたって巨大な空間で繰り広げられる室内楽という趣がある『ナグアルの風』Winds of Nagual (1985) *6などで彼はバンド作品の歴史に深く杭を打ち込むことになりますが、ユーモアの感覚やリズミックな展開、神秘的なものへの関心が強く出ることで表現の指向が広くなっているのが特色です。『ナグアルの風』はコーポロン/シンシナティWS (Klavier, 1995) がおすすめです*7

 

アメリ海兵隊バンドがライヴ録音を集成したベンソン作品集を2枚出していて、主要作品はこちらで揃いますし演奏も粒揃いです。緊張度の高い作品ばかりで、通して聴くにはやや体力を使うかもしれませんが。『落葉』は第2弾 (Mark Records, 2018) に収録されています。

The Music of Warren Benson, Vol. 2

The Music of Warren Benson, Vol. 2

  • 発売日: 2019/05/17
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The Music of Warren Benson, Vol. 1 (Live)

The Music of Warren Benson, Vol. 1 (Live)

  • 発売日: 2019/01/18
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*1:彼はイーストマン音楽学校で長いキャリアを過ごしましたが、赴任は1967年のことで、EWEに間近で触れる以前からアンサンブル志向ははっきりと現れています。『落葉』の初演もEWEでしたが、委嘱元はバンド関係のフラタニティ(大学友愛会)でした。

*2:打楽器と管楽オーケストラのための交響曲 (1963) や、メゾソプラノと管楽アンサンブルのための『影の森』Shadow Wood (1968/1993) 、レヴェリ賞受賞作、室内合唱と管楽アンサンブルのための『夏の太鼓』The Drums of Summer (1997) など。

*3:イタカ高校に勤めていたフランク・L・バッティスティ Frank L. Battisti とベンソンの縁は深く、『落葉』の委嘱にもバッティスティが関わっていますし、イタカ高校による一連の委嘱プロジェクトは、ベンソンの Night Song (1958) で幕を開けています。委嘱に応えた作曲家にはパーシケッティハートレーたちが含まれ、偶然性や電子音を取り入れた作品もあります。レスリー・バセット Leslie Bassett (1923-2016) が最初の吹奏楽作品 『造形、図像、テクスチュア』Designs, Images, and Textures (1966) を書くきっかけにもなりました。バセットの吹奏楽作品は『色彩と輪郭』Colors and Contours (1966) や『音響、形状、象徴』Sounds, Shapes, and Symbols (1977) などありますが、文献などでの扱いの大きさのわりに録音が少ないのが残念です。

*4:アメリ海兵隊バンドによるベンソン作品集の第1弾 (Mark Records, 2018) に収録されているジョン・D・ブルジョワ指揮の演奏をおすすめします。アルバム "Elements" (Altissimo, 2015) に収録されたフェッティグ指揮のスタジオ録音もよく彫琢された演奏で甲乙付けがたいですが、前者のほうがより生々しい感触を感じます。

*5:プレイヤーとしてはニューヨークを拠点に活動していましたが、作曲を盛んに行うようになってからはカナダで過ごしていました。カナダの吹奏楽と関わりのある作曲家はアメリカとつながった面々が目立ち、膨大な編曲作品で知られるルイ=フィリップ・ローレンデュー Louis-Philippe Laurendeau (1861-1916) やデイヴィッド・マーラット David Marlatt 、低グレード作品に力を注ぐヴィンス・ガッシ Vince Gassi (1959-) やケイト・ニシムラ Cait Nishimura (1991-) 、民謡による Newfoundland Rhapsody (1956) や Snake Fence Country (1954) で知られる一方でゴールドマン・バンドから『ストラトフォード組曲』Stratford Suite (1964) の委嘱を受け、その名を冠した作曲賞もあるハワード・ケーブル Howard Cable (1920-2016) などがいますが、そのほかにも現地のバンドと密接な活動を続けた Joseph Vézina (1849-1924) や Charles O'Neill (1882-1964)、James Gayfer (1916-1997) 、イギリス出身のロバート・レッドヘッド Robert Redhead (1940-) やロバート・バックリー Robert Buckley (1946-) 、ピーター・ミーチャン Peter Meechan (1980-) 、南アフリカ出身のマルコム・フォーサイス Malcolm Forsyth (1936-2011) 、チェコ出身のオスカル・モラヴェツ Oskar Morawetz (1917-2007) などもいて背景は多様です。

*6:奇しくも、委嘱者はベンソンと縁の深かったバッティスティの指揮するニューイングランド音楽院WEでした。

*7:ノーステキサスWSとの演奏を収録したGIA Windworksの盤 (2011) は、ピューリッツァー賞を受賞した管弦楽作品の自編『デジャ・ヴュ』(1977/arr. 1987) など2枚組に吹奏楽作品が詰め込まれています。

20. ビリク:ブロックM

ジェリー・ビリク Jerry H. Bilik (1933-) がコンサートマーチ『ブロックM』Block M (1955) を作曲したとき、彼はまだミシガン大学で音楽教育を学ぶ学生でした。ミシガン大学のバンドがこの作品を演奏したときのプログラムがネットにありますが*1 、ビリク (Jerald Bilik) はトロンボーンの首席奏者として演奏に参加していて、解説によるとこれ以前からこのバンドのために編曲を行っていたとあります。

ウィリアム・レヴェリ William D. Revelli (1902-1994) の指揮するミシガン大学のシンフォニックバンド*2は、当時のアメリカを代表する吹奏楽団でした。ヴァイオリンを学び、10歳のときスーザ・バンドに魅せられたレヴェリは、教師としてインディアナ州ホバート (Hobart) の高校でバンド指導にたずさわり、全国規模のコンテストで結果を残したあと、1935年からミシガン大学音楽学部で管楽器部門の主任を務めるとともに、バンドの指導に打ち込みました。シンフォニックバンドは1961年、モスクワを含めた世界ツアーを成功させています。関わった複数のバンドにはマーチングバンドも含まれており、スタジアムでのドリルを娯楽として発展させ、また歩行のテンポを大幅に速めたスタイルは他のバンドにも影響を及ぼしたといいます。

大学のバンド自体は19世紀前半から多く存在し、式典や軍事教練、スポーツの場などで活動していましたが、教育機関でのバンド活動は第一次大戦の前後から各地で本格的に発展し、この時代、ミシガン大学のほかにもイリノイ大学のA.A.ハーディング (1907-1948在任) やマーク・ハインズレー (1950-1970在任) 、ウィスコンシン大学のレイモンド・ドヴォラーク (1934-1968在任) 、イタカ大学*3のウォルター・ビーラー (1935-1973在任) 、南カリフォルニア大学のウィリアム・シェーファー (1952-1979在任) 、ノースウエスタン大学のグレン・クリフ・バイナム (1926-1953在任) やジョン・P・ペインター (1953-1996在任)、ミネソタ大学のフランク・ベンクリシュートー (1960-1993在任) といった専門の指導者たちに率いられたバンドが無数に並び立っていました*4。これらのバンドの多くは純粋なアマチュアの活動ではなく、ビリクがそうであるように音楽学部での研究/創作や教育とも結びついており、複数の局面で注目すべき成果を挙げていくことになります。

この時代に吹奏楽創作が一気に盛んになったのは述べてきたとおりですが、ゴールドマン・バンドや軍楽隊のようなプロフェッショナルのバンドに加えてレパートリー創出の軸となったのが各大学のバンドでした。これまでに言及したなかでもパーシケッティの交響曲第6番W.シューマンの『チェスター』ジャンニーニの交響曲第3番のような重要作品が大学バンドや関係団体によって委嘱されています。これよりもあとの時代の重要レパートリーを見ていくうえでも、大学バンドは幾度となく出てくることになるでしょう。

なお、レヴェリが中心となって設立されたCDBNA*5が1960年に提唱した「理想的」なバンド編成は、18人のB管クラリネットクラリネットセクション全体では30人)を含む計72人の編成でした。1952年のイーストマン・ウィンド・アンサンブル設立にインパクトがあったのは確かですが、その後も大規模なコンサートバンド/シンフォニックバンドの流れが絶えることはなく、吹奏楽界の大きな部分を占める存在であることに変わりはありませんでした。

 

『ブロックM』はミシガン大学の象徴であるブロック体の"M"の字を名前に関した、ジャズの影響を感じさせるアイデアが随所に光るモダンなマーチで、発表以来スタンダードとして愛されています*6。音を詰め込みすぎない身軽な感触は、現在に至るまで綿々と書き継がれている「速めのテンポのコンサートマーチ」の一つの雛形かもしれません。演奏は武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊 (FONTEC, 2009) で。

この後ビリクは1958年に作曲の修士号を取得、『南北戦争の幻想曲』American Civil War Fantasy (1961) などミシガン大学バンドのための編作を多数行うとともに、映像音楽の分野で活躍することになります。吹奏楽作品を見ると交響曲 (1972) やサクソフォン協奏曲 (1974) など重厚なものもありますが、明快なリズムをはじめとする親しみやすい要素は決して失われていません。

On the Mall-木陰の散歩道-ベスト・オブ・マーチ

On the Mall-木陰の散歩道-ベスト・オブ・マーチ

 

*1:https://books.google.co.jp/books?hl=ja&id=UF7lAAAAMAAJ&q=block+m#v=snippet&q=block%20m&f=false

*2:他大学も含め、当時は Symphony Band と表記されることが多かったようです。

*3:音楽の単科大学です。

*4:『セント・アンソニー・ヴァリエーションズ』St. Anthony Variations (1979) で有名なウィリアム・ヒル William H. Hill (1930-2000) も、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校などでバンド指導に携わっていました(『セント・アンソニー』は高校バンドの委嘱作です。ところで表記は "Variants""Variations" どちらなのでしょう?)。50-60年代風の乾いた響きのバンド音楽に、おそらくはフサの影響が加わった作品群に興味はあるのですが(『神聖な舞曲と世俗的な舞曲』Danses Sacred and Profane (1977) など。交響曲も3曲あるとか)、一部の作品(https://www.worldcat.org/title/compositions-of-william-h-hill/oclc/5764022)以外は情報が限られているのが残念です。

*5:College Band Directors National Association。1941年発足。一応補足しますが、フェネルやハンスバーガー、バッティスティといった「ウィンド・アンサンブル」の指揮者たちも当然ながら会員で、ここで挙げた3人とものちに会長を務めています。

*6:同様にスタンダードになっているポップな感覚のコンサートマーチとしては、オスタリング Eric Osterling の『バンドロジーBandology (1963) や『サンダークレスト』Thundercrest (1964) というのもあります。

19. C.ウィリアムズ:交響組曲

アメリカの)吹奏楽曲創作史に流れを見出すなら、クリフトン・ウィリアムズ Clifton Williams (1923-1976) がその軸に組み入れられることは間違いありません。作曲賞によって作品創作に(限定的とはいえ)評価軸が形成されていく先頭に位置すること、のちに吹奏楽ジャンルに貢献する何人もの弟子を育てたこと、そしておよそ20年に渡って多数の作品をコンスタントに提供したことが理由で、どれをとっても吹奏楽曲創作に継続的な潮流を与えた貢献は絶大なものがあります。このジャンルに積極的に取り組む理由についてウィリアムズは、オーケストラが必ずしも新曲に優しくないのに対し、吹奏楽は新しい作品への需要が高く、演奏機会に恵まれているからと答えていて*1、これは現在でも吹奏楽に関わる作曲家が頻繁に口にするものです。

もっとも彼が、現在吹奏楽界で知られているような「クリフトン・ウィリアムズ」になるまでには段階があり、従軍中に作曲した Postwar Prelude (1943) や、イーストマン音楽院の修士修了作品を編曲した『ソナタアレグロSonata Allegro (1949) はオーケストラの弦楽を移し替えたような木管楽器のアンサンブルを主体に組み立てられていて、のちの輝かしいサウンドとは明確な距離があります。語法自体もロマンティックな色が濃く、のちの開放的な和声や、簡潔な動機を積み重ねていく展開法はまだ息をひそめています。

しかし、複数のバンドから演奏困難と判断され、改作のうえで応募したABA/オストウォルド賞を射止めた『ファンファーレとアレグロFanfare and Allegro (1954/rev.1956) では、金管や打楽器を活用し、力強いユニゾンを中心にした明快なテクスチュアによる剛毅なサウンドが完成しています。この作品は、いくつもの意味での転換点でした。

ただ『ファンファーレとアレグロ』はもちろん名作*2 ですが、個性的な発想を生のまま飲まされているような感じがあり、続いて作曲された『交響組曲Symphonic Suite (1956) のほうが、ウィリアムズのよく採用するコントラストのはっきりしたブロック構造を楽章に分割したよりわかりやすい構成で、ウィリアムズに触れるのに良い選択ではないかと思います。

死の直前までウィリアムズが書き継いでいった吹奏楽作品は数十作にのぼり、未出版作品も残っています。ほかの作品にも、同様の豪快な響きと綿密な構成が聴ける『献呈序曲』Dedicatory Overture (1964) *3や『ランパーツ』The Ramparts (1967) 、陽気なラテン情緒との抜群の相性を見せる交響的舞曲第3番『フィエスタ』Symphonic Dance No. 3, "Fiesta" (1967)*4、明るいサウンドを生かした勇壮なコンサートマーチのシンフォニアンズ』The Sinfonians (1960) *5、力強さとともに声高でない抒情を備えた『カッチアとコラール』Caccia and Chorale (1976) *6や『パストラーレ』Pastorale (1957) と、大事な作品には枚挙にいとまがありません。

『交響組曲』の演奏は、現在手に入りやすいところではコーポロン/ノーステキサスWS盤 (GIA Windworks, 2008) が不足のない演奏です。主要作品を総覧するようなディスクがないのがすこし面倒です*7

ドメインズ Domains

ドメインズ Domains

  • 発売日: 2008/12/15
  • メディア: CD
 

 

ファンファーレとアレグロ

ファンファーレとアレグロ

 

 

*1:もともとは、イーストマン音楽院時代にハワード・ハンソンから同じアドバイスを受けていたといいます。

*2:フェネル/EWE (Mercury, 1959) の激烈な演奏も記念碑的なものですが、落ち着いて曲に集中できるのはフェネル/TKWO (佼成出版社, 1991) あたりだと思います。

*3:なにわ《オーケストラル》ウィンズ盤 (ブレーン, 2010) は曲のイメージを一変させる清冽な演奏。

*4:H.O.リード『メキシコの祭り』で紹介したダン/ダラスWS盤で聴きましょう。

*5:大井剛史/TKWO (ポニーキャニオン, 2017) を勧めます。エリス/ラウントリーWS (Mark Custom, 2012) は合唱を入れた貴重な演奏ですがちょっと録音が荒い。

*6:加養浩幸/航空自衛隊航空中央音楽隊 (CAFUA, 2009) がいいでしょう。

*7:中部アメリカ空軍バンド USAF Band Of Mid-America の "One Of Our Own: Clifton Williams" (Altissimo, 2012) という盤があるようですが今の時点では入手方法がわからず。