A02. モーツァルト:セレナード第10番『グラン・パルティータ』

オーボエバンドの流れを汲むオーボエ2、ホルン2、バスーン2または1という構成の合奏は、18世紀後半になっても各所で受け継がれました*1。機能や運営主体も依然として広範で、作品としてはハイドンがエステルハージ家の副楽長時代に書いた「ディヴェルティメント」あるいは ″Feldparthien″ (Hob.II:3, 7, 15, 23 *2 )、モーツァルトがザルツブルグの大司教のために書いたディヴェルティメント群 (K. 213, 240, 252 (240a), 253, 270。K. 289 (271g) は疑作) 、ディッタースドルフの「パルティア」群などが挙げられます*3

一方でこうした管楽合奏において、世紀半ばから普及を始めたクラリネットが入る編成も平行して存在するようになります。高音部のオーボエに代わってクラリネットが入った編成は、パリで1760年代にはみられ、ロンドンで活動していたJ.C.バッハによる6曲の「シンフォニア」(pub. 1782) と4曲の ″military pieces″ (pub. 1794) があるように*4、フランスやイギリスで好まれた組み合わせです。とはいえドイツ語圏に目を向けると、この編成のためC.P.E.バッハ (1788没) はハンブルクで2つの行進曲 Wq 186(現存せず)を書いており*5、ウィーンのベートーヴェンによる六重奏曲 Op. 71 (1796/pub.1810) 行進曲 WoO 29 (1798)*6 やヴァンハル、クロンマーの複数の "Parthia"/"Partita" 、ミュンヘンで働いていたダンツィの六重奏曲 Op. 10 (pub. 1802) 、シュトゥットガルトのウェーバーによる『アダージョとロンド』J. Anh. 31 (1806-07?/1808) といった例もあって、期間を広げれば実作の分布は意外と広範です。ホルンの受容が早くなかった場所ではオーボエ2、クラリネット2、バスーンという編成も確認されます。

 

ここまで現れた楽器を併用したオーボエ2、クラリネット2、ホルン2、バスーン2という八重奏については、早くも1753年のロンドンでは軍隊の先頭で行進するこの編成のバンドを描いた版画が存在しており*7、1772年のベルギーのヘントではワロン系の連隊がこの編成の楽隊を持っていたとチャールズ・バーニーが報告しています*8。レパートリーの面では、アイヒナー Ernst Eichner が(イギリスの軍楽隊のために?) 『ディヴェルティメント』(1773) を書き、 ミスリヴェチェクが1770年代に(ミュンヘンのオーボエ奏者からの依頼で?)3作の八重奏曲を残しています。

個別の事例はともかく、1782年に皇帝ヨーゼフ2世が組織した楽団 ("kaiserlich-königlich Harmonie") がオーボエ-クラリネット-ホルン-バスーン編成の普及と発展に大きな役割を果たしたのは確かでしょう。宮廷が運営していたブルク劇場*9の奏者で構成されていたこの楽団は、オーストリアを起点にドイツ、もしくはハプスブルク家の支配下にあったハンガリーやチェコに同様の編成が広まるきっかけになります——ただしより小規模な編成も見られなくなったわけではありませんし、ここから「外れた」編成も珍しくありません。そもそもホルンの参加がある程度一般化してから半世紀ほど経った1762年にもダブルリードのみのバンドが確認されているように、この種のアンサンブルの構成に関しては地域的差異や時間的変遷に個々の雇用主や実作者の意向が絡み合っていて、一貫した整理は難しくはあります。

 

古典派の盛期に繁栄したこの種の木管合奏、とくに前述の八重奏をベースとする編成は現在でも、当時のドイツ語圏で使われていた呼称であるハルモニームジーク Harmoniemusik あるいはハルモニー Harmonie の語で呼ばれます*10。前述のとおり軍楽隊などでも同様の編成は用いられましたが、この語はおもに王侯貴族の楽しみ、室内で演奏され「鑑賞」の領域も見据えたもの、という面を強調して使われることが多いように思います。当時のハルモニームジークは上流階級の生活の伴奏音楽としての役割をオーケストラと共有していて、またオーケストラよりは控えめとはいえ公開もしくは私的な演奏会の場にも顔を出していました*11。レパートリーの中軸となったのは劇場音楽、とくにオペラからの編曲で、根強い需要に支えられた物量で現存資料の多数を占め、クレジット不明のものも多いなかでトリーベンゼー Josef Triebensee*12、ヴェント Johann Nepomuk Wendt*13、セドラク Wenzel Sedlák*14などの編曲家/作曲家の名前が知られています。ほかにもこの編成のために多数の楽曲が書かれ、数は控えめではありますが器楽曲からの編曲も一定数が残されています*15

 

当時この編成のために書かれた作品は多くが多楽章形式で、古風な語になりはじめていたパルティータ Partita もしくはパルティア Partia/Parthia の呼称がよく充てられました。他の語としてはディヴェルティメントやセレナード、カッサシオン、ノットゥルノ、ナハトムジーク、または編成を示す「〜重奏曲」「ハルモニー」などがあり、 これらは起源やニュアンスに関して違いはあってもおおむね共通の、明朗な美学を持っています。

このジャンルに力を注いだ作曲家としてはクロンマー Franz Krommer/František Vincenc Kramář*16、ロセッティ Antonio Rosetti/Franz Anton Rösler*17、ドゥルシェツキー Georg Druschetzky/Jiří Družecký*18といった面々が挙がりますが(みなチェコ出身)、ほかにもC.シュターミツ、プレイエル、ホフマイスター、アルブレヒツベルガー、コジェルフ、マシェク、ヴラニツキー、ライヒャ、J.N.フンメル*19、サリエリ*20、ベートーヴェン*21、シューベルト*22、ウェーバー*23 など、当時の作曲家を追っていくとかなりの確率でハルモニームジークを手掛けていると言っていいでしょう。

しかし、そのなかでもヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) の作品は後世にも抜きん出た演奏機会を与えられ、大きな影響を与えています。しかもオリジナル作品にとどまらず、人気のオペラ作曲家であった彼はその作品の編曲譜という経路もふくめて——『ドン・ジョヴァンニ』の終盤では、逆にハルモニーを劇中に取り入れる発想まで見せます——ハルモニームジークという文化に深く絡んでいたと言えるでしょう*24

宮廷への就職活動を見据えた作品でモーツァルトみずから「ちょっと念入りに書いた」というセレナード第11番 K. 375 (1781/82)*25、異様な峻厳さをもちバロック音楽からの影響をうかがわせる第12番 K. 388/384a (1782) もきわめて重要な作品ですが*26『グラン・パルティータ』とあだ名される第10番 K. 361/370a (1781? 83-84?*27 ) はその柄の大きさが存在感の大きさにつながっていると言えます。全7楽章、演奏時間50分前後という規模はいかにもセレナード的なおおらかさを示唆するものではありますが、管楽のみの「パルティータ」には珍しい、オーケストラ的なバラエティを前提としたスケール*28とも言えます。

低音(コントラバス)を含めて13パートという編成の大きさは類例が少なく*29、サウンドをフルートやトランペットなどで「外に」拡張するのではなく、ここでは中音域にバセットホルンとホルンのペアをそれぞれ追加して微妙なコントラストと重厚なサウンドを得ており*30、のちの大編成バンドの展開に結びつけられることがある所以でしょう。バセットホルンやクラリネットの低音にモーツァルトが抱いた愛着は、皇帝のハルモニーにも参加していた——友人で、フリーメイソンの仲間でもある——シュタドラー兄弟の影響と考えられ、オーケストラ/声楽作品のほかに、アダージョ K. 410 と K. 411/484a (1785?) 、三重奏のためのディヴェルティメント集 K. Anh.229/439b (1783-88?) といった管楽作品でも活用例を残しています。

録音としては、豊かで身の詰まった響きが持ち味のヨーロッパ室内管ソロイスツ (Teldec, 1990) *31と、ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル (EMI, 2006) の活気のある演奏を挙げておきます。ピリオド・アプローチではヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管 (Harmonia Mundi, 1997) のよく磨かれた演奏が世評も高く勧めやすいところでしょうか。

 

なお、(楽器ごとのペアを基盤とする)ハルモニームジークに少し遅れて注目された編成に、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーン一本ずつからなる、いまでいう「木管五重奏」があります。この編成の歴史はカンビーニ Giuseppe Cambini が1802年にパリで出版した3曲の「協奏的」五重奏曲 (1797-99?) に始まると考えられていますが*32、そもそもカンビーニは協奏交響曲や「協奏的(弦楽)四重奏曲」の分野に膨大な作品を残した作曲家でした。木管五重奏はこれらのジャンルと同様、おのおの個性を持つソリストたちの競演というコンセプトから始まり、のちにライヒャ*33やダンツィなどの作品によって「室内楽」的なまとまりが発見されることになったと整理できるでしょう。ダブルリードによるアンサンブルを源流にもち、段階的に楽器が加わる過程でソリスティックな表現が見いだされるようになったハルモニームジークとはある意味反対の存在と言えるかもしれません。

 

フランス革命とそこから引き起こされた戦乱は、ハルモニームジーク、ひいては従来組織された管楽合奏を支えていた社会的前提を崩していきます。ハルモニームジークの文化そのものは19世紀に入ってもしばらく残りますが、18世紀末から貴族が持つ楽団の縮小傾向は始まっていました。時代が進むにつれ(市民階級が主軸となる)新しい好みに従って、器楽の形態は個人で主催容易な室内楽や独奏と、公共的な性格のオーケストラや大編成のバンドに二極化したように思われ、中間に位置するハルモニーの活動は鈍っていきます。ハルモニー文化は1830年代半ばにいったん終わりを迎えたと考えることができ*34、オーストリア皇帝のハルモニーは1835年から37年にかけての期間に廃止され、リヒテンシュタイン公のハルモニーは1835年ごろに解散、ゾンダースハウゼン公のハルモニーは1835年に管弦楽団に置きかわります。ただし何事にも例外はあるもので、ドナウエッシンゲンの宮廷が持っていたハルモニーはドイツ統一も近づいた1865年まで存続していた記録があるのですが。

 

継続的な楽団の形態としてのハルモニーは関連する文化とともに衰退し、ほかの編成が適宜その役割を代替していったのですが、この編成で書かれた作品(の一部)は命脈を保ち、世代を超えて受け継がれていました。19世紀は物故した「大作曲家」による「古典的」なレパートリーへの関心が大きく高まった時代であり、その周縁ではモーツァルトたちの管楽作品もプログラムに載せられていたためです。
ただし「バンド」としてのハルモニーという編成はすでに役割を終えており、これらの作品は、同時代の大編成吹奏楽とは直接交わらないところで、大きい編成の室内楽、あるいは小規模なオーケストラとして受容されたことは確認しておくべきでしょう。

この新しい流れから生まれたのが*35ブラームスのセレナード第2番 Op. 16 (1858-59/rev. 1875) です。大きな弦セクションを含む「オーケストラ」作品ではありますが*36、ヴァイオリンは編成から割愛されており、全体を通して木管楽器の響きを中低音域の弦が支え、呼応するような手法で書かれています*37
木管合奏の復興が本格的に始まるのは1870年代以降のことで*38、ヨアヒム・ラフのシンフォニエッタ Op. 188 (1873) 、ドヴォルザークの管楽セレナード Op. 44 (1878) 、R. シュトラウスのセレナード Op. 7 (1881)『組曲』Op. 4 (1884) *39、ライネッケの八重奏曲 Op. 216 (1892) などの作品が生まれます*40。これらは多くが長調による明朗快活な表現を指向しており、大編成作品を志す作曲家たちにとって、モーツァルトやハイドンと結びつく「セレナード」、もしくはバッハ(や舞台作品・性格小品)と結びつく「組曲」*41のようなジャンルは、ベートーヴェンの権威に裏打ちされてきわめて厳しい規範が設定された交響曲やソナタなどと対置したとき、比較的のびのびと取り組める場を提供していた——木管合奏はその器の一つとして機能していた——と言えるでしょう。

 

そのころパリで活躍していたフルーティストのポール・タファネルは、1879年に演奏団体「管楽器室内楽協会」Société de musique de chambre pour instruments à vent の活動を開始します。弦楽器を完全に排除はしないものの、軸となるメンバーはオーボエ-クラリネット-ホルン-バスーン各2の八重奏編成と、ピアノ、タファネルのフルートという面々でした。独奏曲や木管五重奏から、大きめの編成の作品まで幅広く取り上げ、年代もバロック期から当時最新の作品までさまざまでしたが、レパートリーの大きな軸のひとつとなったのはモーツァルトやベートーヴェンによるハルモニームジーク作品です。
タファネルは70年代前半にも、弦管混成で「古典」を取り上げる、音楽愛好家向けの室内楽演奏団体で活動しています。そこでもモーツァルトなどの管楽合奏作品は演奏されていましたが、管楽器奏者であるタファネルがあらためて活動の焦点を絞ったのがこの新たな集まりということになるでしょう。

「管楽器室内楽協会」は1893年、タファネルが指揮活動で多忙になったために解散しますが、ほかの参加者たちは同様の活動を続け、また彼らの弟子世代にあたるフルーティストのジョルジュ・バレール Georges Barrère 、オーボイストのジョルジュ・ロンギー Georges Longy などが室内楽に積極的に取り組んだ結果、管楽器に重きをおく室内楽団体はパリに限らずあちこちで成立します。こうした活動は管楽のための「古典的」な作品を普及させただけでなく、新しい作品の誕生にも寄与したでしょう。

世紀転換期のフランスで書かれた、ハルモニームジークの伝統の周辺にある作品としては、グヴィ Théodore Gouvy の八重奏曲 Op. 71 (1879) 『ガリア風小組曲』Petite Suite Gauloise, Op. 90 (1888?) など*42、グノー『小交響曲』Petite Symphonie (1885)*43、ベルナール Émile Bernard のディヴェルティスマン Op.36 (1888)*44、ダンディ『歌と踊り』Chanson et Dances, Op. 50 (1898)、カプレ André Caplet『ペルシャ組曲』Suite Persane (1900)、エネスコの十重奏曲 Op. 14 (1906) といった作品を挙げられます*45。ドイツ周辺の作品にも言えることですが、リード楽器とホルンに加えてフルートの参加が一般的になり、高音域をフルートとオーボエ1本ずつが分け合う八重奏編成や、フルートが2本入った double quintet などと呼ばれる十重奏が新たな雛形になっているようなのが興味深いところです*46

 

第一次大戦後からは、新古典主義的な作風の作曲家を中心に、管楽合奏作品のブームが訪れます。ですがミヨーの室内交響曲第5番 (1920) におけるいわゆる「特殊楽器」の採用や木管五重奏の隆盛に現れているように、この時期の作品はおもに楽器種/音色の多様さと、その独立による風通しのいいサウンドに関心を持っており、各楽器のペアを重ねていく安定した音響はむしろ下火になります*47。晩年になってクラリネット族を軸に立てた2曲の『ソナチネ』(1943, 1944-45) *48を16管楽器のために書いたR.シュトラウスは、まさにロマン派の交響楽作家の生き残りとして振る舞ったと言えるでしょう。

しかしながらその後もハルモニームジークの発想による編成を用いた作品は書き継がれています。比較的知られているところだとボザ『オクタンフォニー』Octanphonie (1972) 、ファルカシュ Ferenc Farkas の Contrafacta Hungarica (1977) 、ゴードン・ジェイコブのディヴェルティメント (1968)『古いワインを新しいボトルに』Old Wine in New Bottles シリーズ (1958, 1978) 、マルコム・アーノルドのディヴェルティメント (1988)『トレヴェリアン組曲』Trevelyan Suite (1967) 、ウールフェンデン『フランス組曲』Suite Française (1991) 、フランセがマインツ管楽アンサンブル Bläser Ensemble Mainz との協力で生み出した作品群*49などがありますし、イサン・ユン『ハルモニア』Harmonia (1974) 八重奏曲 (1993)、デニーソフの八重奏曲 (1991)、細川俊夫『ヴァリエーションズ』Variations (1994)、クセナキス Kuïlenn (1995) のように前衛寄りの語法による作品もあり、またアンドレアス・タルクマン Andreas Tarkmann たちによって編曲の媒体としての役割も復活しています。

戦後にはフェネルによる「ウインド・アンサンブル」のコンセプトに代表されるように、近代的な「バンド」音楽と小規模な管楽合奏とをシームレスに把握し、同列にプログラムに載せる考えがじわじわと広まります*50。このため以前からハルモニーを自らの領域のなかに取り込んでいたオーケストラや、タファネルたちを祖先に持つこの編成を基本に活動するアンサンブルに加えて、そうした伝統とのつながりを求めた「吹奏楽団」も木管合奏に取り組むのが珍しくなくなりました。新しい作品の創造や研究の進展によるレパートリーの拡張もあり、ハルモニームジークは当初の機能を超えて、現代においてもアンサンブルの形態としての重要性を保ちつづけていると言えるでしょう。

 

 

*1:この組み合わせは、初期古典派オーケストラの管楽セクションのスタンダードにもなります。そしてオーケストラ内での彼らの重要な役割が、弦楽の動きに和音 harmonie の背景を与えることでした。

*2:「聖アントニウスのコラール」などで知られ、木管五重奏のレパートリーとしても有名な Hob.II:46 を含む疑作群 (Hob.II:44-46) も、低音側がさらに二声拡張されていますがこのカテゴリに含まれるでしょう。

*3:ウィーンを中心に活動したアスプルマイヤー Franz Asplmayr (Aspelmayr, Aspelmayer) はこの編成で50曲以上を書いています。彼の「パルティータ」群は、「野外の」di campagnia「室内の」da camera の分類を明示しているのが興味深い点です。

*4:ハイドンがイギリスと関わった1890年代前半ごろに書かれた行進曲群 Hob. VIII:1-3, 6, 7 もクラリネット-ホルン-バスーンが中核になっています。これらより早い時期の Marche regimento de marshall, Hob. iii, 315 はオーボエ-ホルン-バスーン編成、晩年の Ungarischer Nationalmarsch Hob. VIII:4 はオーボエとクラリネットの両方を含みます。

*5:このジャンルではフルート-クラリネット-ホルン-バスーン各2による「小さな」6曲のソナタ wq 184 (1775) を残しているほか、オーボエ-ホルン-バスーン編成の2つの行進曲 Wq 187、オーボエ-クラリネット-ホルン-バスーンの八重奏編成の6つの行進曲 Wq 185 もあります。

*6:晩年の『盟友歌』Bundeslied, Op. 122 (1822) はこの編成が加わる軽快な合唱/重唱曲です。

*7:イギリスから独立することになる新大陸においても、1774年のボストンでの(軍楽隊による?)演奏会では「クラリネット、オーボエ、バスーン、フレンチホルン、トランペット、ケトルドラムなど」が参加することが告知され、1798年に設立された海兵隊バンドもクラリネット入りの編成をとっていました。当時のアメリカでは、音楽愛好家だったトマス・ジェファーソンが1778年の手紙でこぼしているように富裕層であっても個人で「フレンチホルン2本、クラリネット2本、オーボエ(2本)、(1本の)バスーン」の楽隊を持つのは難しかったようだったいっぽうで、ドイツの拠点からやってきた宗教共同体、モラヴィア兄弟団がさかんに行っていた音楽活動には木管合奏も含まれており、興味深い例として注目されています。ロゼッティなどの作品の演奏が確認されているほか、音楽活動の中心人物だった David Moritz Michael のクラリネット-ホルン-バスーン編成を軸にした作品群が残されています。

*8:ただしこれらは、1762年のイギリス王立砲兵隊バンドの編成が「オーボエまたはクラリネット」4、ホルン2、バスーン2、トランペット2となっているように、伝統的なオーボエ中心の四-六重奏の拡張と複数楽器の習得という習慣から生まれたものとも考えられ、特定の時点で八重奏編成の形成に決定的な飛躍が起きていたと判断するのは難しいでしょう。

*9:モーツァルト『フィガロの結婚』などの初演も担当し、奏者たちによる管楽編曲はオペラそのものとかなり近いところで作成されていたと言えます。

*10:音楽学用語としてのこの語の普及には、Roger Hellyer の1973年の論文 "Harmoniemusik: Music for Small Wind Band in the Late Eighteenth and Early Nineteenth Centuries" が寄与したと思われます。Hellyerの研究(書籍としては未刊行)は現在も基礎となる文献として言及されますが、David Gasche をはじめとする後続の研究も充実してきています。

*11:当時の啓蒙的な空気と市民階級の伸長を背景に、流行は貴族階級以外にも及んでいました。チャールズ・バーニーは1772年にウィーンで泊まった宿屋が木管合奏の楽隊を持ち、「おそろしく調子外れな」音を聴かせてきたと報告していますし、モーツァルトの K. 375 は宮廷画家の家のために作曲され、街中でも演奏されました。屋外でハルモニーが演奏した場所にはプラーター公園やアウガルテンといったウィーンの公園も含まれ、花火などの出し物を盛り上げることもありました。

*12:オーストリア皇帝のハルモニーのオーボエ奏者を務めつつ各所のオーケストラで活躍し、後年はオペラ作曲家としても活動しました。『ドン・ジョヴァンニ』以降のモーツァルトのオペラやケルビーニ『メデア』、ハイドン「オックスフォード」交響曲といった編曲譜のほか、ピアノ独奏を置いた『コンチェルティーノ』(1798?) が同種の編成のなかで比較的演奏機会があります。

*13:トリーベンゼーの義理の父にあたり、チェコやオーストリアのハルモニーを歴任したあと、やはり皇帝のハルモニーで活動しました。モーツァルト『後宮からの逃走』『フィガロの結婚』など多数のオペラ編曲があります。

*14:トリーベンゼーの後を継いでクラリネット奏者としてリヒテンシュタイン公アロイス1世に仕え、ベートーヴェン『フィデリオ』やロッシーニ『セビリアの理髪師』『ウィリアム・テル』などの編曲譜が知られます。交響曲全曲の貴重な同時代出版譜としてよく演奏されるベートーヴェンの交響曲第7番 (1813/arr. 1816) の編曲者と目されることもあります。

*15:同時代には出版されず、雇い主のもとを出なかったもしくは写本で流通していたハルモニー譜も多く、各宮廷に保存されていた資料の調査が重要になってきます。ボヘミアではパフタ Pachta 伯爵家、クルマウ Krumau/Český Krumlov のシュヴァルツェンベルク Schwarzenberg 候爵家、ハンガリーではアイゼンシュタットのエステルハージ家、ドイツのエッティンゲン=ヴァラーシュタイン家 Oettingen-Wallerstein 、ホーエンローエ=エーリンゲン家 Hohenlohe-Oehringen 、ドナウエッシンゲンのフェルステンベルク公爵家、レーゲンスブルクなどの宮廷や、モラヴィアのクレムジア Kremsier/Kroměříž の司教の居城、ブルノの修道院などから重要なコレクションが見つかっています。

*16:作品番号の付いた13曲のパルティータはすべて19世紀に入ってから発表されており、楽器の組み合わせの工夫でこの編成のカラフルさが生かされています。ザビーネ・マイヤー管楽アンサンブル (EMI, 1991) の録音は盤石の安定感。

*17:長く仕えた Öttingen-Wallerstein 宮廷の状況を反映し、フルートやコントラバスで拡張された編成、ホルンの活躍が目立ちます。コンソルティウム・クラシクム盤 (CPO, 2004) が勧められます。

*18:アンフィオン管楽八重奏団盤 (Accent, 2008) は性格のはっきりした『パルティア』群に加えて珍しい声楽入りの作品も収めています。ベートーヴェンの七重奏曲や『悲愴』ソナタ(楽譜にクレジットなし)、ハイドンの『天地創造』『四季』などの注目すべき編曲も作っています。

*19:比較的初期のパルティータ  S.48 (1803) があります。

*20:八(九)重奏編成では『夜の神殿のためのアルモニア』Armonia per un Tempio della Notte (1795?) があり、類似の編成で『カッサツィオーネ』や『小セレナード』、舞曲・行進曲群が残されています。

*21:ボン時代に書かれた八重奏曲 Op. 103 (1792-93) とロンディーノ WoO 25 (1793) があります。『アテネの廃墟』Op. 113 (1811) 第5曲の「舞台裏からの」音楽もこの編成によります。

*22:十代に八重奏曲 D. 72(未完、1813)、メヌエット集 D. 2d (995) (1811) を書いているほか、劇音楽の一部として弦を含まない編成がみられます。トロンボーンが入る九重奏の Eine kleine Trauermusik (Franz Schuberts Begräbnis-Feyer), D. 79 (1813) はJ.F.ハイドン『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』Hob.XX:2 の追加曲 (1796) と同様、M.ハイドンやザイフリート、または自身が後期に書いた宗教曲につながるものでしょう。

*23:時代が下るせいか基本編成からはすこしはみ出しますが、ワルツ J. 149 (1812)、ソプラノ独唱のための編曲群 J. 150–153 (1812) 、オーボエ独奏を立てたコンチェルティーノ(疑作、1809?)があてはまります。各楽器に華やかな独奏曲を残した作曲家らしく、ほかにも合唱曲や舞台作品の一部などで管楽合奏のためのスコアは相当数書いています。

*24:『後宮からの逃走』の初演後には自身でハルモニー編曲を検討した記録まであり、のちにドナウエッシンゲンで発見された編曲の作成者をモーツァルト本人に比定する(不確かな)説も生まれています。

*25:初稿はクラリネット-ホルン-バスーンの六重奏で、次の年に(皇帝が設立したハルモニーを意識してか?)八重奏編成に改作されています。『コジ・ファン・トゥッテ』第2幕の(屋外を舞台にした)二重唱 Secondate, aurette amiche ではオーボエを含まない六重奏の甘い音色が存分に生かされています。

*26:この2曲のカップリングの録音では、オスロ・カンマーアカデミー盤 (LAWO Classics, 2017) が鮮やかな演奏でした。

*27:K. 375 は作曲時期も目的もおおむね判明しており、K. 388 は作曲時期はある程度見当が付いているが作曲意図が不明なのに対し、K. 361 は作曲時期も経緯も謎に包まれています。対になって全曲をカバーする2つの八重奏版が現存しているのも話を複雑にし、モーツァルトの関与の有無やどれが「原曲」かがトピックになっています。

*28:ザルツブルク時代のセレナード/ディヴェルティメントや、先輩格のM.ハイドンのセレナードが対応する例ですが、弦楽三重奏のためのディヴェルティメント K. 563 という例外を忘れてはいけないでしょうか。『グラン・パルティータ』の初出版がFranz Johannes Gleißner によるオーケストラ編曲(1802年。オリジナル出版の前年)なのは興味深いです。

*29:実践としては複数のアンサンブルを合わせて音量や華やかさを得ることは珍しくなかったようですが。1790年のレオポルト2世の戴冠に際してドゥルシェツキーは21声部の合同バンドのための『ハルモニー』を書いていますし、1805年の皇帝フランツ2世/1世の聖名祝日ではイグナーツ・フォン・ザイフリートによる二群のハルモニーのための大作が演奏された記録があります(どちらも現存せず)。

*30:10代のモーツァルトがおそらくミラノでの依頼で書いたディヴェルティメント K. 186/159b と K. 166/159d (1773) も大きめの編成をもちますが、こちらではイングリッシュホルンが中音域に入っており、書法においても中心になるのはオーボエ族でクラリネットは響きを補完する役割が主です。ちなみに「基本の」八重奏編成とパラレルなオーボエ-イングリッシュホルン-ホルン-バスーン編成の作品はヴァーゲンザイル Georg Christoph Wagenseil の『パルティア』などがあります。

*31:この録音を含む、モーツァルトの管楽合奏作品の網羅的なシリーズも制作されています。同様の企画はいくつもあり、コンソルティウム・クラシクム (CPO) は疑作を含むカバー範囲の広さと堅実な演奏、ゼフィロ Zefiro (Naive) はピリオド楽器の使用と陽性の音楽作りなど、それぞれ特色があります。

*32:18世紀末には Nikolaus Schmidt による3曲の同編成の作品がパリで流通していた記録がありますが現存しません。ロゼッティが1780年前後に書いたフルート、オーボエ、クラリネット、イングリッシュホルン、バスーンという編成の五重奏曲 (RWV B6/II:17)も、フレンチホルンを含む楽譜が流布したこともありよく名前が挙がります。

*33:自作の五重奏曲への序文のなかで、モーツァルトやハイドンの「難しい」弦楽室内楽を引き合いに出して、管楽作品も相応の努力によってしかるべき地位を得ることができると説いています。

*34:この時期の作品を見ても、メンデルスゾーンの『管楽 (Harmoniemusik) のための序曲』Op. 24 (1838) は打楽器やトロンボーンセクション、高音クラリネット、ピッコロを含む格段に大きな編成によって、フェルディナント・リースの2曲の「ノットゥルノ」WoO 50, 60 (1834, 36) は刈りこまれた編成、とくに従来「調和」Harmonie の前提とされていたホルンを一本しか含まないことによって、文化の変化をうかがわせます。

*35:ブラームスが1857年から働いていたデトモルトの宮廷では、半軍楽隊の状態からシームレスに成立した宮廷楽団があり、1848年に正式に管弦楽団として出発して以降も、すくなくとも1860年までハルモニームジークの演奏会が開かれていました。ブラームスは彼らの演奏でモーツァルトの木管セレナードを体験し、Op. 16 に取りかかる前の58年春には友人のヨアヒムから楽譜を入手しています。

*36:弦を各1プルトに抑えて編成の特色を強調したリノス・アンサンブル盤 (Capriccio, 2022) のような演奏もありますが、ブラームスが望んだ編成はヴィオラ6、チェロ4、コントラバス2であり、当時の(常設)オーケストラとして珍しくないサイズといえます。作曲中の1858年11月、クララ・シューマンは『グラン・パルティータ』を聴き管楽器のみの「音色のモノトーンさ」に批判的なコメントを残していて、ブラームスはこれにそのまま従ったわけではないのでしょうが、共通する美意識を持っていたことはありえそうです。交響曲第2番の初演演奏会で取り上げられた『グラン・パルティータ』にはチェロが加わっていたそうですし、『グラン・パルティータ』に触発されたであろうドヴォルザークの管楽セレナードにおけるチェロ使用につながっていくでしょう。

*37:ブラームスがこの編成で作品を書ききったのは一度きりでしたが、ほかにもオーケストラ作品において木管アンサンブル(と低弦)のみに長く音楽の進行を託す手法はしばしば現れ、古典派のハルモニームジークを直接意識したであろうセレナード第1番の第4楽章やハイドン変奏曲主題提示をはじめ、交響曲第2番第3楽章、ヴァイオリン協奏曲第2楽章、『哀悼歌』Nänie, Op. 82 、交響曲第3番第2楽章、交響曲第4番第2楽章などに印象的な例があります。

*38:1872年に出版されたフランツ・ラハナーの八重奏曲 Op. 156 は、作曲経緯ははっきりしませんが1850年の作品とされています。世代としては古い伝統にも近いラハナーですが、のちのグヴィやライネッケなどにつながるフルート入りの編成、「交響的」と言っていい動機の大規模な展開と細密すぎず広がりのある響きが特徴です。

*39:ドイツの名手を集めたEnsemble Villa Musica による作品集 (MD+G, 2003, 2004) を推薦。ヴィット/シュターツカペレ・ベルリン盤 (Capriccio, 2023) も方向は近く、2枚組でより求めやすいところです。

*40:ほかにもユリウス・レントゲンのセレナード Op. 14 (1876) 、ヒューバート・パリーの九重奏曲 (c. 1877) 、エミル・ハルトマンのセレナード Op. 43 (1890) 、ヤーダスゾーンのセレナード Op. 104 (1891) 、レーガーのセレナード WoO I/9 (1904) 、ヴィルヘルム・ベルガーのセレナード Op. 102 (1910) といった作品を挙げられます。ドイツを中心に地域は広範で、たとえばアメリカで活動したアーサー・バードの Marche Miniature (Nonet) (1887) 、組曲ニ長調 (1889) 、セレナード Op. 40 (1898) はこの国の古典的な「ウインド・アンサンブル」作品として注目されています。

*41:チャイコフスキーが交響曲第4番と第5番の間にまとめて書いた管弦楽組曲は、性格的小品の集合(随所にフーガを含む)から4作目でモーツァルト作品の編曲に移行していますが、その第4番終楽章第6変奏は木管のみで書かれています。チャイコフスキーの木管合奏作品には歌劇『イオランタ』の序奏や、音楽院時代のアダージョ TH 180 (c. 1864) もあります。

*42:同時代に出版されたこの2曲が知られていますが、ほかにも同様の編成で九重奏曲 (1883) 八重奏曲(第2番)ト短調 (1884) 七重奏曲 (1888) セレナード (1893-94) が作曲されています。七重奏曲、2曲の八重奏曲、九重奏曲は、木管五重奏のための『セレナード』(1875) と並んでタファネルの協会で取り上げられた記録があります。

*43:タファネルの協会に献呈された作品。他の木管合奏作品と同じく録音はオーケストラによるものが中心で、ホグウッド/セントポール室内管 (London/Decca, 1991) が軽快さと節度を備えた好演です。グノーは管楽伴奏のヴァイオリン曲『聖セシリアの賛歌』Hymne à Sainte Cécile, CG 557 (1865) も書いています。

*44:Weierink/Holland Wind Players 盤 (Ars Produktion, 2002) はほかにカプレ、フランセ、コサール作品を収録し、double quintet 編成のフランス音楽を存分に味わえます。

*45:ほかにもラザーリ Sylvio Lazzari の八重奏曲 Op. 29 (1889)、テオドール・デュボワの2曲の組曲 (1898)、ハープが加わったコサール(コッサルト) Leland Cossart の組曲 Op. 19 (1907)、ホルンをフィーチャーしたフランツ・シュミット『歌とスケルツォ』Lied et Scherzo, Op. 54 (1910) などがあります。

*46:オーケストラを経由してこの形態が把握しなおされたゆえでしょうか。R.シュトラウスのセレナードが、下敷きになったであろう(実際にビューローによる演奏会プログラムではinterchangeableな役割を果たした)ベートーヴェンの『ロンディーノ』から大きく編成を増やしているのが例としてわかりやすいところだと思います。アーン『エステ家のベアトリーチェの舞踏会』Le Bal de Béatrice D’Este (1905) やアルノルト・メンデルスゾーンの組曲 Op. 62 (1918)といった作品の編成は金管や打楽器、和音楽器の参加によって大きく拡張されており、かつての管楽合奏の歴史をたどり直しているように見えます。

*47:ギデオン・クラインの『ディヴェルティメント』(1940) は貴重な作例ですが、弦楽と声楽を中心に作品が残っているこの作曲家らしいとも言えそうです。

*48:若いころに作曲した13管楽器の『セレナード』と『組曲』においてホルンがほかの木管を圧倒していた反省から、C管クラリネットとバセットホルン、バスクラリネットが追加で採用されています。シュトラウスはベルリオーズの『管弦楽法』に追加した注釈のなかで、いまでいうクラリネットオーケストラに好意的に言及しており、自作でも20世紀に入ってオペラを創作の中心にして以降は、しばしばバセットホルンなどを用いてオーケストラのクラリネット族を充実させています。

*49:多くは double quintet 編成の十重奏を基本にしており、7 Danses (1971) 9 Pièces Caractéristiques (1973) Elégie (1990)のほか、ほかの作曲家のピアノ曲を編曲した Musique pour faire plaisir (1984) 8 pièces pittoresques (1984) 3 Marches Militaires (1987) 、さまざまなソロ楽器を立てた Le gay Paris (1974) Mozart New Look (1981) Hommage à l’Ami Papageno (1984) Concerto pour trombone et 10 instruments à vent (1983) Petite valse européenne (1979) など多数の作品が書かれています。古典派周辺の題材が散見されるのは、もちろんフランセ自身の指向もあるでしょうが木管合奏の伝統との相性も関わっているのではないでしょうか。

*50:フェネルとEWEは、パイロット版となる1951年の演奏会と53年の初回演奏会を含めてその活動中に『グラン・パルティータ』を6回取り上げ(バンド編成をとらない作品ではストラヴィンスキー『シンフォニーズ』に次ぐ)、ほかの2曲の管楽セレナードを2回ずつ取り上げています。このコンビは1958年に『グラン・パルティータ』の録音も行っています。