11. タイケ:旧友

こと吹奏楽のためのマーチというジャンルではアメリカの蓄積が大きな存在感を持っているわけですが、それに対する対抗軸になりえるのがドイツです。ナポレオン戦争収束後の1817年には、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世*1のもとで、各連隊の軍楽隊に統一されたレパートリーを提供するために「プロイセン王国軍隊行進曲集」(Armeemarschsammlung) が編纂され*2、これに則った楽譜の出版も行われました。その後もプロイセンドイツ帝国ヴァイマル共和国/第三帝国のもとで継続して改訂や再編集が繰り返され、戦後にも曲目の変更が加えられています。現在でもドイツの行進曲に言及する場合は、ローマ数字とアラビア数字を組み合わせたこの曲集の整理番号が添えられることが多くあります。

ということでドイツの軍楽は早くから体系化が進んでいて、体系化の作業は実作の質と量とも呼応しています。そのうえドイツの楽団による録音は日本でも音盤蒐集・観賞の一大ジャンルになっていると仄聞しますし*3、日本語の非常に充実したサイトも存在します。今回はその広大な世界のごく一端として、国外でもよく知られている作品いくつかに触れてお茶を濁すことにしましょう。

カール・タイケ*4『旧友』Alte Kameraden (1889) はドイツの行進曲を代表する作品と知られています。タイケの作品の特徴の一つは、プロイセンの軍楽に、スムーズにメロディーが流れていくウィーン風の感覚を持ち込んだこと、と言われていますし、それにうなずける部分もあります。ただしこの分野はいわゆる軽音楽と隣接しており、ヨハン・シュトラウスI世の『ラデツキー行進曲』は作曲の翌年の1849年に編曲されて「軍隊行進曲集」に収録され、スッペの『美しきガラテア』や『軽騎兵』による(序曲のあれとは別)ギャロップも収録されているのを考えると、もう少し複雑な話になりそうです。どちらかといえばタイケの作品には軽音楽色が薄めで、ドイツらしく軍楽調の硬さを残していることのほうが特徴と考えられるかもしれません。

なお、タイケは比較的早く軍隊を退役し、警察官として働きながら民間の作曲家として活動していました。このことから考えても、アメリカと同様にドイツの行進曲も軍楽隊の軸一つだけでなく、他のダンス音楽やオペレッタなどと合わせ、広く軽音楽の文脈でとらえることが可能な気がします。『旧友』も、正式に前述の「軍隊行進曲集」に収録されたのは大戦間の再編集が初めてでした。

他にドイツの有名な行進曲といえば、タイケの『ツェッペリン伯爵』Graf Zeppelin (1903) 、ヘルツァー『ハイデックスブルク万歳』Hoch Heidecksburg (1912) 、ウンラート『カール王』König Karl (1868)と挙げられます。あとは、リンデマン『はためく軍旗の下に』Unter dem Grillenbanner (1908) *5、フォン・ブロン『勝利の旗の下に』Unter dem Siegesbanner (1904?) 、ブランケンブルク『剣闘士の別れ』Abschied der Gladiatoren (1907) 、ティーレ『我らの海軍』Unsere Marine (1886?) 、フリーデマン『フリードリヒ皇帝行進曲』Kaiser Friedrich Marsch (1888) 、ピーフケ『ケーニヒグレーツ行進曲』Königgrätzer Marsch (1866)*6プロイセンの栄光』Preußens Gloria (1871) なども知られているところでしょう。いずれにせよ氷山の一角で、掘り下げがいのある分野のようです。

実際に聴くにあたっては手軽なところで、海上自衛隊東京音楽隊の『ドイツ・マーチ・ベスト』(キングレコード、2005)、もしくはカラヤン/BPO管楽アンサンブルの1枚 (DG, 1973) *7を勧めておきます*8。前者はドイツの作品に限り、後者はウィーンやボヘミアの作品も収録しています。

ドイツ・マーチ・ベスト

ドイツ・マーチ・ベスト

 
ドイツ行進曲集

ドイツ行進曲集

 

*1:プロイセン巡閲行進曲』Preußischer Präsentiermarsch (1780s?) という作品も残しています。

*2:ベートーヴェンの行進曲 WoO.18も初代の『軍隊行進曲集』から登録されている一曲です。

*3:ただし、奏者と聴取者がかなり重なっていると言われる吹奏楽分野のなかでは珍しく、(コンサートホールでの)演奏のレパートリーとはややずれて厚いファン層のいるジャンルなのが面白いところです。ドイツに限らずマーチはいわゆるU-Musikに属するもので、20世紀の吹奏楽の「発展」がE-Musikの導入を通してなされてきたのと齟齬が生じるゆえだと思います(バンドが楽しみの手段としていまも根づいているヨーロッパを見ても、はっきりとE-Musikに活動の軸をおく例は、とくに民間ではいくつもあります)。一方で、いわゆる「ポップス」にも手軽に手を出す雑食性は吹奏楽団の活動に珍しくありませんが、日本に限るなら(アメリカもある程度そうか?)、機能調性の語法に基づいた西洋楽器による音楽、はE-Musikと優先的に結びついていて、U-Musikというと愛唱歌であったりジャズ以降の音楽になってしまう、という事情もあるでしょう。

*4:バイエルンミュンヘン)のR.シュトラウスと同い年ですが、生まれは北部の現在ポーランド領の土地、軍隊に入ってマーチを書きだしたのは南部のウルム、人気が高まった時期はベルリン近くのポツダム在住、というのも気になります。

*5:これもヨハン・シュトラウスII世の作品をもとにしています。

*6:トリオに使われているのは伝フリードリヒ大王作の『ホーエンフリートベルク行進曲』Der Hohenfriedberger (18C) 。真作とされる行進曲 (1741) は、のちに「軍隊行進曲集」の整理番号 AM I, 1 を与えられています。

*7:カラヤンディスコグラフィの中だといささか唐突にも見えますが、いわゆる「通俗名曲」の多数の録音を見るとそれらほかの舞曲ジャンルとの接点が、マゼール、メータ/Munich Philharmonic Wind Ensembleの録音 (Mom-Music, 2014) を見るとドイツにおけるこのジャンルの根付き具合が見えます。

*8:その筋に評価が高いところだと、PHILIPSがCD化したヴィルヘルム・シュテファン Wilhelm Stephan 大佐指揮の録音群あたりなのだと思いますが、現在入手容易かと言われると答えをためらいます。