ex. 戦後ヨーロッパの吹奏楽作品

戦前に書かれた曲にはジャンルの核となる吹奏楽作品が並ぶヨーロッパですが、1940年代あたりからレパートリー創出の中心は完全にアメリカに移り、管楽合奏・管楽オーケストラ作品*1を除くと寂しい状況が続くことになります。――という話をもう少し細かく言うなら、吹奏楽文化の発展そのものはヨーロッパでも進んでおり、もちろんバンド作品は存在するし、無視できるような数でもないのですが、継続的なレパートリー形成が行われていったアメリカに比べると、どうしてもとぎれがちな流れや、あるいは現状見えにくくなっている流れをどうにかたどっていく作業になります。そのような(いまの視点からは靄の中にある)状況が終わり、現在見るようなヨーロッパ吹奏楽界ができあがっていくのは、場所や作曲家によって多少の差はありますが、1970年代末から1980年前後に一つの分水嶺があると考えると見通しがよくなると思います*2

以下、すべてを網羅することは望むべくもないとはいえ、国ごとにこの時期の多少の輪郭をなぞっていくことにします。

 

フランスにはセルジュ・ランサン(ランセン) Serge Lancen (1922-2005) とイダ・ゴトコフスキー Ida Gotkovsky (1933-) という、どちらもほかの編成をメインにしながら60年代から吹奏楽の分野に関わり、二桁の作品を残している二人の大家がそびえ立っている*3分、他の事例がなかなか目に入らなくなってしまうのは否めないところです。ほかに知名度があるところでは、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の楽長を務めたロジェ・ブートリー Roger Boutry (1932-2019) や、パリ警視庁音楽隊 La Musique des Gardiens de la Paix, de la Prefecture de Police de Paris の楽長を務めたデジレ・ドンディーヌ Désiré Dondeyne (1921-2015) といった指揮者としても知られている面々あたりでしょうか。

ドンディーヌの友人だったランサンは、代表作『マンハッタン交響曲Manhattan Symphony (1962) をはじめ多くの作品をこのバンドのために書いています。この作品をはじめ初期の作品はドンディーヌが吹奏楽配置を担当していますが*4、そのうち自分で吹奏楽を扱うようになっています。ちなみに彼に限らず、ヨーロッパの作曲家はおしなべてバンドを管弦楽との類比で厚く、シンフォニックに扱う傾向があり、アンサンブル志向が大きな潮流になっていくアメリカと比較したときの特色になってきます*5

ランサンが比較的明朗な、風通しのいい音楽を志向するのに対し、半音階的で表現的、濃厚な表情を特色とするゴトコフスキーは、初期に手がけた交響曲 Symphonie pour Orchestre d'Harmonie (1962) に始まり、『炎の詩』 Poème du Feu (1978) 、吹奏楽のための協奏曲 (1984) 、『輝かしい交響曲Symphonie Brillante (1989) といくつかの作品がレパートリーとして広まっています。ランサンともども、作品の出版社であるオランダのモレナール社 Molenaar から作品集が出ていて有名作品には楽に触れることができますが、全貌をつかんでの体系的な評価にはまだ距離がありそうです。

 

北欧では、フィンランド*6の大物、エイノユハニ・ラウタヴァーラ Einojuhani Rautavaara (1928-2016) が『兵士のミサ』Sotilasmessu (1968) 『受胎告知』Annunciations, Concerto for Organ, Brass Group and Symphonic Wind Orchestra (1977) というバンド作品を残してくれている*7ほか、ゴールドマン・バンドの重要人物であるエリック・ライゼン Erik Leidzén (1894-1962) を生んだスウェーデンからは、エルランド・フォン・コック Erland von Koch (1910-2009) によるサクソフォン四重奏とバンドのための『サクソフォニア』Saxophonia (1976) や、ピアノ協奏曲第3番 (1970) が挙げられるでしょうか*8

なかでも1918年設立のノルウェーバンド協会 Norwegian Band Federation / Norges Musikkorps Forbund が現在まで存続し、60年代から全国規模のコンテストが開かれバンド文化の普及が頭一つ抜けていたノルウェーでは、クヌート・ニーステッド Knut Nystedt (1925-2014) の『エントラータ・フェスティーヴァ』Entrata Festiva (1972) などいくつかの作品や、エギル・ホーヴラン Egil Hovland (1924-2013) による『ファンファーレとコラール』op. 56a (1967) や『祝典序曲』Festival Ouverture, op. 39a (1962) 、オーラヴ・アントン・トンメセン Olav Anton Thommessen (1946-)『スタブサラベスク』Stabsarabesk (1974) などに演奏機会がありますし、ゲイル・トヴェイト Geirr Tveitt (1908-1981) がバンド協会のコンテストに応募した『シンフォニエッタ・ディ・ソフィアトーリ』(管楽のためのシンフォニエッタSinfonietta di Soffiatori (1962) や『古い水車小屋』Det Gamle Kvernhuset (1962)、アメリカのセント・オラフ大学バンドのために書いた『シンフォニア・ソフィアトーリ』Sinfonia di Soffiatori (1972) の落ち着いた情緒も特有の魅力を放っています*9。ほかの分野がメインで吹奏楽にも関わった作曲家の作品がぽつぽつ知られている、ということでは北欧諸国もフランスと同様と言えますが、このところは、その隙間を埋めるような歴史的レパートリーの掘り起こしも進みつつあります。

 

有名作曲家のレパートリー以外が残りにくい状況はソ連でも大きく変わるわけではありません。プロコフィエフの有名な行進曲 op. 99 (1945) と『体育祭行進曲』op. 69-1 を含む4つの行進曲 (1937) を筆頭に*10ショスタコーヴィチの『ソヴィエト民警行進曲』op. 139 (1970) 、グリエールの『10月革命20周年記念のための厳粛な序曲』op. 72 (1937) といった作品があり、なかでもハチャトゥリアンには『ソビエト警察隊行進曲』(1973) や『スターリングラードの戦い』(1949) などいくつかの作品の存在が知られています*11。Chandosレーベルで録音されたロジェストヴェンスキー/ストックホルムCB盤 (Chandos, 1996) とルンデル/王立ノーザン音楽大学WO盤 (Chandos, 2004) の2枚を揃えると、これらの作品に加えて、ミャスコフスキー交響曲第19番 (1939) や帝政時代のリムスキー=コルサコフによる3つの小協奏曲 (1877-78) というロシア/ソ連の主な吹奏楽作品を一望できます*12。とはいえ運よく西側にも存在が認知されたコジェフニコフの交響曲第3番『スラヴィアンスカヤ』(1958) やチェルノフの交響曲第1番『偉大なるロシア』(1972) 、サルニコフ Georgy Salnikov の諸作の存在を考えると、レパートリーが掘り起こされる余地は広大にありそうです*13

 

1951年から開かれている世界音楽コンクール (WMC) の開催地であるケルクラーデ Kerkrade を抱え、最古の民間吹奏楽団の設立は1775年と伝えられる、ヨーロッパ有数の吹奏楽大国である*14オランダですが、オランダ語外の体系的な情報源として、接しやすいところでは4枚からなる "Wind Music from the Netherlands" (NM Classics, 2005-2006) がひとまずのガイドになってくれます。

19世紀初頭に軍楽隊を率いたヤコブ・ラウヘル(ヤーコプ・ラウシェル)Jacob Rauscher (1771-1834) の作品から始まり、各楽隊の楽長がレパートリーを生み出すところへフェルフルスト、ディーペンブロックなど他分野の作曲家が散発的に参入した時代を経て、19世紀末ごろから吹奏楽に注力する作曲家が現われはじめてヘラルト・ブデイン Gerard Boedijn (1893-1972) などがモダンな響きを導入し、ピー・スヘフェル Pi Scheffer (1909-1988) 、ヘンク・ファン・レインスホーテン Henk van Lijnschooten (1928-2006)*15、キース・フラク Kees Vlak (1938-2014) 、ヘンク・バディングス Henk Badings (1907-1987) *16たちが新しい時代を準備し*17、そして1980年前後から現在見るようなオランダ吹奏楽界ができあがっていく、という歴史を聴き取ることができます。しかしこうやって長々と挙げてきたものの、現在の隆盛を前にして、80年前後より前の作品が一般的なレパートリーに入るにはこれからの状況の進展を待たなければならないでしょう*18

 

同じく18世紀後半に始まり高度に吹奏楽が発展したベルギーでは、ポール・ジルソン Paul Gilson (1865-1942) やアウグスト・デ・ブーク August de Boeck (1865-1937) が近代的な吹奏楽レパートリー創出の皮切りになりますが、その弟子世代であるジュール・ストレンス Jules Strens (1893–1971) やマルセル・プート Marcel Poot (1901–1988)らが結成したグループ Les Synthétistes*19、同じくジルソンの弟子のジャン・アプシル Jean Absil (1893-1974) が積極的に吹奏楽に関わったあとは、60年代から活動を始めたアンドレ・ウェニャン André Waignein (1942-2015) *20 やヤン・セヘルス Jan Segers (1929-) 、それに続くヤン・ヴァン・デル・ロースト Jan Van der Roost (1956-) あたりまでの世代は途端に手薄になります。現在のレパートリー創造の隆盛とはうらはらにこの時期の作品は(現地ですら)演奏機会的に断絶があるのもオランダと同様で、たとえば友人だったフランツ・シュミットの『ディオニソスの祭り』に触発されたというアプシルの『祭典』Rites (1952) や、『ルーマニアーナ』Roumaniana (1956) が知られているような場合は例外的で、ストレンスの『ダンス・フュナンビュレスク』Danse funambulesque (1930) が今世紀に入って急速に広まったように、大量のレパートリーがこれから発見されることを待っています。この3曲を収録したセヘルス/ベルギー・ギィデ交響吹奏楽団の "Great Repertoire from the Belgian Guides vol. 1" (Hafabra Music, 2005) は強く推薦できます。

 

この時期、スイスの楽曲生産もオランダやベルギーに決して大きく引けを取るものではありませんが、国外にも伝わったレパートリーとなるとなかなか名前が挙がりません。楽曲掘り起こしの入口としては、Amosレーベルから個展CDが出ている面々――戦間期から力の入った作品を書き継いでいたシュテファン・イェキ Stephan Jaeggi (1903-1957) *21を筆頭に、主に戦後に活動したパウル・フーバー Paul Huber (1918-2001) 、ジャン・デトワイラー Jean Daetwyler (1907-1994) 、すこし時代が下ってジャン・バリサ Jean Balissat (1936-2007) といったあたりから入るのが手っ取り早いのかと思います*22

 

イギリスの状況はこのなかでやや独特で、バンド音楽内においてコンサートバンド/ウィンドバンドと並行して英国式ブラスバンドという強力な対抗軸が存在し、むしろこちらのほうが広く普及していたのが特徴的です*23。ただし、今でこそいくつかのバンド編成の相互乗り入れはありふれているとはいえ、イギリスでも作曲家たちの本格的な行き来が起きるのはコンサートバンドの活性化に伴ってのことで、コンサートバンドのレパートリーの歴史的な流れに断絶があるという点では結局ほかの国と同じかもしれません。

パーシー・フレッチャーの『労働と愛』Labour And Love (1913) 以降*24、コンテストのテストピースという制度を背景にして継続的にコンサートホール用レパートリーが形成されていった*25ブラスバンドとは対照的に、コンサートバンドについては、かつてホルストヴォーン=ウィリアムズが新しい分野に先鞭を付けたあと、戦後はゴードン・ジェイコブが孤塁を守る状況が長く続きます*26デレク・ブルジョワ、デヴィッド・ベッドフォード David Bedford (1937-2011) 、ジョセフ・ホロヴィッツ Joseph Horovitz (1926-)、ガイ・ウールフェンデン Guy Woolfenden (1937-2016) *27といった作曲家が吹奏楽作品を手がけはじめるのはやはり1980年前後になって、ティモシー・レイニッシュ Timothy Reynish 率いる王立ノーザン音楽大学が精力的に活動を始めたころからになります。

 

ここでは興味の対象をバンド音楽に絞り、管楽合奏についてはあまり触れない方針でいますが、それでもアメリカン・ウィンド・シンフォニー・オーケストラ (AWSO) の功績を素通りするわけにはいきません。ロバート・ブードロー Robert Austin Boudreau が率いて、EWEの後を追うように1957年から活動していたこの楽団は、大編成の管弦楽から弦を抜いた編成を採り、バンド編成と管楽アンサンブルの中間的な形態をとっています。かなり先鋭的な作品も含む400曲以上という委嘱の実績には、出版社のサポートという現実的な理由もあるでしょうが、オーケストラに慣れた作曲家にとっても扱いやすい編成だということがありそうです。

委嘱先は、ホヴァネスロバート・ラッセル・ベネット、デヴィッド・アムラム『リア王変奏曲』King Lear Variations (1965) のようなアメリカの作曲家はもちろんのこと、国外の作曲家の充実が見もので、中南米のヴィラ=ロボス*28ヒナステラ、ブローウェルたちもいますし、日本からも黛敏郎*29三善晃小山清茂和田薫が作品を提供しています。この稿のテーマでいうとやはりヨーロッパの作曲家の豊富さに目を向けたいところで、ロドリーゴアダージョ』(1966) *30やペンデレツキ『ピッツバーグ序曲』を筆頭に、カルロス・スリナッチ『異教徒イベリア人の讃歌と舞曲』Paeans and Dances of Heathen Iberia (1959)*31、アルチュニアンのトランペットのための狂詩曲 (1991) 、ボザ『子供の序曲』Children's Overture (1963)、オーリック『ディヴェルティメント』(1966)、カステレード『夏のディヴェルティスマン』Divertissement d'ete (1965) など、トン・デ・レーウ『管楽器のシンフォニーズ』Symphonies of winds (1963) 、ヘンク・バディングスのフルート協奏曲第2番 (1963) など*32、と並ぶ錚々たる顔ぶれは、これまで述べてきたように比較的限られた存在であるバンドレパートリーに対し補完的なものと見ることも可能でしょう。

ウィンド・オーケストラのための交響曲 Vol.1

ウィンド・オーケストラのための交響曲 Vol.1

  • アーティスト:木村吉宏
  • 発売日: 2009/04/22
  • メディア: CD
 
Russian Concert Band Music

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  • 発売日: 1996/04/23
  • メディア: CD
 
Wind Music From the Netherlands 1

Wind Music From the Netherlands 1

  • 発売日: 2005/10/24
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

*1:目立つものを挙げていくなら、メシアンの『われ死者の復活を待ち望む』Et exspecto resurrectionem mortuorum (1964) 『異国の鳥たち』Oiseaux exotiques (1956) など、クセナキス『アクラタ』Akrata (1965) 、ジョリヴェのトランペット協奏曲第2番 (1955) や『デルフォイ組曲Suite delphique (1943) 、オアナ『カンティガ』Cantigas (1953-54) 、ヴァレーズ『砂漠』Deserts (1954) 、シェルシ『アイオーン』Aiôn (1961) 、ルトスワフスキ『アンリ・ミショーの3つの詩』Trois poèmes d'Henri Michaux (1963) 、C.アルフテル『線と点』Líneas y Puntos (1967)『行列』Procesional (1974) 、B. A. ツィンマーマン『ユビュ王の晩餐のための音楽』Musique pour les soupers du Roi Ubu (1968) 『ある詩人のためのレクイエム』Requiem für einen jungen Dichter (1967-69)『ライン地方のキルメスの舞曲』Rheinische Kirmestänze (1962) など、ブソッティ『ラーラ・レクイエム』Rara Requiem (1969) 、ホリガー『プネウマ』Pneuma (1970) 、レヴィナス『呼び声』Appels (1974) 、デュティユー『音色、空間、運動』Timbres, espace, mouvement (1978/rev. 1990) 、編成を大きくしたバンドでの演奏も可能なカーゲル『勝利を逃すための10の行進曲 (10の敗戦行進曲)』Zehn Märsche um den Sieg zu verfehlen (1978) 、ベリオ『マニフィカト』Magnificat (1949/1971) 、レンドヴァイ・カミロのピアノのためのコンチェルティーConcertino for Piano, Winds, Percussion and Harp (1959) 、ブラッハー他の共作による『ユダヤ年代記Jüdische Chronik (1961) 、ヘンツェのピアノ・コンチェルティーノ (1949) 、バレエ『ウンディーネ』から「結婚の音楽」Hochzeitsmusik aus "Undine" (1957) 、『シチリアのミューズたち』Musen Siziliens (1966) 、K. A. ハルトマンの交響曲第5番『協奏的交響曲』(1950) 、ピアノ協奏曲 Konzert für Klavier, Bläser und Schlagzeug (1953) などなど。本稿の対象からは外れますが、時代が下るとファーニホウ『想像の牢獄III』Carceri d'Invenzione III (1986) や、シュトックハウゼン『ルツィファーの踊り』Luzifers Tanz (1983, 『光の土曜日』Samstag aus Licht 第3幕) のような作品が待っています。

*2:ムーブメントの中心地であるイギリスやベネルクス諸国とはすこし地理的に離れている(ドイツが仲立ちになったというのは考えられますが)東欧でも、ハンガリーのヒダシュ・フリジェシュ Hidas Frigyes (1928-2007) やラーンキ・ジェルジ Ránki György (1907-1992) 、チェコのズデニェク・ルカーシュ Zdeněk Lukáš (1928-2007) やパヴェル・スタニェク Pavel Staněk (1927-) たちが本格的に参入してくるのは70年代末から80年代ごろからなのが面白いです。

*3:二人はフランス国内にとどまらず、国外(特にオランダ)にも積極的に新作を提供しています。

*4:ドンディーヌは似た例としてタイユフェール『行進曲』(1976) Suite Divertimento (1977) の吹奏楽配置を担当しており、ほかにも歴史的レパートリーを含めた多数の(再)編曲/オーケストレーションを行ってレパートリーの生産・継承に貢献しています。

*5:このクラシカル/シンフォニック志向と、教育機関よりも市民生活のなかでの活動が主になる(広い意味での伝統志向を持った)状況が、同時代の吹奏楽レパートリーを創出し、蓄積していこうとする動きが控えめになった原因の一部だろうと思います。ほかには娯楽の多様化による市民バンドそのものの活動の鈍化や、出版社をはじめとする音楽産業の積極性の不足も挙げられるでしょう。

*6:時代は下りますがカレヴィ・アホ『トリスティアTristia (1995) やユッカ・リンコラ Jukka Linkola (1955-) の作品群は比較的知られています。タウノ・マルッティネン Tauno Marttinen (1912-2008) やレオニード・バシュマロフ  Leonid Bashmakov (1927-2016) にも複数バンド作品があるとのことですが未聴。

*7:初期の出世作の一つ『我らの時代のレクイエム』A Requiem in Our Time (1953) も金打楽器のための作品です。

*8:ヒルディング・ルーセンベリ Hilding Rosenberg (1892-1985) の管楽器と打楽器のための交響曲 (1966) は、オーレ・シュミット Ole Schmidt (1928-2010) の『ストラヴィンスキーへのオマージュ』Hommage à Stravinsky (1985) やアウリス・サッリネン Aulis Sallinen (1935-) の『コラーリ』Chorali (1970) などと並んでこの時期の北欧管楽オーケストラ作品の収穫でしょう。サッリネンには明快な語法で書かれたバンド作品 Palace Rhapsody (1996) もあります。

*9:これらを収録したエンゲセト/ノルウェー海軍バンド盤 (NAXOS, 2006) で管弦楽作品の編曲を担当しているスティグ・ヌールハーゲン Stig Nordhagen (1966- ) は『ヴァルドレス民謡による変奏曲』Variasjoner over en folketone fra Valdres (2005) 交響曲第1番 "Solitude Standing" (2008) などの作品が演奏されており、編曲の仕事も多いスヴァイン・ヘンリク・ギスケ Svein Henrik Giske (1973-) やどちらかというとブラスバンド作品で知られるトシュタイン・オーゴール=ニルセン Torstein Aagaard-Nilsen (1964-) 、幅広い層のためにレパートリーを用意するジョン・ブラクスタ John Brakstad (1940-) などとともにノルウェーのバンド界を牽引する存在です。

*10:8台のハープを含む編成が演奏のネックになる『戦争終結に寄せる賛歌』op. 105 (1945) もこのところ認知度が高まってきています。

*11:ほかには、古くから知られている2楽章構成の『アルメニア舞曲』(1945) や、行進曲『大祖国戦争の英雄たちに』(1946) など。

*12:演奏もおおむねスタンダードなものですが、ロジェストヴェンスキー指揮のプロコフィエフのop. 99についてはテンポ指示のない全集版を参照してやや落ち着いたテンポを採り、一般的によく聴かれるスタイルとは異なるので、ティエン/オランダ王立海兵隊バンドの同趣旨の盤 (Channel Classics, 2018) も参考に挙げておきます。

*13:ほかにはチシチェンコの管楽伴奏によるチェロ協奏曲第1番 (1963) やデニソフの『11管楽器とティンパニのための音楽』(1961) 、グバイドゥーリナのバンドとメゾソプラノのための『時の魂』初稿 Stunde der Seele (1974-76) 、合唱と管楽オーケストラのための Laudacio Pacis (1975) のような厳しい響きの作品もありますし、すでに名の挙がった作曲家でも、ミャスコフスキーの『劇的序曲』op. 60 (1942) や2つの行進曲 op. 53 (1941) 、グリエールの行進曲 op. 76 (1941) といった作品はあまり日が当たりません。伝播の不足は単純な情報の伝わりにくさが主因でしょうが、西側では戦後になってバンド編成の平準化が進んだのに対し、サクソフォンを含まずサクソルン属金管を重視するドイツ風の編成が後年まで残っていて、そのままの楽譜では広まりにくいというのも理由だとは思います。

*14:1950年代以降 "National Championship" があったという情報もあるのですが詳細不明。コンテストによるモチベーションの持続と、モレナールやティエロルフ Tierolff といった吹奏楽に力を入れつづけた出版社の存在が、市民文化としてのバンドの衰退が食い止められた理由の一部ではないでしょうか。

*15:アメリカとつながりのあった人で、他記事でも名前を出したように低難易度作品も多く、アメリカ風編成への接近を進めてレパートリーの統合を促し、また Jeu de Cuivre (1969) はファンファーレオルケスト特有のレパートリー創出の転機になり、と吹奏楽界への貢献は大きいです。

*16:後述するように、AWSOからの委嘱が中心です。

*17:このシリーズには兄のユリアーン Jurriaan Andriessen (1925-1996) しか収録されていませんが、ルイ・アンドリーセン Louis Andriessen (1939-) もビッグネームです。『オランダのシンフォニー』Symfonieën der Nederlanden (1974) などのバンド作品を残すなど管楽(より正確にはジャズバンド)志向が強く、代表作のアンサンブル作品も多くは管打楽器に比重が置かれています。

*18:ウィレム・ファン・オッテルロー Willem van Otterloo (1907-1978) の管楽オーケストラのためのシンフォニエッタ (1943) や金管合奏のためのセレナード (1944) のほうがむしろ演奏機会ということでは多いかもしれません。

*19:フランスの「六人組」と同じく戦間期に活動した彼らは、ギィデ(王家の近衛)吹奏楽団を使って作品発表会を開いています。1930年にリエージュブリュッセルで開かれたISCM(国際現代音楽協会)の音楽祭ではギィデ吹奏楽団が出演し、ベルギーの作品に加えて1926年ドナウエッシンゲン音楽祭の出品作や、『ディオニソスの祭り』『管楽器のシンフォニーズ』が取り上げられました。

*20:『デュナミス』Dunamis (1979) 、『ダイアグラム』Diagram (1991) 、サクソフォンのための狂詩曲 (2010) などがよく知られています。Air for Winds (1990) Classical Canon (1990)『子供のための組曲A Children's Suite (1991) West Overture (1991) A Medieval Suite (1995) といった低難易度作品も取り上げられます。

*21:比較的早い時期の『タイタニックTitanic, Dramatische Fantasie, op. 4 (1922) や『ロマンティックな序曲』Romantische Ouverture in B-dur (1938) などがよく取り上げられますが、作品集が Vol.3 まで出ているように膨大な作品があり、マーチ群や後年の作品も充実しています。

*22:フーバーは『悪霊』 "Der Dämon" (1966) や『アルプス民謡による幻想曲』Fantasie über eine Appenzeller Volksweise (1977) 、 "Evocazioni" (1985) あたりが、 バリサは『第一日』Le Premier Jour (1993) がよく取り上げられる作品ということになるでしょうか。

*23:一方大陸でも金管を軸にした("ファンファーレ" 領域を含む)編成は並存していたわけですが、イギリスのようなコンテストを主因とする統合は良くも悪くも行われず、"芸術的"レパートリーの蓄積が本格化するのはかなり最近です。

*24:ジョセフ・パリー Joseph Parry『ティドビル序曲』Tydfil Overture (1870s) や、ハリー・ラウンド Harry Round による『スコットランドの歌』Songs of Scotland (ca. 1890) ほかの作品群のような先例はあります。

*25:appx. 英国式ブラスバンド - テストピース主要作曲家、作品(未整理)

*26:もちろんシア・マスグレイヴ Thea Musgrave (1928-) の Scottish Dance Suite (1959) やバクストン・オール Buxton Orr の『ジョン・ゲイ組曲John Gay Suite (1973) のような例外はありますし、P. M. デイヴィス『聖ミカエル』St. Michael, Sonata for 17 Wind Instruments (1957) 、ティペット 『モザイク』Mosaic (1963) 、ブリテン『ハンキン・ブービーHankin Booby (1966) 、アラン・ホディノット Alun Hoddinott (1929-2008) のピアノ協奏曲第1番 (1969) 、アラン・ブッシュ Alan Bush (1990-1995)『スケルツォScherzo for Wind Orchestra with Percussion (1969) 、ナッセン『コラール』Choral (1970-72) 、ゲール『シャコンヌChaconne for Winds (1974) 、コンスタント・ランバート『ティレジアス』組曲 Tiresias (1951) といった管楽合奏作品はあるのですが。ちなみにティペットには『勝利』Triumph (1992) 、ホディノットには『ウェールズの歌と踊り』Welsh Airs and Dances (1975) というバンド作品があります。

*27:みなかなりの数の作品を書いていますが、ベッドフォードは『波涛にかかる虹』Sun Paints Rainbows on the Vast Waves (1982) 、ホロヴィッツは『ブルーリッジのバッカスBacchus on Blue Ridge (1984)『舞踏組曲Dance Suite (1992) など、ウールフェンデンは『イリュリア人の踊り』Illyrian Dances (1986) 『ガリモーフライ』gallimaufry (1983) などが知られています。

*28:木管四重奏と管楽オーケストラのための合奏協奏曲 (1959) と、ショーロの形式による3楽章の幻想曲 Fantasia em Três Movimentos em Forma de Chôros (1958) の2曲。ほかにヴィラ=ロボスには、合唱と管楽七重奏のためのショーロス第3番 Chôros No. 3 (1925) をはじめとしていくつも管楽作品があります。なかでもショーロス第13番と第14番は管弦楽とバンドを共演させる力作だったようですが、どちらも楽譜が紛失しているとのことです。

*29:岩城宏之/TKWOの管楽作品集 (佼成出版社, 1999) には、AWSOのための作品のうち、『トーンプロレマス '55』(1955) の改作である『礼拝序曲』(1964) を除いた全4曲が収録されています。

*30:演奏頻度は落ちますが、管弦楽曲をみずからバンド編成に編曲した『青いゆりのために』Per la Flor del Lliri Blau (1934/1984) という作品もあります。

*31:スペイン出身で50年代初めにアメリカに移住。ほかにも『ソレリアーナ』Soleriana (1973) などいくつか吹奏楽作品がありますが、本作以外はバンド編成です。

*32:AWSOには協奏曲を中心に十数曲を提供する一方で、CBDNAの委嘱によるシンフォニエッタ第2番 (1981) 、アメリカ空軍バンドの委嘱による『リフレクションズ』Reflections (1980) などのバンド作品も書いています。

36. シュワントナー:…そしてどこにも山の姿はない

ジョセフ・シュワントナー Joseph Schwantner (1943-) が最初に触れた楽器がギターであり、その後もピアノやハープ、打楽器といった音が減衰する楽器ばかりを偏愛するようになるのはとても示唆的なことに思えます。その資質と、管楽器音楽との親和性は決して高くないはずなのですが、それだけに彼の作品の個性はこのジャンルの展開において強い存在感を放っています*1

キャリアの最初期には典型的なセリー作法による作品を書いていたシュワントナーは、しだいに縦の響きを重視したより直感的な構成に移行していきます。打楽器への偏愛が表に出るのもこのころですが、のちの変化につながる啓示は70年代を通じて徐々に与えられていた、とシュワントナーは回想しており、段階を踏んで協和的な響きや明確な中心音も現れてきます。イーストマンWEの委嘱で書かれた『…そしてどこにも山の姿はない』...and the Mountains Rising Nowhere (1977) は、翌年にピューリッツァー賞を受賞する管弦楽曲 Aftertones of Infinity (1978) *2とともにこの流儀が一つの転換点に達した時期*3の作品であり、小規模なアンサンブルのための作品を集中的に書いていたシュワントナーにとってほぼ初の大編成作品でもあります。

中学校のバンドでチューバを吹いていた時期は、シュワントナーにとって決して充実した体験ではなかったらしく、ウィンドアンサンブル作品の委嘱に応えるときにも「典型的な」吹奏楽サウンドを廃することを意識した、と語っています。サクソフォンユーフォニアムを外してクラリネットも減らし、一パート一人を想定し*4、大量の打楽器やハミング、口笛、グラスハープを音色のパレットに加えた楽器編成からまずその意図は表れています。

この作品を特徴づけるのは、ほぼ全体に渡って(アンプリファイアードされた)ピアノを含む打楽器が音楽を先導し、管楽器がそこに従属する書法です。そもそも曲の構成法が横の線や伝統的な対位法をあまり意識せず、冒頭で示されるいくつかの和音から導き出されるように書かれているのですが、管楽器からはなおさら横の動きが奪われ、長音や不確定性による音塊で空間を埋めるか、シュワントナーが "shared monody" と呼ぶ一種のベルトーンによって、和音を崩してアクセントづけていくことに役割が絞られています。例外となるのは後半に出てくるホルンを軸にしたコラール風の楽想で、作品のなかでも印象深い瞬間になっています。

打楽器ではまずクロテイルやウォーターゴング、複数のピッチのサスペンデッドシンバルやトライアングルを含む金属打楽器への偏愛*5が目につくところで、管楽器だけでは難しい高音域をカバーしながら美しい残響を聴かせます。さらにトムトムティンバレスの活躍もこれまでの時期の吹奏楽作品にはなかなか見られない鮮烈さであり*6木管セクションでバスクラリネットバリトンサクソフォンが果たしているような、「機動力のある中低音楽器」の新たな導入の一例とみなせるでしょう。高音から低音までを一括してカバーするセクションとして打楽器群が独立したことも、打楽器による楽曲の主導を可能にする一因です。打楽器の役割の増大と管楽器の役割の変化/多様化はシュワントナーに始まったことではなく*7、シュワントナーにとどめをさすものでもありません*8が、ここでのラディカルな試みを転折点とすることに疑いはないでしょう。

ピューリッツァー賞を受賞するころ、80年代に入る前後からシュワントナーの作風の変化は明確になり、『暗黒の一千年代より』From a Dark Millennium (1980) *9などではミニマルミュージックに倣った反復が導入され、さらにナレーション付きの管弦楽曲『世界の新たな朝――自由への夜明け』New Morning for the World: Daybreak of Freedom (1982) やソプラノとアンサンブルのための『すずめ』Sparrows (1979) などでは反復書法に加え、旋律として認識しやすい調性的な要素が大々的に導入されます*10。清新で鋭角的なサウンドは変わらないまま作品は大幅に親しみやすくなり、管打楽器のための「三部作」を完結させる『夕暮れの静寂の中で』In Evening's Stillness... (1996) では反復と調性、両方の要素が前面に出て、とても素直な抒情が展開されます。

それより後に書かれた作品群、『リコイル』Recoil (2004) と『ルミノシティ』Luminosity: Concerto for Wind Orchestra (2015) 、『目覚めの時』The Awakening Hour (2017) は、どれもサクソフォンユーフォニアムを加えたバンド編成*11で、『リコイル』について本人が「音楽的な要素を厳しく制限した」と言っているようにリズミックな素材の反復を中心に構成された音楽です。とはいえ打楽器をサウンドの軸にし、横の流れよりも縦の響きを重視するスタンスに変化はなく、音楽の性格が変わったとしてもシュワントナーが表現したい響き/音楽には確固としたものがあります。

 

ディスクは、コーポロン/ノーステキサスWSの二枚組 (GIA Windworks, 2006) を。知名度に比してどの曲も録音がそこまで多くなく、1枚目は「三部作」を通して聴けるおそらく唯一のディスクでこれだけでも価値がありますが、演奏や録音もトップレベルで文句ありません。

Composer's Collection

Composer's Collection

 

*1:後述するように、シュワントナーの「三部作」は管楽オーケストラ+打楽器のための作品で、バンド作品を取り上げるここの方針からは外れるのですが、歴史的な位置付けを超えてレパートリーとして定着していること、打楽器の重視/ミニマルな反復の導入と調性との組み合わせ、というその歩みが編成の差異を超えてバンド音楽と密につながっていることを考えると名前を挙げておくべきだろうと考えました。

*2:残響 aftertone はやはりシュワントナーのテーマなのでしょうか。

*3:ソプラノ、フルート、ハープのための Wild Angels of the Open Hills (1977) を、もっとも自分の特徴が刻印された作品だとシュワントナーは語っています。

*4:同じくEWE委嘱のヴァーン・レイノルズ Verne Reynolds『情景』Scenes (1971) などと同様、クリアなサウンドを得るための基本的な手段ですが、バンドだけでなく管弦楽団での演奏も見込んだ、という実際的な理由もあるでしょう。

*5:ときにneo-impressionismと形容されるように他分野の文脈からではドビュッシーラヴェルに始まり、メシアンブーレーズあたりの存在感が強いのでしょうし、ジョージ・クラム (1929-) はその残響への嗜好も含めシュワントナーからかなり近い位置にいます。

*6:後で触れる作曲家たちのほかに、パーシケッティの "Snare Drums" も源流と見なせるでしょうか。

*7:ここでもグレインジャーネリベルベンソンフサを紹介してきました。以前からの新古典の流れを汲む作風で70年代頭ごろに知られはじめたフィッシャー・タル Fisher Tull (1934-1994) の『チューダー朝の聖歌によるスケッチ』Sketches on a Tudor Psalm (1971) やエリオット・デル・ボルゴ Elliot Del Borgo (1938-2013) の『穏やかな夜に身を任せるな』Do Not Go Gentle Into That Good Night (1978) といった作品でも、低音方面を中心に打楽器セクションの拡張は起こっています。同世代ながらどちらかといえば伝統的な音色感のジョン・ズデクリク John Zdechlik (1937-2020) 『詩篇46番』Psalm 46 (1969) や『コラールとシェイカー・ダンス』Chorale and Shaker Dance (1972) と比べるとわかりやすいです。

*8:ここで述べたような音色感を引き継いだものとしてはギリングハムマー、打楽器・オーケストラ畑からの参入のウィリアム・クラフト (1926-)『ダイアローグとエンターテインメント』Dialogues and Entertainments (1980) 、ダン・ウェルチャー Dan Welcher (1948-) の『ザイオンZion (1994) 、交響曲第3番『シェイカー・ライフ』Shaker Life (1997) のような例を通過して、ウィテカーやマッキーら1970年代前後生まれの世代に流れは引き継がれていきます。シュワントナーとは同い年のアンソニー・アイアナコーン Anthony Iannaccone (1943-) も、具体的な影響関係ははっきりしませんが近い道を歩んでいます。『アンティフォニー』Antiphonies (1972) でも打楽器は活躍するとはいえベンソン風の線的な書法だったのが、『漂流』Sea Drift (1993) "Apparitions" (1986) といった代表作における楽器の扱いはシュワントナー以後の音世界を感じさせ、小規模で近づきやすい作品を見ても、例えばやや伝統的な書法を取った "Plymouth Trilogy" (1981) と比べると "After a Gentle Rain" (1979) などには打楽器の更新された色彩感が生かされているといえます。プランク/クラリオンWSの作品集 (Albany, 1998) が薦められます。

*9:アンサンブル曲『琥珀の音楽』Music of Amber (1980) の第2曲の改作ですが、楽器が大幅に増えても音楽の構造はほぼ書き足されておらず、音色の変化に注力しているのが興味深いです。

*10:『すずめ』は小林一茶の俳句15首を題材にしていて、曲を締めくくる句は「初空をはやしこそすれ雀迄」ではないかと思うのですが、おそらく翻訳で付けくわえられた "consonance of harmonies" という語が含まれています。

*11:『ルミノシティ』の "for Wind Orchestra" 表記は、委嘱元の一つであるローンスターWOが由来なのだとは思いますが、バンド編成をアメリカでこう呼ぶ貴重な例と言えそうです。

34-35. ネルソン:ロッキー・ポイント・ホリデー / パッサカリア

ロン・ネルソン Ron Nelson (1929-) は世代としてはチャンスマクベスに近いころの人で、『ロッキー・ポイント・ホリデー』Rocky Point Holiday (1966) も彼らの試みと並行して書かれた作品ですが*1、この時期塗り替えられはじめていた吹奏楽の音色のパレットのなかでも並外れて清新なサウンドが生まれており、90年代以降の作品と比べてもまったく古びたところがありません。

ネルソンはティーンの頃にもバンドを経験していたといいますが、クラリネットの大海原」(huge sea) で弦楽器の模倣を試み、チャイコフスキー交響曲を演奏するような方向(当時、一種典型的なバンドのありかただったことは確かです)にはなじめなかったと語っています。しかしイーストマン音楽学校に進んだネルソンはそこでフェネルが指揮するウィンド・アンサンブルに出会い、管打楽器合奏の可能性を認識することになります。
 
結果として『ロッキー・ポイント・ホリデー』は、華やかな見かけながら楽器の重ねが少なく、特に背景で和音やリズムを支えているパートが薄く作られて透明な響きを獲得しています*2。対位法的な手法も、息の長い線同士でなく比較的短いモティーフを散発的に配置する方向ですし、ハープや打楽器といった音が減衰する楽器を活用したり*3速いパッセージやダブルタンギングによる刻み、金管はミュートの音色を多用して、音によって空間が塗りつぶされることを徹底して避けているのがうかがえます。
 

その後はしばらく期間が空き*4、80年代末から90年代にかけてが、ネルソンが特に積極的に吹奏楽作品を提供していた時期になります。『ロッキー・ポイント・ホリデー』の路線を汲む輝かしい『アスペン・ジュビリー』Aspen Jubilee (1988) や『ソノラン・デザート・ホリデー』Sonoran Desert Holiday (1994) 、ダークでドラマティックな*5パッサカリアPassacaglia, Homage on B-A-C-H (1993) や『エピファニーズ』Epiphanies, Fanfares and Chorales (1994) 、静謐な抒情をたたえた『シャコンヌChaconne, In Memoriam… (1994) や『パストラーレ』Pastrale, Autumn Rune (2006) と作品の性格にも幅が生まれます。ただしどの作品も基本的に調的な中心は明瞭で、親しみやすさはつねに確保されているのは付言しておくべきでしょう*6

パッサカリア』は作曲賞を総なめにし、技術的なハードさに比して演奏頻度もある程度確保されている、名実ともに代表作と言っていい一曲です。10分をかけて暗から明へ音楽がシームレスに移行していく全体設計に合わせ、微細に書き込まれた線が堆積していく序盤の重いサウンドから、高音打楽器を加え、徐々に短音を増やして濁りを薄れさせていく中盤、そして『ロッキー・ポイント・ホリデー』と同様に素早い動きで空間を埋め、音量的なクライマックスと見通しの良さを両立させる終盤と、計算された音響が展開します。この曲では特に各パートが細かく分割され、バンドが実質的にソロ楽器の集合体として扱われているのも、サウンドの繊細な操作を可能にしているでしょう。

 

ディスクはジャンキン/ダラスWS (Reference Recordings, 1996) から入りましょう。技術的な余裕に輝かしいサウンド、明晰な録音が揃った理想的な一枚で、選曲もネルソンの世界を幅広く見渡すことができます。さらに掘っていきたい人はスタンプ/キーストーンWE盤 (Klavier, 2008) などをどうぞ。

Holidays & Epiphanies: Music of Ron Nelson

Holidays & Epiphanies: Music of Ron Nelson

 
オマージュ Homage

オマージュ Homage

  • 発売日: 2007/12/15
  • メディア: CD
 

*1:吹奏楽分野に参入したのはフェネルとEWEに献呈された『メイフラワー序曲』Mayflower Overture (1958) が最初です。現在聴けるのは1997年に改訂されたバージョンで、どこまで手が加わっているのかはわかりませんが、『ロッキー・ポイント・ホリデー』よりは伝統的ながら明るく濁りの少ない響きが聴かれます。

*2:よく似た性格の作品である『ペブル・ビーチ・ソジャーン』Pebble Beach Sojourn (1994) では、オルガン・金管アンサンブル・打楽器という編成のなかで、透明な背景や、力強くも濁らない旋律を生み出せる楽器としてオルガンが活用されています。いくつかの吹奏楽作品でシンセサイザーを使っているのも同じ理由からでしょう。

*3:イーストマン時代の発見の一つは、バンドのサウンドにおける打楽器・鍵盤楽器の重要性だったとネルソンは語っています。

*4:この間の作品でも、『ロッキー・ポイント・ホリデー』委嘱のきっかけになった管弦楽曲吹奏楽編曲した『サヴァンナ・リヴァー・ホリデー』Savannah River Holiday (1953/1973) 、古楽への抽象化されたオマージュであり、楽器法や旋法の繊細な扱いを存分に堪能できる『中世組曲Medieval Suite (1982-1983) は重要作です。

*5:合唱と吹奏楽のための『テ・デウム・ラウダムス』Te Deum Laudamus (1992) もここに入れられると思います。

*6:不確定性による音群技法を軸にした異色作 Resonances I (1991) も全音階的な響きを前面に出していますし、かなり半音階的な『パッサカリア』や『エピファニーズ』も、基礎になっているのはどちらもCを主音とする八音音階です。 付加音や長旋法を活用する「ホリデー」系の作品群の音使いは吹奏楽ジャンルではある種典型的ですが、オーケストレーションの工夫が強い印象を生んでいます。

32-33. バーンズ:交響曲第3番 / パガニーニの主題による幻想変奏曲

ジェイムズ・バーンズ James Barnes (1949-) が吹奏楽界の重鎮であることは間違いありませんが、改めて考えてみると、アメリカにおけるその立場は特徴的なものと言えそうです。その音楽は、ここまで繰り返し言及してきた「アメリカナイズされたロマンティシズム」と「シンフォニックな吹奏楽」の流れを典型的に汲む*1ものと考えられるでしょう。

その初期の紹介は、アルヴァマー序曲Alvamar Overture (1981)『アパラチアン序曲』Appalachian Overture (1983)『イーグルクレスト』Eaglecrest (1984)『ヒーザーウッド・ポートレイト』Heatherwood Portrait (1985) のような明快な作品と、本人が「野蛮な」(primitive) と呼ぶ四部作*2、『死の幻影』Visions Macabres (1978)『呪文とトッカータInvocation and Toccata (1982)『トーチ・ダンス』Torch Dance (1985)『ペーガン・ダンス』Pagan Dances (1987) を対置する形で認知が進んでいったように思います。明瞭な調性*3や安定したリズムによる前者と、鋭角的で不安定な造形を志向する後者という対比で、その後のバーンズの歩みの軸になっていったのは前者でした。

とはいえ、例えばジェイガーの例と比べると美学やサウンドの違いは控えめです。『死の幻影』の響きは不安定ですが、中心音がはっきりしている部分や全音階的な部分が多く表情豊かな線を描き出していますし、吹奏楽から分厚くシンフォニックなサウンドを引き出そうとする志向も作品のコンセプトにあまり影響されません*4。バーンズが*5、日本や大陸ヨーロッパにおいて時に本国のアメリカを上回るほどの勢いで支持を受けるのは、本人が現地でも活動し人的な縁が深いというのはもちろんあるでしょうが、それ以上にこのシンフォニックな指向が理由だと思います。

続く90年代前後、円熟期には、伝統的・調性的な書法を生かしながら、より大規模な、奏者に高い要求をする作品がとくに知られることになります。しかもそれらは、ソナタ形式の手法を組み込んだ*6『交響的序曲』Symphonic Overture (1991) 、ロマン派の記憶を宿す主題を、音型の変化や楽器法に注力して正攻法で変奏させたパガニーニの主題による幻想変奏曲』Fantasy Variations on a Theme by Nicolo Paganini (1988) 、そして両端にソナタ形式楽章を置く四楽章構成であり、個人的な記憶を「苦悩から勝利へ」の力強いドラマに乗せた交響曲第3番 (1996) と、ベートーヴェン以降、19世紀~20世紀前半の「クラシック音楽」の観念を強く打ちだしたもので、西洋芸術音楽のある種の規範となっているこの時代の作品と、現代の吹奏楽レパートリーとがすぐ隣接しているような感覚を抱かせてくれます*7。しつこいようですが身の詰まったシンフォニックな吹奏楽の響きも、オーケストラの機能が「完成」していった時代の記憶を呼び起こすものと言えそうです。

近作を見ても、バーンズは作品の規模に関わらず「ロマンティック」な作曲家であることを(意識はしなくとも)全うしようとしているように思えます。例えば日本からの委嘱で書かれた『祈り』A Prayer for Higashi Nihon (2012) は*8、『ヨークシャー・バラード』Yorkshire Ballad (1985)『詩的間奏曲』Poetic Intermezzo (1985)『コラール前奏曲Chorale Prelude on a German Folk Tune (1986)『ロマンツァ』Romanza (1990) あたりからの流れを汲む、一般的な意味で「ロマンティック」な作品ですし、『スカーレット・アンド・シルバー・ジュビリー』Scarlet and Silver Jubilee (2009) も、『イーグルクレスト』や『交響的序曲』、『ゴールデン・フェスティヴァル序曲』Golden Festival Overture (1997) の延長線上にある痛快な音楽です。

交響曲第8番 (2015) の第2楽章や、『幻想的トッカータToccata Fantastica (2001) のような作品では新古典主義を通ったとらえどころのない響きも姿を見せます*9が、一方で異質な音組織を存分に展開できそうな『日本の印象』Impressions of Japan (1994)『ダンツァ・シンフォニカ』Danza Sinfonica (2005)『アステカの情景』Escenas de los Aztecas (2012) といったフォークロアを題材にした作品でも、その扱いは第一次大戦前の実践を大きく出るものではなく、いずれもパレットを豊かにするための一手法ととらえるべきでしょう*10

 

バーンズとは共通点と相違点を持ちあわせた存在として、ジェイムズ・カーナウ James Curnow (1943-) の名前を挙げるのは意味があることだと思います。『交響的三章』Symphonic Triptych (1977) などの作品で知られはじめた時期はバーンズと近く、また抽象に傾かず近づきやすい表現、分厚くシンフォニックな書法も共通しています*11。初期の『ムタンザ』Mutanza (1980) 、『オーストラリア民謡変奏組曲Australian Variants Suite (1985)*12 、ユーフォニアムとバンドのための『シンフォニック・ヴァリアンツ』Symphonic Variants (1984) *13といった大規模、かつ奏者にも高い要求をする作品の存在感は同時期のバーンズに匹敵するものがあります。

ただし教育の現場から退いて個人出版社 Curnow Music Press での活動が始まると、バーンズが20-40分級の交響曲を書き継いで「大作曲家」然としたイメージを確立していったのに対し、カーナウはより広く取り上げられる作品の拡充や後進*14の支援に力を注ぐようになり、『ロッキンヴァー』Lochinvar (1994) のように大曲然とした作品は、途絶えたわけではないとはいえ800を超えるという創作の受け取られ方を決定づけるものではなくなっていきます*15。現在のカーナウのイメージを決定づける『よろこびの翼』Where Never Lark or Eagle Flew (1993)『歓喜Rejouissance, Fantasia on Ein Feste Burg (1988)『祝典』Celebration, on a Theme by Saint-Saëns (1994) 『ファンファーレとフローリッシュ』Fanfare and Flourishes (1995) といった作品*16は、曲想と奏者への要求、どちらからしても比較的取り上げやすいものです。

 

ロマンティックな「クラシック音楽」の巨匠たちにつながるバーンズに敬意を表して、ディスクは表出的な大作二つを。どちらも決して楽に取り上げられる作品ではないですが少なくない数の録音があり、どれも力が入った出来です*17交響曲第3番は、せっかくなので近年やっと容易に入手できるようになったグレアム/アメリカ空軍バンド盤 (Altissimo, 1996/Klavier, 2013) を推薦。『パガニーニの主題による幻想変奏曲』はバーンズ/オオサカ・シオンWO盤(FONTEC, 2017)が勧められます。

 

Excursions エクスカージョンズ

Excursions エクスカージョンズ

  • 発売日: 2013/07/30
  • メディア: CD
 
マラゲニア

マラゲニア

  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

ニュー・ウィンド・レパートリー 1997

ニュー・ウィンド・レパートリー 1997

 

*1:ただしハンソンとは50年ほど、リードとは30年近く、ジェイガーとも10年生年が離れているという世代の違いは考慮したほうがいいでしょう。

*2:本人は言及していませんが、『ドリーム・ジャーニー』Dream Journey (1997) も明らかにここに連なる作品です。

*3:伝統的な響きをもとに、劇音楽やダンス音楽で発展してきたポップでアメリカンな語法を典型的に盛り込んでいます。

*4:バーンズがたびたび参考にしているチャンスの『呪文と踊り』と比較するとわかりやすいです。アメリカのシンフォニストの伝統で(?)お蔵入りになり、現在は譜面にも音源にもアクセスできない交響曲第1番 (1978) も、わずかに見られる冒頭部分からは重厚なサウンドが想像できます。

*5:リードも同じこと、というかリードこそ典型だと思います。

*6:主調部(Bb major)と副次調部(C major)がまったく同じ楽想、中央部分は新主題に支配された緩徐部、と三部形式の色が強いですが、調性の構造はソナタ形式のものです。

*7:現在までにコンスタントに9曲の交響曲を書き、第9番 (2018) で打ち止めにすると宣言しているのも、ベートーヴェン、ひいてはその後のブルックナーマーラーなどを意識していないわけはないでしょうし、そう思って見れば、すべて何らかの死が反映されている奇数番号では記念碑的で強力なドラマを打ち出し、偶数番号はどちらかといえば堅実で均整美を重視しているという継続的な傾向が見えないでもありません。

*8:同じバンドの委嘱の『ヤマ・ミドリ』Yama Midori (2002) も佳品。

*9:源流にあるのは随所でバルトークを参照した交響曲第2番 (1981) でしょう。劇的な「シリアス」さを目指してショスタコーヴィチ5番を下敷きにした交響曲第3番との対比は興味深いです。

*10:交響曲第8番や『モラヴィアの賛歌による変奏曲』Variants on a Moravian Hymn (1993) の素直に調性的な展開で盛り上がる終結は好例です。『ロンリー・ビーチ』Lonely Beach, Normandy 1944 (1993) や交響曲第7番 Symphony No. 7, "Symphonic Requiem" (2015) に登場する刺々しい響きも明らかに描写に対応したもので、根底にある伝統的な美学を反対に強調するものととらえたいです。

*11:イタリアやフランスの作曲賞への出品であったり、『トリティコ』Trittico (1988)『ブラス・メタモルフォージス』Brass Metamorphosis (1991) などブラスバンド作品の充実からはヨーロッパ志向も伺えます。ただ、19世紀的な語法からの距離はわずかに遠いかもしれません。

*12:4楽章からなり、作曲者は交響曲に準ずるものと位置付けています。

*13:より小規模で取り上げやすい『狂詩曲』Rhapdody (1978) とともにユーフォニアム奏者のレパートリーとして残っています。

*14:『 ひとつの声に導かれる時』And The Multitude With One Voice Spoke (1998) や『ペルシス』Persis (2000) などで知られるジェイムズ・L・ホゼイ James L. Hosay (1959-) や、『ファイアストーム』Firestorm (1992) や編曲作品などで知られるスティーヴン・ブラ Stephen Bulla (1953)ほか。

*15:プレトリウス変奏曲』Praetorius Variations (1996) 、日本からの委嘱の A Moment in Time (1996) 、サクソフォン四重奏をソロに据えた『対話』Dialogues (2005) など、特にこのあたりは深堀りするとかなり面白い作曲家です。

*16:J. ウィリアムズ『オリンピック・ファンファーレとテーマ』Olympic Fanfare and Theme『リバティ・ファンファーレ』Liberty Fanfare『カウボーイ序曲』The Cowboys の鮮やかな編曲も「代表作」として忘れてはいけません。

*17:日本での録音が多いのが特徴的です。交響曲第3番は木村吉宏/大阪市音楽団盤 (大阪市教育振興公社, 1997) や山本正治/東京藝大WO盤 (ブレーン, 2017) 、『幻想変奏曲』はバーンズ/尚美WO盤 (ブレーン, 2016) も甲乙付けがたいです。

31. C.T.スミス:フェスティヴァル・ヴァリエーションズ

日本においてクロード・トーマス・スミス Claude Thomas Smith (1932-1987) といえば、その創作歴のなかではどちらかといえば少数に属する、華麗で奏者に大きな負荷をかける作品――特に早い晩年に入って書かれた*1『フェスティヴァル・ヴァリエーションズ』Festival Variations (1982)『華麗なる舞曲』Danse Folâtre (1986)『ルイ・ブルジョワの賛歌による変奏曲』Variations on a Hymn by Louis Bourgeois (1984) の3曲に認知が集中しています。この3曲、特にセットとして構想されたわけではありませんが*2、共通した音楽的志向を持つ、同時代を見渡しても珍しい個性を持つ作品群であることは間違いないでしょう。スケルツァンドな躍動感のある『フェスティヴァル』、疾走する『華麗なる舞曲』、クラシカルな均整がほの見える『ルイ・ブルジョワ』という対比もうまくできています。

ではその個性はどこにあるか――「バンドの黄金時代」以来、新古典的な思潮のなかでしばらくなりを潜めていた*3吹奏楽のヴィルトゥオジティが、これらの作品には引きつがれています。空軍バンドのための作品が「難しい」ことを意識して作曲されたというエピソードは有名で、演奏が難しい作品ということだけなら他にも枚挙にいとまがないのですが、ここではそれが強調・デフォルメされ、明白に聴き取れるようになっているという点が重要です。

結果、華麗なサウンドの変化であったり、剥き出しにされたパッセージワーク*4、極端な音域といった要素は、それ自体が演奏された音楽の魅力となり、音楽表現の単なる手段でなく、表現の一環として働きます。独特の個性を持った和声やリズム(ジャズの影響が顕著で、かなりアクの強いものです)、線的な/対位法的な書法と和声的な書法のはっきりした対比*5というスミス作品全般に見られる特徴は、このような側面と高めあって存在しています。

スミスの吹奏楽作品はサウンド面ではどちらかというと伝統的で、楽器を群として扱い、バンド全体を分厚く響かせる志向が強く、その合間にときおりソロ/ソリと最小限の支え、というような薄い響きが挿入されて極端に対比されます。この点、活動初期の60年代の作品と晩年の作品を分かつものは根本的なバンドの捉え方というよりも、技術的難度を生かした華々しさの導入、きわどいパッセージが攻略される際のスリルと音楽的昂揚を連動させて聴き手を圧倒せんとするその表現であるように見えます。

この3曲にとどまらずスミスの作品世界を眺めていこうとするなら、『ファンファーレ、バラードとジュビリー』(1983) や『交響曲第1番』(1979) のような、巡り合わせによっては「3曲」に入っていたかもしれない作品*6よりも、もう少し奏者への要求度が低い作品を――数としてはこちらのほうが多い――意識して選んでいったほうがいいかもしれません。『エンペラータ序曲』Emperata Overture (1964) や『インシデンタル組曲Incidental Suite (1966)、『聖歌』Anthem for Winds and Percussion (1978) 、コンサートマーチ『フライト』Flight (1985) や、『全能の父なる神よ』God of Our Fathers (1974)『シェナンドーアShenandoah の編曲 (1982) といった作品では、「3曲」では良くも悪くも華やかさにマスクされていた楽曲作りの作法が見えやすいでしょう。スミスの創作の連続性とその中での違いが明確になって、『フェスティヴァル・ヴァリエーションズ』などでの表現が、創作初期からの彼の資質とどの点で親和性があるものだったかが実感できるのではないかと思います。

演奏は何はなくとも山本正治/東京藝大WO (ブレーン, 2015) を。「3曲」をすべて収録していて、文句のない演奏ぶりで音符を鮮やかに再現したうえで、曲の作りの要点がどこにあるかを実感させてくれます。異様に余裕たっぷりに演奏されていて名技的な側面をことさらに見せないゲイブリエル/TKWO (佼成出版社, 1996) や、同系統の演奏で、晩年の作品を一枚に集めているバンクヘッド/TKWO (佼成出版社, 1991) も興味深くはありますが、こ(れら)の曲の魅力がどこにあるかと考えると、あくまでセカンドチョイス以降になるのではないかと思います。

A.リード&C.T.スミス

A.リード&C.T.スミス

 

*1:同趣向の作品で大幅に早い例としては、『ロマンティック序曲』Overture Romatique (1971)『プレリュード・ヴァリエーションズ』Prelude Variations (1972) などが挙げられます。

*2:『フェスティヴァル』と『華麗なる舞曲』はアメリカ空軍の、『ルイ・ブルジョワ』はアメリ海兵隊の中央バンドからの委嘱という弱い共通点はあります。なぜこの3曲なのか、特に『ルイ・ブルジョワ』が取り上げられるようになった理由は明確ではありませんが、例えば同趣向の作品である『独立賛歌による変奏曲』Variations on a Revolutionary Hymn (1987) と比較すると、『ルイ・ブルジョワ』のほうが空軍バンドのための2曲と近い世界を持っていることは否定できないでしょう。

*3:各大学の"シンフォニックバンド"でも、ウェーバークラリネット作品をセクション全員のユニゾンで演奏したり、チャイコフスキー交響曲第4番フィナーレ、『ルスランとリュドミラ』や『オイリアンテ』の序曲などを取り上げる例はあったわけなので、状況の切り取りかた次第なのだろうとは思いますが。

*4:ニゾンやソロで頻出する速いパッセージは、管楽器、特に金管楽器のソロレパートリーと強い親近性があります。初めにトランペットを学び、席の空きがあったホルン奏者として軍楽隊に入ったというスミスの経歴を思うと、19世紀~20世紀前半のヴィルトゥオジックなレパートリーの記憶がこれらの作品には反映されていると考えてよさそうです。

*5:この辺は宗教音楽・合唱との関わりが影響していそうです。

*6:独奏のための作品では、サクソフォンのための有名レパートリーである『ファンタジア』Fantasia (1983) も似たところのある音楽です。

29-30. ジェイガー:シンフォニア・ノビリッシマ / 交響曲第1番

ロバート・ジェイガー Robert Jager (1939-) の作風は手広く分布しています。一方の極には、後期ロマン派をはっきりと下敷きにした『ヒロイック・サガ』Heroic Saga (1982) や Epilogue: Lest We Forget (1991) があり、もうすこし20世紀的にすると、作者自ら「ネオロマンティック」を標榜するごく初期のシンフォニア・ノビリッシマ』Sinfonia Nobilissima (1964) や交響曲第1番 (1964) が続くことになります。他にも『第三組曲』(1965) *1『ジュビラーテ』Jubilate (1978) 、エスプリ・ドゥ・コール』Esprit de Corps (1983) *2、『ロード、ガード・アンド・ガイド』Lord, Guard and Guide (1987) といった、人口に膾炙しているジェイガー作品は基本的にここにプロットされると考えてよさそうです。

ここに挙がったのはどれも、基本的にロマンティックにくっきりした表情の音楽です。『交響曲第1番』にはショスタコーヴィチ(まだ存命だった)やプロコフィエフの影響がよく指摘されますし、『シンフォニア・ノビリッシマ』などの場合は新古典主義に触れたアメリカの先達たちとの接点があるのだと思いますが、どれも調性的な語法が基礎にあり、教会旋法や付加音・変化音、リズミックな要素を適宜加えることで同時代的な感覚を持ち込んでいます*3

もう少しグラデーションを進んでいくと、乾いた、あるいは不穏な響きが随所に聴かれる『ダイアモンド・ヴァリエーションズ』Diamond Variations (1968) や『ロベルト・シューマンの主題による変奏曲』Variations on a Theme by Robert Schumann (1970) 、交響曲第2番『三法印Symphony No.2 "The Seal of the Three Laws" (1976) 、モートン・グールドを引用した Eternal Vigilance (2008) といった作品が視界に入ってきます。抽象的な要素とポピュラリティがバランスして、ジェイガーの個性を代表できる作品群と見なされているのもここではないかと思います。

これがシンフォニエッタSinfonietta (1973) や『バンドのための協奏曲』Concerto for Band (1984) 、『打楽器協奏曲』Concerto for Percussion and Band (1990) になると、はっきりと新古典主義――擬古典という意味でなく――に寄り、情緒性から距離を置いて無機的な響きがさらに増すことになります。固定パルスも判別しにくくなり、抽象的な線による音響が全編続いていく『ザ・ウォールThe Wall (1993) がひとつの極北でしょうか。複調・副旋法や四度構成の固い響きの和音が増え、短いフレーズの組み合わせによって音楽が構成されるようになり、音の選択も、調性感の希薄な旋法や無調への志向が表に出てきます。

同時に、音楽が抽象的になるにしたがって楽器法はいちじるしく薄くなり、ソロ楽器の集積、アンサンブル的な性格が強くなってくるのは興味深いところです*4。結果的にではありますがそのシームレスな創作傾向によってジェイガーは、(アメリカの)吹奏楽界に存在するシンフォニック/ロマンティックな傾向とアンサンブル的/新古典的な傾向を橋渡しする存在と言うこともできそうです。一人の作曲家に複数のスタンスが併存すること自体は珍しくもなんともないのですが、書法の込み入った、奏者に多くを要求する作品で*ない*ほうが伝統的な語法に向かうという傾向がさまざまな場合で見られるのに対して、ジェイガーの創作(特に吹奏楽界での知名度が上がっていった60-70年代の)にはロマンティックな表現の大がかりな追求という一面があり、奏者への要求度とサウンドの性格が連関しないように見えるわけで、70年代からのA.リードへの注目の先駆けと考えることもできそうです。

 

ひとまず聴くには抜群の知名度を誇る2曲を。『シンフォニア・ノビリッシマ』は渡邉一正/大阪市音楽団盤 (東芝EMI, 1999) で聴きましょう。有名曲を押さえてジェイガーの作風を一覧でき、演奏も安心の出来です。交響曲第1番については、木村吉宏/大阪市音楽団盤 (東芝EMI, 1995) はこれを書いている時点では入手がすこし大変そうなので、なにわ《オーケストラル》ウィンズ盤 (ブレーン, 2017) を推薦します。

ウィンド・スタンダーズ(11) ロバート・ジェイガー作品集

ウィンド・スタンダーズ(11) ロバート・ジェイガー作品集

  • アーティスト:吹奏楽
  • 発売日: 1999/02/24
  • メディア: CD
 

 

ウィンド・オーケストラのための交響曲 Vol.2

ウィンド・オーケストラのための交響曲 Vol.2

  • アーティスト:木村吉宏
  • 発売日: 2009/04/22
  • メディア: CD
 

*1:『第二組曲』(1964) も同じカテゴリーだろうと思います。パーシケッティの著書『20世紀の和声法』を実作に応用するというコンセプトはパーシケッティの『仮面舞踏会』や、A. リード金管五重奏のために書いた『「ロンドン橋落ちた」による変奏曲』Variations on L.B.I.F.D. (1970) と共通ですが、この2つよりもジェイガーの作品はずっと耳に優しい響きがします。

*2:委嘱元のブルジョワ/アメリ海兵隊バンド (Altissimo他, 1992) から聴いてみましょう。色々なところに収録されて聴くことができますが、せっかくなので軍楽隊の演奏を集めたジェイガー作品集 (Mark Records, 2014) を。

*3:おおまかな方向はA. リードの場合と同じで、こうして生まれる響きは、影響関係があるのか結果的にかはわかりませんが劇場・映像音楽で多用されるサウンドと近く、「モダン」でありながら耳によくなじむ鳴り方をします。

*4:よく演奏される80年前後までの作品を見るかぎりの話ですが。その後は『勝利と伝統』Triumph and Tradition (1985) や『開拓時代の歌と舞曲』Colonial Airs and Dances (1986) のような明快な作風でも中音域が薄くなって各楽器の生の音色が聴かれることが多くなり、打楽器書法も最初やや伝統的だったのが、鍵盤打楽器を活用した透明な音色感が所々に見られるようになります。

27-28. A.リード:アルメニアン・ダンス / オセロ

アルフレッド・リード Alfred Reed (1921-2005) の唯一の単著に、"Balanced Clarinet Choir" (1955) があります。一言で言えばバンドにおけるコントラバスクラリネットの必要性を説く本ですが、コントラバス音域の楽器が和音を支える重要性を述べるにあたって、オーケストラにおけるコントラファゴットやチューバの導入が例に挙げられています。またリードは、オーケストラにおける弦楽器セクションには、1. 最低音域から最高音域まで響きが均質に広がる、2. 「背景」となって管楽器の色彩を際立たせられる、という特徴がある、と説明して、バンドにおいて同じ役割を果たせるよう、大規模で低音を充実させたクラリネットセクションを編成するように提案しています*1

まだ30代前半、作品の出版が始まったばかりの頃の記述だということは割り引くべき*2ですが、リードがバンドのサウンドを組み立てるにあたって、オーケストラの書法を参考に考えていたというのは重要なことに思われます。各楽器の対比を強調する一方で*3、リードが前提としてバンドに求めていたのは低音から積み上げられ一つに結び付けられた、シンフォニックな響きでした。 

ワーグナーの音楽に精通していたというリードの作品は、シンフォニックであるとともにロマンティックな表現が根底にあります。初期は『ロシアのクリスマス音楽』Russian Christmas Music (1944/rev.1968) や『コラール前奏曲Chorale Prelude in E Minor (1953) のようにロマン派ほぼそのままの語法*4と、『ランバージャック(木こり)序曲』Lumberjack Overture (1954) やサクソフォンのための『バラード』(1956) のように放送業界時代に身に付けたとおぼしきアメリカン/ポピュラー音楽的な語法とを行き来しながら、『音楽祭のプレリュード』A Festival Prelude (1957) あたりを代表にすこしずつ典型的な「アルフレッド・リード」像が定まり、旋法的な和声*5やテンションコード・付加音、遠隔的な転調、リズミックな構成によって、ある程度新古典/アメリカナイズされながらもロマンティックな語法に軸を置く位置取りが見えるようになります。ハムレットのための音楽』Music for "Hamlet" (1971) や『オセロ』Othello (1977) 、『第二交響曲(1977) のような作品ではかなり深刻な曲調も見せますが、新古典的主義に立脚した作曲家たちがそうであるように抽象的な方向に進むわけではなく、感情の濃厚な、表出的なスタンスを崩すことはありません。

こうしたシンフォニック+ロマンティックな吹奏楽の扱いとしては、師であるジャンニーニはもちろんのこと、ハワード・ハンソン Howard Hanson (1896-1981) が重要な存在だろうと思います*6。記念碑的な『コラールとアレルヤChorale and Alleluia (1954) から力作の『ディエス・ナタリス II』Dies Natalis (1973) などが書かれた晩年までの時期は、リードが吹奏楽界で地位を確立していった*7過程と重なりますが、19世紀的な伝統に深く根差した語法と分厚いサウンドはリードたちとともに一種独特な位置を占めています。曲によってはかなりの数の録音がありますが、ひとまずボイド/フィルハーモニア・ア・ヴァン (Klavier, 2006) の作品集が不足のない演奏です。

 

リードは日本やヨーロッパを含め、現在に至るまで吹奏楽界では随一の人気を誇る作曲家で、押さえておきたい作品は無数にあります。どういうスタンスを取るかによってさまざまな選曲があると思いますが、一般的なリード像を把握するという意味で、堂々とした押し出しと屈託のなさとを両立させたアルメニアン・ダンス』Armenian Dances 全4曲 (1972/1975) *8と、深刻な曲調を表題的な設計のなかで昇華させた『オセロ』を挙げておきます。録音も個展CDから選ぶことにして、それぞれ、大井剛史/TKWO (ポニーキャニオン, 2016) 盤と金聖響/シエナWO (エイベックス, 2006) 盤を推薦*9エルサレム讃歌』Praise Jerusalem! (1987) などを収録したリード/大阪市音楽団 (フォンテック, 2005) 盤と併せて、ある程度リードという作曲家の輪郭は掴めるのではないかと思います。

リード!リード!!リード!!!

リード!リード!!リード!!!

 
Reed!×3(3)

Reed!×3(3)

 

*1:ここで念頭に置かれているのは言うまでもなく、ウィリアム・レヴェリ率いるミシガン大学バンドやハーディング/ハインズレー率いるイリノイ大学バンドに代表される、戦前から各大学で編成されていたような大編成の"シンフォニー"/"シンフォニック"バンドです。CBDNAの提案もそうですが、大編成バンドの楽器構成に関する議論が、スリムな編成を志向したEWEの活躍と同時期に行われ、同じように一種の「洗練」を志していたのは面白いと思います。

*2:直近のリードは放送業界やベイラー大学において、むしろオーケストラについてかなりの経験を積んでいたというのもあります。

*3:直接言及されているのは各木管楽器相互、あるいは木管金管との区分です。コルネットとトランペットの役割をはっきり分けるリードの手法は有名ですが、サクソルンセクションを分離する大陸ヨーロッパの流儀を思わせる "メロウ"(コルネットバリトン/ユーフォニアム、チューバ)・"ブリリアント"(トランペット、トロンボーン)・ホルンという分け方にも、オーケストラへの「特殊楽器」の導入で単一の音色でカバーできる音域が広がったように、低音から高音まで積み上げられた合奏体どうしを対比する態度が見てとれます。

*4:どちらもヨーロッパの伝統的な素材を下敷きにしているのも理由だとは思います。

*5:旋法とリズム両方の面において、交響曲第1番 (1952) の第3楽章からトゥリーナ『ロシーオの行列』の編曲 (1962) などを経て、第2組曲ラティーノ・メヒカーナ』Second Suite for Band "Latino-Mexicana" (1979) や『エル・カミーノ・レアルEl Camino Real (1985) につながっていくラテン趣味は重要そうです。

*6:そもそもイーストマン音楽学校学長として吹奏楽との縁は浅くないわけですが。ロチェスター大学創立150周年記念でEWEが初演したJeff Tyzik "Trilogy" (2000) はハンソン作品の動機を下敷きに、ハンスバーガー、ベンソン、サミュエル・アドラーに捧げられた3曲による組曲

*7:作曲家によっては、早い時期の出世作に演奏機会が集中し、後年の大作・力作が知る人ぞ知る存在になる例も少なくありませんが、リードの場合、(特に日本での)有名作品は円熟期の70年代以降に集中しているのが興味深いです。奇しくも「1968年」を経て、調性的な響きを許容したミニマル音楽が影響力を拡大し、デル・トレディチたちが「新ロマン主義」に突き進んでいくのと同時代でした。

*8:リードが初めて題名に wind ensemble の文字を掲げて(正確には "for concert band or wind ensemble")出版した作品で、いくぶん身の軽いサウンドを志向した形跡もあります。

*9:オテロ』の演奏単体では鈴木孝佳/タッドWS (WINDSTREAM, 2006) 、『アレルヤ! ラウダムス・テ』はフェネル/ダラスWS (Reference Recordings, 1993) がいい、とかはありますが。