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吹奏楽曲を100曲+α 挙げて聴いていくブログです。

・現行の吹奏楽の世界に親しむための選曲のつもりで考えました。この記事がメインコンテンツで紹介はおまけです。

・日本の吹奏楽界を軸に、演奏されている・言及されていることを重視したので、個人的に推すかどうかは二の次にしています。問題提起でなく現状の確認。

・挙げたのは1作曲家2曲まで。2曲入っていることと作曲家の重要度はそこまで関係ありません。

・(ウィンド/コンサート/シンフォニック)バンド編成に絞り、管楽アンサンブル・管楽オーケストラ作品は基本的に取り上げません。

・紹介する録音はひとまずCD/アルバムになったものに限り、中古含め比較的入手容易なもの、または配信サービスなどで聴けるものを挙げています。

・異論は認める。むしろ他の人の「100曲」が知りたい。

 

・ 吹奏楽を聴くための書籍、ほか

 

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A01. ヘンデル:王宮の花火の音楽

吹奏楽のたどってきた道について、具体的な楽曲というものが残っていない時代にまでひとまず遡るとして、管(打)楽器はおもにその音量ゆえに、権力者がその威を振るう必要がある場面、あるいはそこまでいかなくとも共同体の結びつきと関わるかたちで役立てられてきたことが多いとは言えるでしょう。遅くとも古代エジプトではリード式・エアリードによる笛、リップリードによるラッパが揃っており、後年の用法につながるような、軍楽としての制度的な利用も現れていました。ギリシアやローマにおいても軍楽などで金管楽器の活用がみられたほか、アウロス aulos もしくはティビア tibia(おもに二股状のリード楽器)のさまざまな用例が記録されています*1
なお管(打)楽器による合奏という形態がどこで現れたかはよくわかりません。トトメス4世時代(紀元前十四世紀ごろ)の壁画には二人のトランペット吹きが並んで描かれていますが同時に演奏していたかは不確かです。古代ギリシアで多く用いられていたアウロスは平時には一人のみで演奏するのが通例でしたが、複数のアウロスとともに行進するスパルタの軍隊の習慣にトゥキュディデスが言及しています。

 

西ローマ帝国衰退後、ヨーロッパにおいて器楽合奏の組織は下火になっていましたが、インドや中東において、12世紀には軍隊に随行するかたちでの管打楽器の活用が生まれました。このころの十字軍参加者の記録には、敵軍の軍楽の大音響に圧倒されたことが記されています。
おそらくはその影響を受けて、中世盛期から後期にかけてヨーロッパのあちこちで、権力者の威厳を演出するために恒常的に音楽を利用する例が増えていきます。そういった場に向いたであろう管楽器によるアンサンブルの存在は13世紀には確認されており、イスラム世界からの影響で(再)導入されていたと思われるトランペットや、ダブルリード楽器のショーム、太鼓が用いられていました。
祭りのときなどにメネストレル ménestrel やジョングルール jongleur と呼ばれるような流しの楽師/大道芸人を雇い入れるような例はかなり早くからありましたが、権力者が楽師たちと一定期間の雇用契約を結び、折にふれて音楽を演奏させる例が増えていったのがこの時期の動きです*2

なお、当時の職業音楽家たちは基本的に複数の楽器(場合によっては歌も)を習得しており、求められた場に合わせるかたちで異なった楽器を演奏していました*3。すくなくとも14世紀には登場していた楽器の分類法に、「オー」haut("高い"/音の大きな)と「バ」bas("低い"/静かな)の区別があります。リード楽器・金管楽器や打楽器などを含む前者は屋外や、大人数が集まる開けた場に向き、笛や擦弦楽器撥弦楽器などが含まれる後者は室内の、小規模な場に向いていて、多くの場合この二種は分けて用いる規範がありました。現在から振り返って「吹奏楽」の歴史を構成するのは、この「オー」に属する合奏ということになるでしょう。

ショーム属と金管楽器によるアンサンブルは、のちに中音域のショームを加え、15世紀には出せる音の多いいわゆるスライド・トランペット*4が導入されて自由度が増し、対応できる音楽の幅が広がります。アルタ alta(これも "高い"/音の大きな、の意)やアルタ・カペラ alta cappella などと呼ばれた、通常三、四人からなるこのようなアンサンブル――具体的な楽器選択には揺れがありえます――は、式典や祭り、宴会、踊りの場、また宗教的な性格の行列や儀礼の場などさまざまな場面で必要とされ、権力者にとどまらずときには市民に依頼されるかたちで、音楽を提供していました。

時代が下るにつれ、規模の大小こそあれ宮廷がこうした楽団を持つのは標準的なこととなり*5、いっぽうで各地の宮廷だけでなく、ヨーロッパじゅうの都市が音楽家を――おそらく高所からの見張りの役職が発展するかたちで――雇っていました。とくにシュタットファイファー Stadtpfeifer と呼ばれる、ドイツ語圏諸都市で参事会に雇われていた音楽家たちは、J.S.バッハテレマン、クヴァンツなどの有名作曲家とのつながりも手伝って広く知られています。
彼らの遺産であるジャンルに、トゥルムムジーク Turmmusik("塔の音楽")と呼ばれる、城壁や市庁舎などの高所から演奏された音楽があります。ライプツィヒのシュタットファイファーだったヨハン・クリストフ・ペツェルの Hora decima musicorum Lipsiensium (1670) *6や、その後輩でJ.S.バッハ作品のトランペットパートの演奏で有名なゴットフリート・ライヒ*7Vier und zwantzig Neue Quatricinia (1696) はコルネット(指孔で操作するリップリード楽器。ツィンクとも)とトロンボーン*8のための合奏曲集で、ペツェル作品の「ライプツィヒの十時の音楽」とでも訳せる題名のとおり、生活に溶け込んだ彼らの演奏をうかがわせてくれます。

中世からルネサンス期にかけて管楽合奏は多彩な活躍を見せましたが、このころ演奏された具体的な楽曲にたどりつくことには一定の困難が伴います。一つはそうした楽師の演奏が即興と口伝に拠るところが大きかったのと、もう一つは、管楽に限らず編成固有のレパートリーという意識がきわめて希薄で、器楽演奏においてもむしろ声楽作品として作られたものが大きな比重を占めていたことによります*9
とはいえこうした状況を前提にありえた音を聴かせてくれる録音は少なくなく、Into the Winds "Le Parfaict Dancer: Dance Music 1300-1500" (Ricercar, 2022) は13世紀ごろのエスタンピー La Tierche Estampie Roial y Danse *10から16世紀までのさまざまな舞曲を管楽主体で録音しており、「アルタ」関連ではピッファロ Piffaro, the Renaissance Band がフランスに由来する声楽曲や舞曲を取りあげた "Chansons et Danceries" (Archiv, 1996) など多数の録音を残しているほか、Les Haulz et Les Bas や Ensemble Alta Musica 、Capella de la Torre 、Alta Bellezza といった団体*11が活発に録音を行っています。

 

声楽曲以外のレパートリーの供給源について見ていくことにしましょう。さきに述べたように舞曲は管楽合奏にとって重要な活躍の場でしたが、16世紀、パヴァーヌやガイヤルドなどの新しい舞曲が流行を始めるとともに、合奏舞曲の記録に変化が起こります。中音域の「主旋律」に即興的・対位法的に線が加わるそれまで多かったスタイルに代わって、上声に旋律を置き、ホモフォニックかつ明確なリズムで動くスタイルの舞曲*12が重視されるようになっていき、印刷楽譜の発展にともなって(楽譜の活版印刷は1501年に登場)広く共有され、記録がより残るようになります。
アテニャン Pierre Attaingnant やジェルヴェーズ Claude Gervaise らの出版による『ダンスリーズ』Danceries (1530-1557) 、スザート Tielman Susato『ダンスリー』La Danserye (1551) 、プレトリウス『テルプシコーレ』Terpsichore (1612) 、シャイト『音楽の遊戯』Ludi Musici (1621) といった大部の曲集や、アルボー『オルケゾグラフィ』Orchesographie (1589) といった舞踏指南書は同時代の舞曲を多く記録しています。基本的に楽器編成は指定されていませんが、もちろん管楽合奏は有力な選択肢の一つであり*13、現代においてもとくに小編成の管楽アンサンブルのレパートリーとしてよく取り上げられます*14
のちにオーケストラの中心となるヴァイオリン(属)が普及したのもこのころで、同じ弓奏弦楽器のヴィオルなどに比べ輝かしい音色と表現の幅広さが好まれ、宮廷における舞曲などの演奏において急速に広まっていきました。

16世紀はヨーロッパ各地で多彩な器楽曲が勃興していった時期ですが、イギリスでは16世紀後半から17世紀にかけて、多声合奏(「コンソート」consort と呼ばれる)のための楽曲が隆盛を迎え、ダウランド、バード、ギボンズパーセルなど当時のイギリスを代表する作曲家たちも筆を執り、よく知られたジャンルになっています。当時の常で厳密な楽器指定はあまり行われませんが、ホルボーン Anthony Holborne の曲集 Pavans, Galliards, Almains and other short Aeirs, both Grave and Light (1599) に「ヴァイオル、ヴァイオリンもしくは管楽器のための」for Viols, Violins or other Musicall Winde Instruments と記されているように、リコーダーやクルムホルン、コルネットなどの管楽器で演奏されることもありました。ただし実際にコンソート音楽で重用され、上流階級のアマチュアのたしなみという一般的なイメージにあてはまるのはヴァイオルであり、管楽器はおもに、ヘンリー8世以降数代にわたって王家に仕えたバッサーノ Bassano 一族*15のような職業演奏家のものと考えられていました*16フランダース・リコーダー四重奏団の "Browning My Dere" (Vox Temporis/Brilliant Classics, 1993) や "Bassano" (Opus 111, 2000) はリコーダー・コンソートでこの時期の合奏作品を中心に収録しています。

 

宮廷の管轄下における管(打)楽器の活用としては、当然ながら軍楽も重要です。トランペットは戦場において信号による統率や伝令としての役目を果たした記録が多数あり*17、しばしばティンパニ/ケトルドラムが加わってアンサンブルを形成しました。ほかにも、歩兵の統率には笛(ファイフ)や円筒型の太鼓、式典などには「アルタ」型のアンサンブルというように編成は一定しないながらも、宮廷において君主の威厳を示す業務と混交しながら管(打)楽器は役立てられていました*18
軍楽においてどのような演奏が行われていたか、直接的な記録が増えてくるのは17世紀以降ですが、先行して軍楽を参照した音楽作品は一定数残っています*19ジャヌカンの声楽曲 『戦い』La Guerre / La Bataille de Marignan (pub. 1528/1555) にはラッパの響きの模倣が含まれ、アイルランドとの戦いを描いた版画に触発されたと思われるバードのヴァージナル曲『戦い』The Battel (bef. 1591) では両陣営の「行進」marche やさまざまな管楽器の響き、戦闘後の踊りなどが描写されています。

 

カトリック教会はもともと礼拝における楽器の使用に否定的でした。しかし遅くとも14-15世紀には各地の教会にオルガンが普及し、それに次いで、教会外での宗教的な儀礼や高位の聖職者の私的楽団などを通じて接点のあった、ほかの楽器も教会で演奏するようになります。当初は声楽曲の譜面などを演奏していたと思われるこうした合奏は、オルガンの後を追ってリチェルカーレ、カンツォーナやソナタといったジャンルを発展させていきます。

教会と管楽合奏の関係に関してよく言及されるのが、ヴェネツィアサン・マルコ寺院*20です。フランドル出身で1527年に楽長に就任したヴィラールトやその弟子たち、いわゆる「ヴェネツィア楽派」の活動の中心ですが、ヴェネツィア総督 doge の礼拝堂として世俗の式典とも結びついていた*21この寺院は器楽合奏を含む大規模な楽団を備えるようになり*22、そこで演奏される壮麗な音楽では管楽器も重用されていました。

サン・マルコ寺院オルガニストを務めた*23ジョヴァンニ・ガブリエリの『ピアノとフォルテのソナタSonata Pian e Forte (pub. 1597) は、楽譜に強弱を印刷した最初期の作品であるとともに、具体的な楽器の指定を記した最初期の作品として知られていますが、その編成はコルネット1+トロンボーン3と ″Violino″ 1+トロンボーン3の二群のアンサンブル*24からなり、金管楽器が中心になっています。おじで同じくオルガニストであるアンドレア・ガブリエリの『戦いのアリア』Aria della Battaglia (pub. 1590) *25も、具体的な楽器の指定こそありませんが「管楽器が奏する」per sonar d'instrumenti da fiato という記載があります。
ジョヴァンニ・ガブリエリの器楽作品で固めた Les Sacqueboutiers "Venise sur Garonne" (Flora, 2014) のような録音もいいですが、実際のサン・マルコ寺院での式典を想像したマクリーシュ/ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズ "A Venetian Coronation 1595" (Virgin Classics, 1990) やキング/キングス・コンソート "Lo Sposalizio" (Hyperion, 1998) は彼らの音楽を背景も含めてより楽しめるでしょう。 
彼らの作品は、現代においてもおもに金管合奏のレパートリーとして広く演奏されており*26コーリ・スペッツァーティ(分割合奏)と呼ばれる複数のアンサンブルの対比が特徴的なその音楽は、バンド作品にもインスピレーションを与えています*27

17世紀に入ると教会における器楽合奏も弦楽器の比重が大きくなっていきますが、宗教音楽に管楽合奏、とくに金管合奏が加わる例はさまざまな文脈のもと各地に現れ*28ベートーヴェンブルックナーらによる『エクアーレ』であったりリストやブルックナーらがいくつかの合唱作品を残した*29時代を経て、現在のドイツに残るポザウネンコーア Posaunenchor と呼ばれる金管合奏にまでつながります。

 

17世紀音楽史の大トピックの一つにイタリアを起点とする「オペラ」の勃興がありますが、関連して古代ギリシア演劇に語源を持つ「オーケストラ」が生まれてきたのもこの時期です。オペラの前身の一つとされる幕間劇 intermedio では弦管混成の大規模な楽団が動員されましたが、これは音色ごとのさまざまな小アンサンブルが場面の転換に応じて交替で演奏するもので、1600年前後の「オペラ」の成立後も祝典的な機会ではこの手法が受けつがれます。しかし予算に限りがある商業劇場などでは、(改良によって楽器が完成期を迎え)音量や機動力において柔軟な弦楽を中心に、和音楽器による通奏低音、特別な効果のために少数の管楽器という編成で器楽部がまかなわれるようになります。通奏低音のみで伴奏されるのが通例だった歌のセクションに先に加わっていったのも、弦楽合奏かあるいは管楽器のオブリガート・ソロでした。
一方フランスでは、少なくとも16世紀末から一パートに複数人を重ねて音量と表現の幅を増したヴァイオリン(族)合奏が用いられ、宮廷バレエでは弦楽(ヴァイオリン族、リュート族+ヴィオル)のみの大規模合奏がみられました。王の身近でヴァイオリン合奏を率いていたリュリは17世紀後半、大規模な弦楽に様々な管打楽器を加えた楽団を用いて華麗なバレエやオペラを相次いで発表し、ヨーロッパ中に追随者を生みます。この影響によるものかイタリアでも器楽合奏の統合が進んでいき、劇音楽の外では、17世紀末からは協奏曲という新しいジャンルがコレッリ、トレッリ、アルビノーニ、ヴィヴァルディといったヴァイオリニストたちの主導で発展しました。合奏音楽の基盤としての弦楽(ヴァイオリン族)の地位は決定的なものとなって*30、18世紀半ばの「古典的」オーケストラの定着に至ります。

 

17世紀には純粋器楽(曲)の独立と、器楽合奏の混成化が平行して進んでいったわけで、このことはレパートリーの残りかたにも影響したと考えられます*31が、管楽合奏という領域そのものが消えたり、根本的に性格を変えたりすることはありませんでした*32

潤沢なリソースを有していたフランス王室において音楽家は、遅くとも15世紀末のシャルル8世の時代から役割に応じて3つに区分されていました――なお、この区分は厳格なものではなく、必要に応じて他部門の演奏に参加したり、作曲したりすることは普通で、たとえばリュリらの大規模なバレエやオペラは各部門の演奏家を総動員して上演されていました。
王室の礼拝での音楽を提供するシャペル chapelle はオルガンや聖歌隊、王の日々の楽しみのための音楽を提供するシャンブル chambre は(撥弦)鍵盤楽器や弦楽器、歌手などが属します。対して、エキュリ écurie(厩舎)は屋外をはじめとする大規模な式典や狩り、王が各地を訪問するときや客人を歓迎するときなどに音楽を担当しており*33、いくつかに区分され、多彩な楽器が割り当てられたこの組織には弦楽器を担当する(担当できる)奏者もいる一方で管楽器奏者が多数所属していました。
エキュリの音楽隊は、すくなくとも16世紀前半のフランソワ1世の時代にはショーム族を中心としたダブルリード合奏を含んでいました。くわしい変遷は不明な点が多いですがルイ13世の時代には「12人の大オーボエ隊」Douze grands hautbois と呼ばれるダブルリード族に金管楽器が加わる合奏*34が組織されるようになって、ルイ14世期にはおそらく四声構成を基本とした、ダブルリードのみの合奏が記録されています。
ルイ14世の治世は、ショームから現在の「オーボエ*35の原型への転換が起きた時期でもあり、フランス王室に管楽器奏者や楽器製作者として仕えていたフィリドール一族やオトテール Hotteterre 一族が17世紀の後半、おそらく宮廷の需要に応じて開発をおこなったものとされます。新しい「オーボエ」は、音の大きさで知られた(トランペットに次ぐとされた)ショームより柔らかく自在な表現と音程の正確さを獲得し、弦楽をはじめとする他種類の楽器群との合奏や、小規模な室内での演奏にも向くようになりました。リュリ流のオーケストラと同様、外交上の交流や音楽家の人的交流を通じてヨーロッパ各地に普及し、1700年ごろにはかなりの地域で旧来のショームに置き換わることになります。なお同時期のフランスでは、ドゥルシアン dulcian/curtal などと呼ばれていたバスーンの原型*36から「バロックバスーン」の開発もおこなわれていたと考えられています。

この時代には各国でさまざまな催しのための作品が多数つくられていましたが、簡便な作品はその口伝的な性格ゆえに、大規模な作品は汎用性のなさゆえに、作品が後世に伝わっていない場合も少なくありません。フランス王室の場合は、エキュリの音楽家であり、王室の音楽書庫の司書も務めていたフィリドール André Danican Philidor "l'ainé" (1647–1730) が多数の記録を残しており、フィリドール自身やリュリたちがオーボエ隊やトランペット隊などのために書いた作品に豊富にアクセスすることができます。録音としては、フランス宮廷のダブルリード合奏とその周辺を概覧する Syntagma Amici, Giourdina "Fastes de la Grande Écurie" (Ricercar, 2022) があるほか、"Musique de la Grande Écurie and des Gardes Suisses" (Musiques Suisses, 2009) や Hugo Reyne / La Simphonie du Marais "Marches, Fêtes Et Chasses Royales" (Fnac Music, 1995/Virgin Veritas, 2011) は「エキュリ」の多彩な合奏をさまざまな用途に分けて(前者は弦楽器も加えて)再現する試みです。

 

軍隊組織内の人員が演奏するという意味での「軍楽隊」は、スイスの傭兵部隊の横笛(ファイフ)のような例はありましたが、期待されていたのは戦場などでの統率の役割で、長らくシンプルな構成を基本にしていました*37。しかし17世紀、戦乱が続き、また常備軍の重要性が浸透すると、各地の軍隊で他声的な音楽に対応した楽団が現れるようになります。早い例でいえば、三十年戦争末期、1646年のブランデンブルクでは「大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムのもとで竜騎兵部隊 Dragonerkompanie にショーム3本(高音2、中音域1)とドゥルシアン、打楽器による楽団が配備され、フランスでは1663年に銃士隊 mousquetaires が、やはり4声のダブルリード合奏を持っていた記録があります。こうした楽団は、いくつかの楽器を習得した専門の音楽家からなることも多く、儀礼や式典の場でしばしば演奏したほか、兵士の慰労、兵士の募集、指揮官の個人的な楽しみなどさまざまな場面*38で用いられるようになります。かつて宮廷の音楽と軍楽の境目があいまいだったのと同様に、場合によっては軍楽隊が宮廷での演奏の任務を果たすこともあったようです。

軍楽において、歩兵の規律と平時の訓練の重要性が高まるにつれて勃興したジャンルが行進曲です。隊列行進とそれを統制する音楽についての起源ははっきりしませんが、遅くとも16世紀には太鼓の規則的なリズムパターンの利用や、そこに即興的に旋律を乗せていく演奏形態の報告があります。この種の音楽が本格的に発展していくのは17世紀以降のことで、リュリが書いた『王の連隊の行進曲』Marche du Regiments du Roy (1670)*39『銃士隊の行進曲』(Première) Marche des Mousquetaires (1658) や同時期にフィリドールたちが書いた作品*40は、記譜された行進曲のかなり早い例です。

 

各地に広まったオーボエバスーンを中心とする合奏*41は、宮廷や軍隊、都市の楽隊とさまざまな場所で組織され、屋外の式典から支配階級の私的な楽しみまで多様な場面で演奏する、一般的な編成の一つとなります。出発点はショーム合奏の流れを汲むダブルリードのみによる合奏ですが、18世紀に入ると、狩りの楽器として発展し大規模合奏に加わりはじめてまもないホルンが、豊かに調和した響きを求める流れのなかで中音域のオーボエ(タイユ taille)と置き替わるという変化も起こりはじめます。

もちろんこの編成のための作品も多く書かれ、掘り起こしが続けられており*42、残された作品にみられる編成は、五、六声*43によるもの(テレマンの序曲/組曲/協奏曲群*44ヘンデル「アリア」HWV410, 411 とメヌエット HWV422, 423 など)から、オーボエ2+バスーン1(+通奏低音)というミニマルなもの(ゼレンカの6曲のトリオソナタ ZWV181 、J.F.ファッシュの作品群*45ヘンデルの行進曲 HWV418など)まで幅があります。

ほかにも、さらに独奏や独唱が入って絡むもの(モルターのトランペットのための協奏曲群*46テレマンの四重奏曲/協奏曲 TWV43:D7*47、ヴィヴァルディのヴィオラ・ダモーレが加わる『室内協奏曲』RV97、J.S.バッハのいくつかのアリア*48など)、協奏曲における小アンサンブル/独奏群として機能するもの(テレマンの協奏曲 TWV53:C1, d1, g1, 54:D2 など、ファッシュの協奏曲 FWV L:B4, c2, D16-20, D22, Es1, F2, F5, G10 など、ヘンデルの「2つの楽団のための」協奏曲群 HWV332-334 など*49)、さらにトランペット合奏*50などとともに大規模なオーケストラの一セクションを構成するもの(テレマンJ.S.バッハなどの管弦楽組曲群、『ブランデンブルク協奏曲』第1番など)が存在し、活躍ぶりの多彩さを見ることができます。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル Georg Friedrich (George Frideric) Handel (1685-1759) の『王宮の花火の音楽』Royal Fireworks Music (1749) は、当時 "grand overture of warlike instruments" と呼ばれることがあったように、管打楽器のみの大合奏の依頼に応えて*51書かれた作品です。
自筆譜に書きこまれた、六十人ほどを要する編成は異例の大がかりさ*52とはいえ、オーボエ3または2+ホルン3+バスーン2(+コントラバスーン)のオーボエバンド*53にトランペットとティンパニを加えたものと整理することができ、既存の伝統の延長線上で理解が可能です。イギリスでは、早くも1670年代にはフランス趣味のチャールズ2世のもとでフランス式の新しい「オーボエ」が導入されており、18世紀初頭に王位に就いたアン女王は即位前からオーボエバンドを好んでいたことが知られ*54、なにより前述のようにヘンデル自身がすでにオーボエバンドのための作品をいくつか書いています。またオーボエバンドにおいて一パートを複数人で重ねること自体は珍しいことではなく、Johann Philipp Krieger の Lustige Feld-Music (1704) では屋外の演奏で人数を増やすことが推奨されていますし、もともとのリュリのアンサンブルも四声を十人前後で演奏した記録があります。

独立した発想ではないとはいえ、繰り返しになりますがこの規模の管楽合奏が組織され、しかも楽曲と結びつけて記録が残ることはそうありません。現代のシンフォニックバンドに類比できるような*55この作品の大編成は戦争終結の祝賀という前提と、大陸での戦争に親征するほどのジョージ2世の軍事好きとが影響した特別な機会ゆえのものですが、それが楽譜上に記録され、そして作曲者と楽曲が(管弦楽曲として)知名度を確立していたことで、この作品は「吹奏楽」の祖先の一つという地位を与えられることになったのでしょう。

さすがの有名曲で、管楽編成の録音に絞ってもそれなりの数の選択肢があります*56が、ここでは明るく整ったサウンドによるピノック/ザ・イングリッシュ・コンサート盤 (Archiv, 1999) を推薦します。ほかには若干控えめな編成による Matthias Maute / Montréal Baroque 盤 (ATMA, 2005) も、祝祭的な空気は保ったまま作品の異なる側面を見せてくれます。

 

*1:とくに古代ローマでは各種の金管楽器の活用がよく知られています。レスピーギが夢想したブッキーナ Buccina は有名だと思いますが、角笛に由来する語ではあるものの実際には広い範囲の楽器に対応させられていたものと思われます。ローマ時代の管楽器とその音楽(とくに祭祀のための)を復元した録音に Synaulia "Music Of Ancient Rome Volume 1" (Amiata, 1996) があります。

*2:社会的・宗教的にきわめて低い地位に置かれていたそうした楽師たちにとっても継続的な雇用は悪い話ではなく、長期的に見ると、都市への定住や互助組織の結成を通じて彼らの地位向上にもつながっていくことになります。

*3:ただし、権力者に随行して威厳を示したり、戦場や馬上槍試合などでの合図を奏したりするトランペット奏者はやや業務の性格が違い、ほかの楽器を演奏しない傾向があったようです。

*4:なお、すくなくとも15世紀ごろまでのトランペットはもっぱら低次倍音で「轟くような」低音を鳴らす楽器だったと考えられています。高音吹奏が広まってからもパーセル『メアリー女王の葬送音楽』Music for the Funeral of Queen Mary (1695) などにみられるように中低音域の吹奏の需要は残り、スライド・トランペットからこの機能をサックバット/トロンボーンが引きつぐことになります。

*5:彼ら器楽奏者たちが宮廷楽団 Hofkapelle の制度内に置かれるのは普通のことでした。たとえばミュンヘンバイエルン公国)で楽長を務めたオルランド・ディ・ラッソは(本人の関心は声楽にあったとしても)管楽器を含む器楽隊も職責のなかにありました。

*6:対になるであろう Musica vespertina lipsica (1669) は弦楽合奏曲として発表されています。

*7:ただし彼は1734年(バッハが着任して12年目)、カンタータ Preise dein Glücke, gesegnetes Sachsen, BWV215 を演奏後に急死し、その後の『クリスマス・オラトリオ』(1734) などの作品では後任のルーエ Ulrich Heinrich Christoph Ruhe (1706-1787) がトランペットパートを演奏しています。

*8:この組み合わせは16世紀から17世紀にかけてよく用いられた編成の一つでした。ほかにこの編成を明確に想定した作品としては後述するヴェネツィアサン・マルコ寺院関連の楽曲や、ロック Matthew Locke『国王陛下のサックバットとコルネットのための音楽』Music for His Majestys Sagbutts and Cornetts (1661?) などが知られています。それだけでなく溶け合いやすい音色ゆえにさらに大きいアンサンブル、とくに声楽と組み合わせた例が多くみられ、BWV4最終稿 (1725) などJ.S.バッハライプツィヒ時代初期の作品に見えるように、ソロ楽器としてのコルネットへの注目が薄れてからもアンサンブル的な用法はしばらく残っていたようです。

*9:デ・ラ・トーレ Francisco de la Torre の『アルタ』(pub. 16c) や、16世紀ヴェネツィアのツォルツィ Zorzi Trombetta da Modon なる(スライド)トランペット奏者が残した覚書のように、編成と、とくに管楽合奏と結びついた史料は貴重なものと言えるでしょう。

*10:同じ写本に含まれる『王のエスタンピー』をまとめて収録した Modo Antiquo Medieval Ensemble "Secular Songs & Dances from the Middle Ages" (Brilliant, 2006) は弦楽器も入りますが、管打楽器を複数含む賑やかな演奏を聴けます。

*11:ドイツに拠点を置く団体が多いのが興味深いです。

*12:この種の特徴は、声楽におけるシャンソンやマドリガーレなどと並行して、バロック期の様式の成立にも寄与します。

*13:スザートの『ダンスリー』にはピケット/ニュー・ロンドン・コンソート (L'Oiseau-Lyre/Decca, 1993) 、『テルプシコーレ』にはカペラ・デ・ラ・トーレ Capella de la Torre (DHM, 2021) 、『音楽の遊戯』にはレ・サックブーティエ Les Sacqueboutiers (Ambroisie, 2008) といった選集があり、必ずしも管楽器に限定はしていませんが多彩な楽器による解釈を聴くことができます。

*14:大編成のバンドへの移植例も、ボブ・マーゴリスに『テルプシコーレ』Terpsichore (1981) や多数の低グレード編曲がありますが、同時にヴァン・デル・ローストの『ネム・スザート』Nemu Susato (1997) や『モンタニャールの詩』Poème Montagnard (1996) 、ネルソン『古風なアリアと舞曲』Courtly Airs and Dances (1995) 、レイサム Court Festival (1957) のような、擬古調による模倣の例にも広がっていきます。

*15:開祖のジェロニモヴェネツィア近郊のバッサーノ Bassano del Grappa/Bassano Veneto 出身のおそらくユダヤ人で、ヴェネツィア総督に管楽器奏者として仕え、その息子たちの代からがイギリスに渡りました。その後もヴェネツィアと行き来したりヴェネツィアにとどまったりする一族は多く、曾孫のジョヴァンニ (c. 1560-1617) はヴェネツィアサン・マルコ寺院の器楽隊長に就任しています。

*16:リコーダーやコルネットをたしなんだヘンリー8世のような例外はいますが。娘のエリザベス1世も音楽には親しんでいましたが、管楽器は演奏しなかったようです。

*17:戦場では、ナチュラルトランペットが低音でシンプルな信号を吹いていたと考えられます。1422年のブルゴーニュ公国では「戦いのトランペット」trompette de guerre と「楽師のトランペット」trompette des menestrels への言及があり、おそらく前者はナチュラルトランペット、後者は「アルタ」に加わるスライドトランペットを指すと解されています。

*18:16世紀初頭、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世を称揚するために彼の(想像上の)凱旋を描いた一連の絵画には多彩な管楽器が描かれ、貴重な史料になっています。

*19:軍楽に言及したと思われる作品の早い例としては、14世紀のグリマス Grimace による a l'arme, a l'arme(戦争そのものの歌ではないですが)、15世紀ごろのイザーク A la Battaglia などがあります。

*20:1807年から司教座が置かれ「大聖堂」と呼ばれるようになります。

*21:サン・マルコ寺院の楽長は礼拝の音楽はもちろん、祝祭のときの総督の行列などにも関わっていました。こうした行列には、同様に充実した音楽リソースを有していた複数のスクオーラ Scuola(信徒会)も奏者を参加させていたといいます。

*22:従来からの楽長 maestro di cappella やオルガン奏者の職に加えて1557年には器楽隊長 maestro de concerti の職が作られています。1600年の時点では30人の声楽と6人の器楽奏者を常勤で雇い、特別な機会にはさらに十数名の器楽奏者が加わりました。

*23:音楽隊の拡大に伴い、第二オルガニストは大きな式典のために管楽合奏を率いる役目も託されていたといいます。

*24:″Violino″ はアルト音域で書かれており、今でいうヴィオラに相当する楽器と思われます。

*25:声楽曲『戦い』Battaglia (pub. 1587) とは別作品。前述したジャヌカン『戦い』の流れを汲む「戦争もの」でもあります。

*26:1931年にはリコルディ社から器楽合奏作品が復刊、遅くとも1935年には録音が行われ、1947年にはアメリカで現代楽器の金管合奏のための編曲譜が出版されています。アメリカのメジャーオーケストラの奏者による有名な録音 (CBS/Sony) は1968年の発表ですが、それ以前にもある程度の演奏史があるようです。

*27:ウィリアム・クラフト『ダイアローグとエンターテインメント』Dialogues and Entertainments (1980) 、サルフェルダー Kathryn Salfelder『カテドラルズ』Cathedrals (2008) 、後藤洋『彼方の祝祭』(2009) 、デ・メイ『サン・マルコのこだま』Echoes of San Marco (2016) など。

*28:早い時期では、ジョヴァンニ・ガブリエリに学んだシュッツの Symphoniae Sacrae 第一集 (pub. 1629) に、トランペットが活躍する Buccinate in neomenia tuba, SWV 275 や Jubilate Deo in chordis, SWV 276 をはじめ管楽器を伴う作品が多く含まれています。

*29:金管を加えた宗教合唱曲としては、リストは In domum Domini ibimus, S57 (1884) や An den heiligen Franziskus von Paula, S.28 (pub. 1875) など、ブルックナーEcce sacerdos magnus, WAB 13 (1885) や Inveni David, WAB 19 (1968) などがあてはまり、ほかにはリストの論争相手だったフェティスの大がかりなレクイエム (1850) などもあります。木管楽器が入る作品であればM.ハイドン『聖ヒエロニムスのミサ』Missa Sancti Hieronymi, MH 254 (1777) 、シューベルト『ドイツ・ミサ』Gesänge zur Feier des heiligen Opfers der Messe, D 872 (1827) 、ブラームス『葬送の歌』Begräbnisgesang, op. 19 (1859) 、ブルックナーのミサ曲第2番 WAB 27 (1866/1882) 、『祝典カンタータFestkantate, WAB 16 (1862) 、リストの『詩篇18番』S. 14/1a, 2a (1860/1870) Domine Salvum Fac Regem, S.20 (1853, arr. Raff) 、ラインベルガーのミサ曲 op.172 (1892) など(カトリックの作曲家が中心)、世俗曲ではメンデルスゾーン『祝典歌(グーテンベルクカンタータ)』Festgesang zum Gutenbergfest, MWV D4 (1840)『芸術家に寄せる祝典歌』Festgesang an die Künstler, MWV D6 (1846) 、シューマン『別れに寄せて歌う』Beim Abschied zu singen, op.84 (1847) 、リスト『芸術家に寄す』An die Künstler, S.70/1 (1853, orch. Raff)などがあり、これらを加えると管楽合奏を伴う合唱作品のリストはある程度の量になります。

*30:弦楽器の重用はこうした実際的な理由のほかにも、音色・表現の幅への好みも関係したでしょうし、すくなくともルネサンス期には存在した、haut/alto/loud な楽器を力強くも野蛮なもの、bas/basso/soft な楽器を繊細で高貴なものとする観念も影響したかもしれません。もとをたどればギリシア神話アポロンとマルシュアスの勝負あたりに行き着く発想なのでしょう。

*31:バロック期は弦楽器と並んでさまざまな管楽器の表現力・機動力が探求された時期ですが、そうしたレパートリーの多くは弦楽器や鍵盤楽器、ときに声楽が参加した合奏のために書かれています。

*32:一つの特別な「領域」とみなせるようになったことは大きな変化と言えるかもしれませんが。

*33:エキュリの奏者たちはこうした場面において、豪華な衣装を着て王室の威厳を示しましたが、本人たちの言動は粗野で、シャペルやシャンブルの音楽家のような尊敬を得ることはなかったといいます。

*34:彼らは皆ヴァイオリンも演奏できたといいます。1727年になると「オーボエとバソン以外演奏していない」という証言があり、1730年には "Douze grands hautbois" が正式な呼称として採用されます。

*35:オーボエ」hautbois という語はショームを指すためにも使われていました。

*36:バス音域のショームは人の背を超える大きさになるため取り回しの悪さが一つの問題で、二つ折り状に管を掘ったドゥルシアンはそれを解決するものでした。遅くとも16世紀に現れたドゥルシアンは表現・用途の広さも手伝って普及していきましたが、17世紀に入ってもバス・ショームはしばらく使われていたようです。

*37:マキャヴェリ『戦術論』(1519-20)  は歩兵の隊列訓練について論じる段で、当時の軍楽は「騒音を立てる」ことしかしないと述べ、そうでない形でのラッパ trombe や笛 zufolo 、小太鼓の使用を推薦しています。

*38:のちに大規模なショーに発展することになるいわゆる帰営の音楽 tattoo/zapfenstreiche の起源も1600年前後にさかのぼるとされます。

*39:この作品をはじめ、17世紀に書かれた行進曲には3拍子のものがしばしばみられます。

*40:ここで挙げた作品はおおむねオーボエ・バンドのための作品と解されますが、打楽器のみやトランペットのみのための「行進曲」も一定数残されており、このジャンルの起源をうかがわせます。

*41:ドイツ語では Hautboisten などと呼ばれます。ドイツ語圏で軍楽隊(員)全般をHautboistと呼ぶ後年の習慣は、この種の編成に由来すると考えられます。

*42:ただし、器楽作品の編成を限定しない習慣は(複数の楽器をこなす奏者とともに)このころも広く残っており、編成ごとの線引きは曖昧です。たとえばクリーガー Johann Philipp Krieger『愉快な野外音楽』Lustige Feld-Musik (1704) は題名のとおりの管楽器による合奏のほか、弦楽器合奏もしくは混成編成の演奏も想定されており、オーケストラ作品とみなされる場合もあります。ミュラー Johann Michael (Jean Michel) Muller の『12のソナタXII Sonates, op. 1 (c. 1712) も同様に、オーボエ独奏+弦楽合奏からダブルリード合奏までとりうる編成には幅があります。どちらの曲集も Marianne R. Pfau / Toutes Suites が録音を残しています (Genuin, 2012, 2008) 。

*43:1820年代には、オーボエ4(高音2+中音2もしくは高音3+中音1。中音域はホルンが入ることも)とバスーン2という六人編成がすでによくみられました。このころにプロイセンで作られたと思われる "Lilien Partbooks" と呼ばれる手稿譜には、六声のダブルリードアンサンブルの実例が多く記録されています。

*44:TWV 44:2, 3, 8-10, 12-14, 16, 55:D24 など。 Carin van Heerden / L'Orfeo Bläserensemble がまとまった録音を行っています (CPO, 2018, 2021) 。

*45:彼の作品はテレマンなどと同様にジャンルの後に調性で整理されており、FWV N(室内楽作品)の B2, d1, d2, F1, F2, F6, g1があてはまります(オーボエ2本と通奏低音のための作品を加えればさらに数が増えます)。同種の作品は同じくドレスデンに縁があるハイニヒェン Johann David Heinichen やカリファーノ Arcangelo Califano にもあり、Zefiro のアルバム "Dresden" (Arcana, 2017) にまとめられています。

*46:MWV VIII/1-3, 4-7. Otto Sauter, Capella Istropolitana のトランペット協奏曲集 (Brilliant, 2006) でまとめて聴くことができます。

*47:録音は多数ありますが、管楽作品を集めた Ensemble Aeolus ”Telemann: Per Tromba e Corno da Caccia" (Ricercar, 2018) が演奏面でも推薦できます。

*48:BWV20第5曲、BWV26-4、BWV40-7、BWV41-2、BWV52-5、BWV68-4(≒BWV208-7)、BWV91-3、BWV101-4、BWV148-4。オーボエ2声+通奏低音の編成を数に入れるなら BWV147-8、ロ短調ミサ第2部 Et in Spiritum sanctum ヨハネ受難曲第1部 Von den Stricken meiner Sünen 、クリスマスオラトリオ第3部 Herr, dein Mitleid, dein Erbarmen などさらに大量に挙げられますし、通奏低音なしのオーボエ2声+オブリガートフルートによるマタイ受難曲第2部 Aus Liebe will mein Heiland sterben もここに並べられるでしょうか。

*49:ほかにもムファットの Auserlesene Instrumentalmusik (1701) は合奏協奏曲編成による曲集ですが、小アンサンブルを管楽器で演奏することが認められています。

*50:権力者の威厳を示すものとして(軍楽においては騎兵の楽器として)発展したトランペットとティンパニとの合奏は、バロック期に活躍の場を広げより大きなアンサンブルに組み込まれたほか、食卓の伴奏音楽としても用いられていました。この編成の多声的な合奏は16世紀にさかのぼり、実践としては即興に拠る部分も多かったようですが、シュメルツァー Johann Heinrich Schmelzer の Arie per il balletto à cavallo (pub. 1667) 、ビーバーのソナタ『聖ポリカルピ』Sonata Sancti Polycarpi (1673)『7声のソナタSonata à 7 (1668) 、ゼレンカ作とされる行進曲/ファンファーレ ZWV212 (c. 1722?) 、C.P.E.バッハの行進曲 Marsch für die Arche, Wq 188 (1767?) 、アルテンブルク Johann Ernst Altenburg の有名な教則本 (pub. 1795) で紹介されしばしば彼の作とされる『7声の協奏曲』Concerto á 7 などのレパートリーが残っています。Tibicines "Heroic Art of Trumpet and Timpani" (Tibicines, 2003) は指孔なしのナチュラルトランペットを使い、この編成の可能性を聴かせてくれます。

*51:ただしヘンデル自身は弦楽を入れた編成を好み、初演時にも弦楽が加わっていた可能性も指摘されています。ニケ/ル・コンセール・スピリテュエルの有名な録音 (Glossa, 2003) も楽譜の指定通りの大編成の管楽に弦楽を加えています。

*52:これに迫る規模の(それを楽譜上で確認できる)作品といえば、同時代のJ.F.ファッシュの協奏曲 FWV L:D13 ぐらいでしょうか。オーボエ3+バスーン+トランペット3+ティンパニのアンサンブルが3群、計24声による壮麗な作品です。

*53:歓喜」と「メヌエット」の繰り返しではこの組み合わせを抜き出すように指定があります。

*54:La Petite Écurie "The Queen's Favourites" (Arcana, 2022) はリコーダー奏者として宮廷で重用されたペジブル James Paisible の『女王への告別』Farewell to Queen (1695, メアリー女王の葬送音楽) など、この時代の(おそらく王家の)オーボエバンドのレパートリーを収めています。

*55:シンフォニックバンドへの編曲としてはハインズレー編やW.シェーファー編、エリクソン編などがあります。フェネル/クリーヴランド・シンフォニック・ウィンズのよく知られた録音 (Telarc, 1978) は、原典をもとにさまざまな編成の可能性を残したマッケラス/ベインズ校訂版を用いており、おそらく資料を参照して、基本編成にフルートやトロンボーンを加えています。

*56:管楽版はおそらくマッケラス/"Wind Ensemble" (Pye, 1959/Testament) が初録音、ピリオド楽器による Richard Schulze / Telemann Society (Vox, 1961) と ヴェンツィンガー/Bläservereinigung Der Archiv Produktion (Schola Cantorum Basiliensis) (Archiv, 1962) がそれに続きます。

50. グレグソン:剣と王冠

救世軍のもとで幼いころからブラスバンドに触れ、10代での初出版がブラスバンド作品だった*1エドワード・グレグソン(グレッグスン) Edward Gregson(1945-)についても、バンド分野への貢献はまずブラスバンドについて語るべきでしょう。Prelude for an Occasion (1968) Voices of Youth (1968) Essay (1970)など初期の試みを経て Connotations (1976) や Dances and Arias (1984) といった作品で注目を集め、The Trumpets of the Angels (2000) を一つの到達点として Of Distant Memories (2012) などで伝統回帰も意識するようになる*2その歩みはオーケストラ(とくに協奏曲)と並ぶグレグソンの創作の軸であるとともに、ブラスバンド史の欠くべからざる一側面でもあります。リズムや和声において新古典主義の語法を大きく取り入れる*3一方でロマンティックな劇性やポップなアピールとも繋がりを保ち、ブラスバンドの扱いについては伝統的な機能を知悉しながらも柔軟にとらえ、解体と再構成、場合によっては拡張するようなその書法はセンセーションを巻き起こし、スパークなどにも影響を与えました。

 

それでは吹奏楽(コンサートバンド)分野はどうかというと、オーケストレーションにおいて原色や室内楽的な音色を好むと本人が語るとおり、例えばスパークやブルジョワたちがバンドの伝統的な機能を活かしマスとして扱う傾向があるのに対して、アンサンブル指向のクリアな音色を採るのが特色として挙がるでしょう。もともとこの分野で最初に注目されたのは管楽オーケストラ作品の『メタモルフォーゼス』Metamorphoses (1979) *4で、その後も『セレブレーション』Celebration (1991) や『オマージュ』Homage (1995) *5といった管楽オーケストラのための作品を書いていますし*6、バンドのために書かれた『フェスティーヴォ』Festivo (1985) でも音色の混合を極力避けるべく、細かい音型を重層的に重ねていく手法が聴かれます。ブラスバンド作品が原曲の『パルティータ』(1971/1999) やチューバ協奏曲 (1976/1984) などの場合はテクスチュアはずっと統一されたものになりますが、それでもある程度は響きの多様さを保つ指向が見えます*7

『剣と王冠』The Sword and the Crown (1991) において200人規模の合同バンドというすこぶる「バンド」的な状況と向き合ったときにも、それを逆手に取る形でグレグソンの指向は発揮されました。2対のティンパニを含む大規模な打楽器セクション、奏者による歌のほか、別働隊のトランペット、アルトフルート、リコーダーや "Rauschpfeife" などを動員して拡張されたパレットを贅沢に使い、場面ごとのテクスチュアを大きく変化させて同時代の大陸ヨーロッパ作品にも通じるような壮大な音世界を展開していきます。シンフォニックな華々しさを持つトゥッティの場面においても、楽器ごとの音色の区別に注意を払いながら組み合わせることで、バランスの問題とサウンドの風通しの問題にある程度の答えを出しています。

同じくシェイクスピア劇のための付随音楽を再構成した姉妹作『王たちは出陣する』(王は受け継がれゆく)The Kings Go Forth (1996) についても、声楽の役割が増していたり*8ヴァイオリンを含む "folk-group" が導入されたりといった違いはありますが、根本的な発想は変わっていません。『剣と王冠』には含まれなかったサクソフォンが採用されていますが、それでもフルセクションを構成するような用法ではなく、ジャズを参照した場面でソロを取るほかは、音量が増大する場面において慎重に用いられています。

 

『剣と王冠』は人気曲でいくつか選択肢がありますが、丁寧な演奏でシンフォニックな充実感も備えているボストック/TKWOのスタジオ録音盤 (佼成出版社、1998) を推薦します。中古などで手に入るのであれば、ゴージャスなサウンドを聴かせる Gert Buitenhuis/オランダ王国海兵隊バンド盤 (Sony, 1995) や、初演ライヴ以降初の録音と思われる Barrie Hingley/イギリス空軍セントラル・バンド盤 (Polyphonic, 1993) *9も良いでしょう。『王たちは出陣する』については野中図洋和/陸上自衛隊中央音楽隊盤(フォンテック、2000)があり、その他の管楽作品については自作自演中心の個展CD (Doyen, 1995 / Mark Custom, 2017) が便利です。

 

*1:救世軍から出版された行進曲 Dalarö (1964) 。本格的なキャリアの出発点になったのも金管五重奏曲第1番 (1968) でした。

*2:フレッチャー『労働と愛』の100周年を記念した、ジャンルの記憶を呼び起こす試みですが、同時期の Symphony in Two Movements (2012) を聴くと、グレグソンは完全に親しみやすい語法に舵を切ったというわけでもありません。

*3:影響源としてはストラヴィンスキーバルトークヒンデミットの名前を挙げるとともに、ブラスバンド分野からは、救世軍において挑戦的な作品を書いていたとしてウィルフレッド・ヒートン Wilfred Heaton (1918-2000) やレイ・ステッドマン=アレン Ray Steadman-Allen (1922-2014) の名前を挙げています。

*4:不確定性や電気増幅を用いて音群的な手法を展開する、グレグソンの作品全体のなかでも異色作です。本人いわくそれまで「無意識下で語法を和らげ」つつバンド作品を集中的に書いていた期間を経て、教職に就いた時期だったという背景もあるのでしょう。

*5:ストラヴィンスキーを意識した「ピアノと管楽器のための協奏曲」ですが、バルトークとの繋がりも明瞭です。

*6:公式サイトの作品表ではすべて「オーケストラ」の部に分類されており、オーケストラの部分集合としての意識が強いのでしょう。ロイヤル・リヴァプールPOの150周年を祝う『セレブレーション』は、BBCプロムスのために書かれたニコラス・モー『アメリカン・ゲームス』American Games (1991) 、バートウィスル『パニック』Panic (1995) 、ロンドンSOのスペイン公演で初演されたマシューズ『カトレーン』Quatrain (1989) といった祝祭的な場のための作品に並べられるでしょうか。

*7:ここではむしろ、これらの改作がすくなくとも完全にはグレグソンの仕事ではないことこそが重要かもしれません。クレジットこそされていませんが、Prelude for an Occasion (1985) 『パルティータ』の編曲には指揮者・出版社経営者のジョフリー・ブランド─グレグソンが精力的にバンド作品を書くきっかけを作った人物でもあります─が、チューバ協奏曲の編曲作業には指揮者の Glynn Bragg が大きく関わっているとグレグソンは書いています。チューバ協奏曲の吹奏楽版の作成はヨーロッパやアメリカ、日本の市場を商業的に意識したものだとグレグソンは語っており、当時のイギリスでのコンサートバンドの位置付けがうかがえます。

*8:『剣と王冠』では任意の奏者たちが歌うよう指示されていた声楽パートが別立てになり、独唱も参加します。これ以前にもグレグソンは、ウォルトンやラターの作品を思わせる Missa Brevis Pacem (1987) で声楽と吹奏楽を共演させています。

*9:この "Great British Music For Wind Band" はいまでは20枚以上を数える長寿シリーズになっています。現在のイギリス産レパートリーの存在感は、もちろん英語の優位がある一方で、出版社の枠を超えたショーケースがあったことで面として受容しやすかったのもあるのではないかと思います。第5集 (1998) 以来ほぼ皆勤の常連になっているのがマーティン・エレビー Marin Ellerby (1957-) で、90年代以降、『パリのスケッチ』Paris Sketches (1994)『新世界の踊り』New World Dances (1996) 交響曲 (1997) といった作品で広く認知されるようになります──『クラブ・ヨーロッパ』Club Europe (2002)『アンデルセン物語Tales from Andersen (2005)『サイレント・ムービー組曲A 'Silent Movie' Suite (2013) のように親しみやすさを押し出した作品もあれば、『十字架への道』Via Crucis (2003)『聖トマス・アクィナスのミサ』Mass of St Thomas Aquinas (2006) 、室内楽のためのシリーズ Epitaph のように複雑な響きによるシリアスさが基調の作品群もあり、作風は多彩です。あまり熱心ではなかったようですがやはり青年期にブラスバンドを通って、そちらでも Evocations (1996) Tristan Encounters (1998) Elgar Variations (2006) といった有名曲がありますが、グレグソンたちとは異なりむしろコンサートバンドに軸を置いた立ち位置と言えるでしょう。はじめて吹奏楽作品を書くとき手に取った作品のなかには『剣と王冠』があったといい、だからというわけではないでしょうがカラフルで風通しの良いサウンドを特色としています。

49. ブルジョワ:シンフォニー・オブ・ウィンズ

若いころから作曲を学び18歳で交響曲第1番 (1960) を発表する一方で、オーケストラでチューバを吹いていた経験もあるというデレク・ブルジョワ(ブージェワ)Derek Bourgeois (1941-2017) は、やはりイギリスの作曲家らしくブラスバンドからバンドの分野に接近します。十代から断続的に金管楽器のための作品を提供し、2台ピアノのためのソナタ op. 37 (1971) を改作したブラスバンドのための協奏曲第1番 op. 44 (1974) *1が英国式ブラスバンドのための本格的デビュー作になります。この作品や、協奏曲第2番 op. 49 (1976) 、コンチェルト・グロッソ op. 61a (1979/80) *2、『ブリッツ』Blitz op. 65 (1980)(のちにコンサートバンド作品『ウインド・ブリッツ』op. 65a (2003) に改作)と続く一連の作品は、半音階的な語法や不安定で極端な表現、高度な技術的要求を備えていて、同時期に例が増えはじめた*3、おおむね伝統を尊重する傾向の強いブラスバンド作品に「先進的」な要素を持ち込もうとする動きの一環としてとらえられるでしょう。

しかしながら、表現に刺々しく刺激的なところがあるとはいえ、調性的な芯を明瞭に残した旋律線や、簡明で規則的なリズムが頻出する音楽*4は、伝統とのつながりも強いものでした。実際、このころの前衛的な表現への関心はみずから意識してのものだったとブルジョワは語っており、80年以降ブリストルブラスバンド、サン・ライフ・バンド Sun Life Band の指揮者を経験してからは、より明快な語法を採ることを考えるようになったといいます。どこかの地点で語法が完全に塗り替わったというわけではなく*5変化の明確な境目はありませんが、ともあれブルジョア最初の大規模な吹奏楽(コンサートバンド)作品*6である『シンフォニー・オブ・ウィンズ』(風の交響曲Symphony of Winds, op. 67 (1980) はこうした過渡期と前後して書かれ、イギリスにおけるふたたびの吹奏楽レパートリー生産の先頭集団に加わります*7。全体としては親しみやすい風貌をしながらも、「嵐」にことよせた半音階的表現、世紀転換期フランスを思わせる柔らかい色調、エルガー/ウォルトン風マーチのパロディ、という楽章間の性格の違いにはこうした背景を読みこむことができるかもしれません。音数は多いながらも入り組みすぎないテクスチュア、打楽器の役割は補助的で管楽器の混合色を多用するサウンドは、他編成の原曲の有無を問わないブルジョワ吹奏楽作品の特色です。

続く時期の作品表からは、よく知られた作品をいくつも挙げていくことができます。スパークたちに通じる明朗さを基調にした『ディヴァージョンズ』Diversions, op. 97a (1985/87)、イギリス音楽の先達たちにもつながる節度を保った描写の連続が、雄大なパノラマを描き出す交響曲第6番『コッツウォルド・シンフォニー』Cotswold Symphony, op. 109b (1988/2000) 、古典的な作りと華々しいヴィルトゥオジティによってソロレパートリーとしてすっかり定着したトロンボーン協奏曲 op. 114b (1988) *8ブラスバンド作品では、ハードな技術的要求とロマンティックな盛り上げがスリルを煽る The Devil and the Deep Blue Sea, op. 131 (1993) 、師ハーバート・ハウエルズの抑制的な音楽にオマージュを捧げた Forest of Dean, op. 126 (1984/91) というあたりでしょうか。親しみやすい表情を前面に出すスタイルが定着した時期と言うことができ、伝統的な調性に両大戦間のソ連やフランスの作曲家たちを思わせる手法で場合に応じてねじれを加え、アレグロ部においては新古典的というよりむしろ擬古典的な、緩徐部ではストレートにロマン派的なたたずまいを見せることも珍しくありません。

90年代後半からブルジョワはベルギーの新興出版社、Hafabra Music から継続的に作品を出版し、同社の看板作曲家の一人になります。2002年に教職を退いて*9引退生活に入ってからは以前からの多作傾向に拍車がかかり、大規模な交響曲や協奏曲をハイペースで書きつづけ、小・中規模の作品もコンスタントに年数作を発表するペースに入ります。交響曲管弦楽が主でしたが*10吹奏楽のためにも複数書かれ、番号つきの(つまり管弦楽版をもとにした)ものから1時間を超える異例の規模の曲が生まれたのもこの時期です。おしなべて伝統指向が強く、また大作への関心も強い大陸ヨーロッパの吹奏楽界に、ブルジョワの音楽はうまくはまったと言えるでしょう*11

 

Hafabra Music の尽力によって、ブルジョワのとくに後期の吹奏楽作品については規模の大小を問わず網羅的に録音が出回っています。『シンフォニー・オブ・ウィンズ』についてはヤンセン/オランダ海兵隊バンドの個展CD (Hafabra Music, 2005) がレファレンスになります。ほかの大作についてはノジー/ベルギー・ギィデ(近衛)交響吹奏楽団による ″Masterpiece″ シリーズに収められることが多く、こちらからは交響曲第4番『ワイン・シンフォニー』(1978/2007?) (Hafabra Music, 2008) や演奏機会の多い交響曲第6番 (Hafabra Music, 2002) あたりから聴いていくのが良いのではないでしょうか。

 

A Cotswold Symphony

 

*1:さらにコンサートバンド作品の Fantasy Triptych, op. 145 (1992) にも改作されています。

*2:金管十重奏作品 (op. 61) が原曲。『ブリッツ』と並ぶ有名作ですが、頻繁に取り上げられるようになったのは21世紀に入ってからのことです。

*3:グライムソープ・バンドの委嘱によるバートウィスル『グライムソープ・アリア』Grimethorpe Aria (1973) やヘンツェ (orch. Brauel)『ラグタイムとハバネラ』Ragtime and Habanera (1975) 、ベセス・オ・ス・バーン・バンド Besses o' th' Barn Band のためにジョン・マケイブ John McCabe が書いた Images (1978) 、ナショナル・ユース・ブラスバンドのためのポール・パターソン Paul Patterson の Cataclysm (1975) など。

*4:『コンチェルト・グロッソ』などでのポピュラー音楽の参照は挑発的に響きますが、音楽を親しみやすくするものともとらえられるでしょう。

*5:レッド・ドラゴン序曲』Red Dragon Overture, op. 83 (1982/1997) やブラスバンドのための『ルシファーの没落』Downfall of Lucifer, op. 103 (1986) あたりを見るとわかるでしょうか。より後の時期の作品でも『アポカリプス』Apocalypse, op. 187a (2002/2006) や『ウィリアムのための交響曲Symphony for William, op. 212 (2004) 、トロンボーン協奏曲の Nightmare, op. 253 (2007) などでは刺激的な響きを聴くことができます。

*6:これ以前にも小品はいくつか書いており、とくに自身の結婚式のためのオルガン曲を編曲した『セレナード』op. 22c (1965/1980) はさまざまな編成で演奏される人気曲です。

*7:コンサートバンド作品の創作は数十年ほど低調だったイギリスにおいて、1981年のBASBWE設立前後から流れがふたたび生まれます。『シンフォニー・オブ・ウィンズ』は同年、マンチェスターで開かれたWASBEの設立カンファレンスでグレグソン『メタモルフォーゼス』などとともにイギリスから「出品」された作品ということになりますが、ここでブルジョワが作品を委嘱されたのは、アマチュアオケのために書かれた『グリーン・ドラゴン序曲』op. 32 (1969) の初演をRNCMのティモシー・レイニッシュが指揮した縁からとのことです。

*8:初演時のブラスバンド伴奏版に加え、管弦楽版と吹奏楽版が同時期に成立しています。吹奏楽版の演奏は、初演者クリスティアン・リンドベルイと今村能/TKWOの録音 (BIS, 1997) がいいでしょう。バストロンボーン協奏曲 op. 239 (2006) や、op. 114と同時期のトロンボーン四重奏曲 op. 117 (1989) 、トロンボーン八重奏のための Scherzo Funèbre, op. 86 (1983) といったところもレパートリーとしてよく取りあげられます。

*9:最後に教鞭を執っていたのは、かつてホルストやハウエルズも教えていたロンドンのセント・ポール女学院です。

*10:管弦楽のための交響曲は最終的に116曲を数えますが、引退前に書かれたのは7番までで、その後の100曲あまりが約15年のうちに書かれています。

*11:もちろん低グレード作品についても、ブルジョワの簡明な書法と差し挟まれるウィットはなじみやすかったでしょう。Japanese Ninja, op. 310 (2011) はじめあちこちの国の典型的なイメージを短くまとめた連作の "World Tour" (2011-12) のほか、Royal Tournament, op. 115 (1989) Bridges over the River Cam, op. 116 (1989) など、Hafabra Music から出た自作自演の個展CD "Crazy" (1998) の収録作がよく取り上げられます。

48. ウィテカー:ゴースト・トレイン

90年代半ばから2000年代は、1970年前後生まれの世代の作曲家たちがしだいに頭角を現していった時代にあたりますが、最初の器楽作品である『ゴースト・トレイン』Ghost Train Triptych (1993-95) で注目を集めたエリック・ウィテカー Eric Whitacre (1970-) はその最先鋒と言えるでしょうか。

高校まではポピュラー音楽にしか興味がなかったといい*1大学で合唱に出会って Three Flower Songs (1991-92) からクラシカルな作曲を始めるようになっていたウィテカーは、『ゴースト・トレイン』についても、学内でたまたま耳にしたバンドのサウンドに強い印象を受けて作曲を決意し、楽器奏者の友人たちに相談しながら手探りで書いていったと語っています。ジャズやロックとつながる明瞭なビートを基盤に置いたうえで、リズミカルでときにミニマル的な*2リフ、コラール的なフレーズ、多彩な打楽器やグリッサンドなどによる耳を引く効果を配置して音風景の切り変わりを聴かせるこの作品の「新しさ」も、こうしたバックグラウンドを考えれば自然なものに思えます。

とはいえ、初期から一貫してウィテカーの創作の中心は合唱作品――多くは無伴奏の——です*3。そちらでは、明瞭に調性的ながら付加音を多用し、しばしば全音階的クラスターに発展するトレードマーク的な書法を早い段階で確立する一方で、吹奏楽作品では一作ごとに新しい傾向が表れました。『ラスベガスを喰い尽くすゴジラGodzilla Eats Las Vegas (1996) は題名通りのストーリーをさまざまなポピュラー音楽のジャンルを接ぎ合わせて直接的に描写する作品、Noisy Wheels of Joy (1999) は映画音楽のコースのために書かれた「プロコフィエフジョン・ウィリアムズと『キャンディード』序曲が出会う」素材の吹奏楽化、Equus (2000) はミニマル音楽への意識的な接近、そして『オクトーバー』October (2000) は合唱作品に通じる抒情的で音数を絞った作風で、実際のちに無伴奏合唱曲『アレルヤAlleluia (2011) として改作されます。

ウィテカーが最初から吹奏楽編成で世に出した作品は現時点で『オクトーバー』が最後です。しかし『クラウドバースト』Cloudburst (1991/2001)『スリープ』Sleep (2000/2002) Lux Aurumque (2000/2005) The Seal Lullaby (2008/2011)『星条旗Star Spangled Banner (arr. 2013/2018) といった合唱作品からの改作は断続的に発表されており、吹奏楽のレパートリーへの貢献は続いています*4。チェスノコフ Pavel Chesnokov(Houseknecht編)『爾は救を地の中になせり』Salvation is Created (1912/arr. 1957) など合唱作品からの編曲は以前から吹奏楽のレパートリー供給源になっていましたが、ウィテカーの作品は、レイノルズ編のローリゼン(ローリドセン)Morten Lauridsen『おお、大いなる神秘』O Magnum Mysterium (1994/arr. 2003) やティケリ『レスト』Rest (2000/2010) 、ジェニファー・ヒグドン*5 『ミステリウム』Mysterium (2002/2011) のような、同時代の合唱作品との相互乗り換えの先鞭を付けたと言えそうです。

若くして注目を集めていたウィテカーは2000年、同じくジュリアード音楽院でジョン・コリリアーノ John Corigliano (1938-) *6に学んでいたスティーヴン・ブライアント (1972-) 、ジョナサン・ニューマン Jonathan Newman (1972-) 、ブライアントの友人でコリリアーノに私淑していたジム・ボニー James (Jim) Bonney (1971-) *7とともに作曲家集団 BCM International を立ち上げ、イベントへのブース出展や2枚のアルバム発表*8など共同で作品のプロモーションを展開して活動を広げていきました。彼らに加え、同世代のスコット・マカリスター Scott McAlister (1969-) *9ややはりコリリアーノに学んだジョン・マッキーといった作曲家は、打楽器を動員したビート感の頻繁な強調、そしてポピュラー音楽の直接的な参照やポスト・ミニマル的な構造をそこに乗せる手法を共通して身につけています*10新古典主義の隆盛期である1920-30年代にはジャズの参照が先進的な手法として行われた一方で、そのころ頭角を現した世代よりも下ると、アカデミックで「シリアス」な作曲においてはポピュラー音楽の参照に消極的な傾向が長らくみられたのですが*11、ポストミニマル勢やマイケル・ドアティたちへの注目もあり、世紀が変わるころにはジャズに加えてロックやファンクなどの参照も珍しいことではなくなっていきます。他記事で散々触れてきましたが、ピアノを含む鍵盤楽器、金属打楽器の響きの重視ももはや一般的な前提になります。

 

『ゴースト・トレイン』の録音は、余裕ある表現で様々な仕掛けを明快に聴かせてくれる堤俊作/大阪市音楽団盤(大阪市教育振興公社、1999)を推薦します。『オクトーバー』はコーポロン/昭和WS (CAFUA, 2003) 、『スリープ』は William Berz/ラトガーズWE (Mark Custom, 2003) で。『ラスベガスを喰い尽くすゴジラ』の委嘱団体による演奏などを収めたBCM Internationalのアルバム (Mark Custom, 2002) も、当時の空気を知る意味でも聴いて損はありません。

*1:彼は高校時代の自作曲をネットに公開しています(https://soundcloud.com/ericwhitacre/trust-me-1986)。

*2:三部の全体構成や、シャープなビートスイッチの連続にはライヒ『ディファレント・トレインズ』あたりを、バッキングやクロスリズムの扱いにはアダムズ『ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン』『中国のニクソン』などを想起します。

*3:作曲だけでなく、2009年から開始した Virtual Choir Project は1万人以上が参加する巨大企画になっていますし、2012年には自作自演アルバム Light and Gold (Decca, 2010) でグラミー賞の最優秀合唱賞を受けています。

*4:合唱や電子音(聴衆が持つスマートフォン)、オルガンも加わる Deep Field (2016) は響きの静かな推移の試みで、管弦楽が原曲です。

*5:『ブルー・カテドラル』(1999) やヴァイオリン協奏曲 (2008) などの管弦楽作品やフルート作品で特に知られる作曲家ですが、『ファンファーレ・リトミコ』Fanfare Ritomico (2000/2002) 以降は吹奏楽分野にも積極的に関わり、打楽器協奏曲 (2005/2009) や Road Stories (2012) などもよく取り上げられます。

*6:ジャンニーニとクレストンに学んだ彼は20世紀後期の新ロマン主義―—現代的な響きを適宜取り入れながら、伝統的な旋律や和声、ドラマティックな構成に依拠する―—の代表的人物の一人で、交響曲第1番 (1988) 、クラリネット協奏曲 (1977) 、映画音楽からの再構成であるヴァイオリン協奏曲 (2003) などで知られます。吹奏楽作品は『ガゼボ舞曲』Gazebo Dances (1972/1974) があるほか、交響曲第3番『キルクス・マキシムス』Symphony No. 3 "Circus Maximus" (2004) はバンドをホール全体に配してパノラマ的な音風景を展開する大作。

*7:ニューマンは Chunk (2003) 交響曲第1番 Symphony No. 1 "My Hands Are a City" (2009)  Blow It Up, Start Again (2012) Single (2013) Novel Romance (2018) など、ボニーはエレキギター協奏曲の Chaos Theory (2000) や  Tranzendental Danse of Joi (2004) などで知られ、どちらもポピュラー音楽への参照を好む作風と言っていいでしょう。ただし映像音楽に軸足を置き演奏会用作品は限られているボニーはともかく、ニューマンのほうは吹奏楽/合唱兼用のコラールの Moon by Night (2001) 、20世紀前半の傑作群を意識した「想像上のバレエ」Pi’ilani and Ko’olau (2019) などそこから外れた重要作品もあります。

*8:『BCM...Saves The World』(Mark Custom, 2003)『BCM: Men of Industory』(Mark Custom, 2004)。

*9:『ポップコピー』Popcopy (2007) Krump (2007) Zing! (2008) Gone (2013) などで知られます。クラリネット奏者を志していたというキャリアから、X Concerto (1996) Black Dog (2002) などのクラリネットとの協奏的作品がいくつか書かれています。

*10:この世代には現在の吹奏楽界の中核となる作曲家がひしめいているのですが、もちろん全員にこうした傾向があるとは言いません。ジェイムズ・スティーヴンソン James Stephenson (1969-) やキンバリー・アーチャー Kimberly Archer (1973-) 、ケヴィン・プッツ Kevin Puts (1973-) たちはおおむねクラシカルな伝統を意識したテクスチュアをとり、ポピュラー音楽の音楽要素の取り入れは間接的なものですし、アメリカ以外に目を向ければさらに作風を括ることは難しくなるでしょう。

*11:ガーシュウィンバーンスタインといった、意識して融合的なスタイルを選んだ面々の存在感が大きいのが面倒なところですが。さらに吹奏楽の場合は伝統的にいわゆる「ライトクラシック」との距離の近さを無視できず、低グレード作品では特に顕著ですし、放送音楽でのキャリアを持つアルフレッド・リードの諸作のような例もあるのは付記しておきます。

47. マー:エンデュランス

トロンボーン奏者としてバンドに関わっていた大学時代、ティモシー・マー Timothy Mahr (1956-) はバンドの弱奏、その「美しさ」に気づかされたと語っています。このエピソードからは、彼がオストウォルド賞を与えられた2作*1『空高く舞う鷹』The Soaring Hawk (1990)エンデュランスEndurance (1991) をはじめとする抒情的な作品群が自然な帰結のように思えます。

彼のバンド作品において、管楽器の音色感はソプラノをはじめとするサクソフォン群、ホルンやコルネット*2への愛着からうかがえるようにメロウに調和したものを指向していますが、そこにピアノを含む鍵盤打楽器や金属打楽器、人声を加えて拡張された音色のパレットによってこの時代らしいクールさが加わっています。旋法的な音選び*3や静的な和声進行を多用し、リズミカルな刻みよりもしばしばミニマル音楽を思わせる反復パターンを背景に配する彼の手法は、ピアノをフィーチャーした初期の Passages (1984) に始まり、先に触れた2作を経て『ソル・ソラーター』Sol Solator (1998) や A Quiet Place To Think (1999) などに至る一連の落ち着いた響きの作品を特徴づけています。

とはいえ彼の作品は静かなものばかりではなく、最初の出版作の Fanfare and Grand March (1980) や初期の人気作の『ファンタジア・インG』Fantasia in G (1983) 、後年の『エブリデイ・ヒーロー』Everyday Hero (2000)『空へ!』Into the Air!『ヘイ!』Hey! (2001)『ノーブル・エレメンツ』Noble Elements (2002) といった作品は力強い響きを持っています。ここではバンドは開放的に鳴りますが、シンフォニックに積みあげられ統合されたサウンドはあまりみられません。淡い背景に対して旋律的な動きがあたかも無関係のように配されたり、対位法的なテクスチュアでも面的に絡みあわせるのではなく各々の線を独立させるような配置を選んだりと、広大な空間を感じさせる書法によって、ダイナミックながらも独特の風通しの良さが感じられます。曲想に関わらず楽曲の構成はおしなべて即興的、ブロック的ですが、こうしたサウンドの個性が彼の作品をまとめあげています。

 

録音はボイセン/ニューハンプシャー大学WS盤(Mark Custom, 2003)で他の主要作品とあわせて触れるのがいいのではないかと思います(録音がややお風呂場気味ですが、これはこれでマーのサウンドに合っているかも)。他の作品については、マーが長年指揮者を務めてきたセント・オラフ大学バンドとの作品集(St. Olaf Records, 2010)を、それで足りなければ出版社チョス(Neil A. Kjos)や本人のSoundcloudで公開されている音源を聴くことになると思います。比較的個性が明確な作曲家ではありますが、個人出版社に拠点を移して発表されている近作、吹奏楽のための組曲 (2014) の第1曲や交響曲第1番 (2016) などではまた違った趣の響きが聴かれ、興味深い展開を見せています。

Imagine If You Will

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*1:当時のオストウォルド賞は、賞の選定は1年おきに行われ、受賞者には翌年に新作を委嘱する規定になっていました。

*2:トランペットとコルネットを併用する手法は1960年代ごろまでは一般的でしたが、アメリカにおいてはその後しだいに例が減っていき、マーの世代ではかなり珍しいものになっています。

*3:『空高く舞う鷹』や and in this dream there were eight windows... (2003) では使用する音(ピッチクラス)を限定する試みも行っています。

46. ギリングハム:ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス

シュワントナーの項でも書いたように、1980年代後半から90年代にかけてはバンド作品における打楽器、とくに鍵盤楽器や金属打楽器の活躍が大きく広がった時期ですが、デヴィッド・ギリングハム David Gillingham (1947-) はその潮流を代表する一人と言えるでしょう。

最初期作 Symphonic Proclamation (1977) や Intrada Jubilante (1979) の時点では打楽器の用法はまだ伝統的ですが、バストロンボーンとウィンドアンサンブルのための協奏曲 (1981) では中間楽章を筆頭に鍵盤打楽器が印象的な活躍を見せます。また彼は Paschal Dances (1984) を皮切りに打楽器アンサンブルの分野にも積極的に作品を提供し*1、その経験がバンド作品にもフィードバックされた結果、たとえば「管打楽器のための協奏曲」を謳った Cantus Laetus (2001) では三部構成の一つを完全に打楽器に任せ、楽器紹介的な性格の『センチュリー・ヴァリアンツ』Century Variants (2009) では第一変奏を打楽器に割りあてるような現在の「ギリングハム」が生まれたのでした。鍵盤打楽器や、90年代半ばから多用されているブレーキドラムについてはまさに彼のトレードマークとして語られることもあります。

楽器法については修士の指導教員だった Jere Hutcheson (1938-) *2とロマン派のオーケストラの影響が大きかったと語るギリングハムのオーケストレーションは、金管合奏の充実した響きを核にする手法が特徴的で、そこに(自身の楽器である)ユーフォニアムやホルンを際立たせて幅を持たせつつ、打楽器や木管楽器が多彩なソノリティと推進力を添える、という発想になっています。高グレードの作品においてはシンフォニックな聴感に対し音の重ねは総じてあまり厚くなく、十数名規模のアンサンブル(ただし打楽器の規模はフルバンド作品と同等)のために書かれた Serenade, "Songs of the Night" (1990) や『目覚める天使たち』Waking Angels (1996) でもサウンドの作り方は大きく変わりません。

自身の戦争体験を下敷きにしたベトナムの回顧』Heroes, Lost and Fallen: A Vietnam Memorial (1989) で大きなインパクトを与えたギリングハムは、環境破壊を扱った Prophecy of the Earth (1993) 、エイズの犠牲者に捧げられた『目覚める天使たち』、オクラホマシティの爆破事件を扱った『闇の中の一筋の光』A Light Unto Darkness (1997) 、ダイアナ妃、マザー・テレサ、ゲオルク・ショルティへの追悼曲である『心に宿る永遠の三日月』A Crescent Still Avides (1998) と、時事的でセンセーショナルな題材を取り上げた作品をつぎつぎと発表していきます*3。遅いテンポを基調に、構成要素を並列的に提示する導入—不協和で鋭角的なサウンドの急速部—長調の静かな音楽による救済、という「シリアス」さを打ち出した展開に、題材になった事件へのやるせなさを乗せるのがこれらの作品のコンセプトです。どの場合も主要な素材は既存の旋律―—多くはキリスト教的な文脈を持っています―—の引用をもとにしているのが明示され、不協和な響きも基本的には調性的な発想に歪みを加えて作られており、伝統との接点を強調して聴衆に届きやすいドラマが構成されているのが特徴的です。なお聖歌の旋律を展開させる作品は近作に至るまで彼の創作の一つの軸となっていますし、宗教的なモチーフは初期の Revelation (1983) や Chronicles (1984) に始まり、交響曲第1番『黙示録による幻想』Apocalyptic Dreams (1995) や交響曲第2番『創世記』Genesis (2007) 、『主こそわが望み』Be Thou My Vision (1999) といった作品では標題上の部分にも用いられます。

コロンバイン高校での銃乱射事件を背景にした And Can It Be? (2000) を最後に、ギリングハムはセンセーショナルな題材からは離れて*4、委嘱元の土地の歴史や、個人的な記憶といったよりインティメイトな出来事*5をインスピレーション源として取りあげるようになりました。題材にあわせて『ウィズ・ハート・アンド・ヴォイス』With Heart and Voice (2001) にみられるように不協和な響きや複雑なリズムは減り、長調アレグロも採用されて、作品内のコンフリクトは抑制されるようになります。もっともこれ以前にも陽性のエネルギーを持つ『ギャラクティック・エンパイア』Galactic Empire (1998)『内燃機関Internal Combustion (1999) のような作品があり、宗教的な題材の『神の子羊Lamb of God (2001) や『神の導き』Providence (2003) はシリアスさを残しているように、変化は漸次的ではあったし、音楽の組み立て方そのものが変わったわけでもないのですが。

 

ギリングハム/フィルハーモニック・ウィンズ大阪盤(GreenMusic、2008)はライヴ当時の近作が軸ですが、より早い時期の作品も押さえていてギリングハムに触れるのに便利です。ここに含まれない有名作では『ベトナムの回顧』はコーポロン/シンシナティWS、『主こそわが望み』は Sniekers/Banda de Lalín (WMC2013ライヴ。World Wind Music、2013)、さらに最近の歩みをたどる一枚としてはホフスタッター/テキサス・エル・パソ大学シンフォニック・ウィンズ盤(Mark Custom、2012)が良いでしょう。

 

 

*1: 『黙示録の天使たち』Angels of the Apocalypse (2013) 、デニス・フィッシャーが編曲した『ピアノ協奏曲』Concerto for Piano, Percussion and Wind Orchestra (2002/2004)のように打楽器アンサンブルとバンドの両方で演奏される作品もあります。4打楽器のためのコンチェルティーノ (1997) はこの2つの編成の中間とでもいいましょうか。

*2:バンド分野での代表作『カリカチュアCaricatures (1997) はたしかに、広いパレットから少数の楽器を選び出して室内楽的に組み合わせていく楽器の用法が印象的です。

*3:同時期に『ローザのための楽章』A Movement for Rosa (1992)『夜を守る友よ』Watchman, Tell Us the Night (1994)『アイビー・グリーンの交響曲Symphony No. 3 "Symphony from Ivy Green" (1999) といったヒューマニスティックなテーマの作品を発表していたのがマーク・キャンプハウス Mark Camphouse (1954-) で、ピアノや金属打楽器の(こちらは控えめながら)印象的な用法や引用の活用も共通していますが、分厚く楽器を重ねたサウンドやおおらかな節回しは対照的なものです。

*4:ルワンダの太鼓』Drums of Rwanda (2014) という作品が書かれてはいますが。作曲時の時間的距離という点では『ベトナムの回顧』と同じくらい離れています。

*5:前者は Council Oak (2002) や『時の航海』Sails of Time (2006) 、後者は The Echo Never Fades (2011) The Song Shall Never End (2014) など。